諫早小学校運動会(一土・小4)

 例年5月開催の諫早小学校運動会、今年はコロナ感染防止のため9月12日(日)にプログラムを短縮し午前中だけとなりました。したがって、皆んな楽しみのお昼の家族弁当タイムもなくなり、蜜にならない競技内容なども工夫され爽やかな秋空下で無事開催されました。

 小学校の運動会というのは、私たち親にとって自分の子の成長を最も目の当たりにできるものではないでしょうか。子どもたちにとっても、自分の成長ぶりを家族にアピールできる年1回のチャンスだと思っているはずです。だからこそ、それぞれの家族にとってっも年一度の待望の一大行事になっていることと思います。

 さて、息子4年生一土の出番は、まず開会式における赤、青、白組それぞれの応援合戦での応援リーダー(白組/前へ出て大声で応援)の一人、個人80m走(5位/6人)、全員ソーラン踊り、クラス対抗リレー(4年2組2位/第3走者・3→2位)に張り切り、白組の優勝に貢献しました。午前中だけの行事でしたが、内容の濃い心温まる楽しい運動でした。関係者の方々のご尽力に感謝いたします。

 

 毎年運動会が終わると、「良く頑張りましたで賞」をあげるのが恒例となっている我が家ですが、今年は“6年生になってから”と言ってずっとお預けにしてきたゲーム機のニンテンドー・スイッチとソフトのセットをプレゼントすることにしました。その代わり、クリスマスプレゼントと合わせて早目にするという約束にしました。これまで遊んでいたゲーム機は型の古いWii Uで、一土の友達の殆どが既に持っているのでやむなく早めることにしました、とは言え、新品は我が家にとって高価なためヤフオクで早速探しました。

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突然の首相交代(阿部→菅総理)

 コロナ渦の大混乱の中アベノマスク配布から始まった政府の対策、国民一人当たり10万円給付や事業者への持続化給付金等混乱など、それらの失敗策が相次ぐ阿倍内閣、その総理大臣が突然退くことになりました。これまで強気な安倍首相が、一年の在任期間を残しながら持病(慢性大腸炎)の再悪化によりまたもや(二度目)突然の辞任発表となりました。余りの突然のできごとに、日本中の誰もの驚きとなりしました。

 そしてその後任について、党内から何人かの候補者の名前も挙がりましたが、結局現内閣の幹事長である菅氏が党内の思惑によって速やかに決定しました。その決め方たるや、全国の自民党全党員による推薦人投票とならず、党幹部の思惑による時間を短縮するという名目で派閥結託による簡易なやり方となってしまいました。私としては、誰ということよりそれ以前の選び方に失望せざるを得ませんでした。また、新内閣のスローガン「国民のために働く内閣」と掲げられましたが、『?』です。“そんなの当たり前の事じゃん、今更そんな言葉がスローガン?”に、と思いました。美辞麗句の羅列に比べるとずっと良いのですが、余りにも当たり前過ぎる言葉なだけに…、しかし裏を返せば、これまでが少なくともそうではなかったということが明白に、私は菅さんが適か不適かということより“未だに、こんな日本が…”とガッカリしました。

 さて、愚痴はともかく、このコロナ対応はもちろんのこと将来日本のビジョンをどのように描き、その実現に向けてどのような政策を打っていくのかそのことが気になるところです。世界中がコロナに対して一丸となるべき時に、大国同士にあっては覇権争いで罵り合うという愚かとしか思えない状況です。(米国は発生源中国に責任追及、感染数世界第1位。また世界保健の問題として捉えずワクチン開発競争を政治的覇権争いを展開)

 

[後日談]

1)日本の新菅内閣の目玉政策として、9月後半から10月の初旬にかけてコロナ対応策継承により、外出自粛の解除とともに「Go to トラベル」、「Go to イート」、「Go toイベント」などの経済活動の再開を奨励する策が優先された。そして、来年に延期されている東京オリンピックがIOCとの競技の上どのような状況になろうと開催すると決まった。また、このコロナ感染により炙り出された「New normal(新しい生活様式)」の確立の必要性とITの立ち遅れによる弊害を解消すべく、「デジタル庁」の新設と役所内事務の「印鑑廃止」・による事務手続きのスピード化、携帯電話料金の値下げ等の推進が積極的に図られている。

2)アメリカでは、11月のアメリカ大統領選を控え、現トランプ大統領にあっては自らと夫人ほかがコロナに感染。選挙中の公開討論会の最中、強気な行動と言動(マスク拒否・軽視など)、さらにホワイトハウスやペンタゴン内にのクラスター発生。対立候補バイデン氏の有利となっている選挙戦結果(11月)が興味深い。

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なが〜い夏休み(コロナ籠り)

 新型肺炎コロナウィールスの感染拡大防止のため緊急事態宣言が発令され一定の効果を納めた後、その宣言は解かれたもののその後の感染状況は依然と拡大して行き私たちの日常生活を世界規模で大きく変えています。夏の暑い時期になれば収るだろうという見通しも大きく外れています。結局、一土の通う諫早小学校は、臨時休校から引き続き夏休みに突入し8月いっぱいまで自宅待機となりました。夏休みの終わりの1週間だけ、夏休みの学習ということで登校しただけでした。そして、コロナの様子を見ながら授業の在り方などを研究し徐々に立て直して行こうという授業になりました。また、一土の通っている学習塾でも、リモートによるオンライン学習形式が採用され塾に通話なくても良いやり方になりました。習字教室とヤマハピアノ教室は、リモート形式ではできないことでしばらく休みとなりました。

 そのような期間、我が家では、高齢者施設にお世話になっている身のお祖父ちゃんと私自身の高齢者家族ということで、極力外部との接触を最小にし買い物以外は殆ど外出をしないよう努めました。息子の一土も、友達と約束していた川遊びやプール、海水薬など中止するなど、我慢を強いられる日々となりました。なお、今年の夏の暑さは日本中がこれまでの暑さに増して極暑が続き、その上豪雨ゲリラや豪雨災害に見舞われるというコロナ被害と重なるダブルショックと熱中症、さらに夏の甲子園大会などの恒例イベントの中止など、様変わりした夏となりました。

 そのようなことから、内では家族皆んなで絵を書いたり、パソコンを練習したり、TVゲームをしたり、漫画(鬼滅の刃)を読んだり、などなどできるだけ有意義に過ごせるよう努めました。

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初盆里帰り

 毎年我が家は、お盆と正月には実家(八女)に里帰りをします。しかし、今年は新型肺炎コロナウィールス感染防止のため、帰省は自粛するよう全国的に要請が出ていました。

 しかしながら、今年は私の兄(長男)の初盆ということで、近くの親戚だけで小ぢんまりと実家(福岡県八女)に集まり初盆の法要を済ませました。本来ならば大牟田市内の菩提寺浄土宗西岸寺においての予定だったところ、早目の8日に実家の仏壇前でお坊さんに来てもらうこととなりました。

 その法要の時間が午前9時からだったので、我が家は前の日からゆっくりフェリーで出掛け、大牟田の長州港から実家までドライブを楽しみながら八女市内のホテル(AZ)に向かいました。まだお盆前とあって、道路もフェリーもスカスカで全く混雑等もなくスムースにホテルに早く到着しました。チェックイン後しばらく休憩した後、鮨大好きの一土と約束していた「立花鮨」に行き美味しい寿司をたら服食べました。そして、ホテルに戻り風呂に入って早めに就寝しました。ホテルの部屋は、バリアフリー仕様の広い優雅な風呂付きツインでゆっくり休むことができました。ちなみに、息子は家内と一緒でした。

 翌8日、9寺からの法要に備えて朝6寺半の起き、ホテルの朝食を食べてから8寺半頃に実家に行きました。私は四十九日の法要以来でしたが、家内と息子はお葬式以来の訪問となりました。一土は、大学生の和可ちゃんと奈緒ちゃんに会えるのを楽しみにして来ましたが、福岡の奈緒ちゃんはコロナ感染予防ということで母親の佳代さんだけの出席でした。東京の大学の和可ちゃんは、やはりコロナのため入学当初からオンライン授業を受けていて実家にそのままだったそうです。そのような事情から少人数でささやかに実家でということでしたので、法要後の会食も実家で小ぢんまりといただきました。それからお坊さんのお経の後の雑談に、正福寺幼稚園(矢原町/お寺経営)から有名人が二人誕生しているというお話があり、一人は“ホリエモン”もう一人はダンスの上手な女性芸能人(和可ちょんの同級生)ということでした。実は、私自身も同じ幼稚園出身の一人ですが、ホリエモンの先輩園生だったとは知りませんでした。

 この度のコロナ渦の法要については、世間的には三密を作らないという自粛生活を要請されている中だっため、我が家は県を跨いでの出席となるため事前からその対策を講じることとなりました。その講じた対策というのは、同居中のお祖父ちゃんをショートステイに預けないと外出できないという事情があるため、お世話になる施設に事前に予約を入れる必要があります。なので、その相談をしたところ、私たちが法要に出席する当日(八女の実家に行く日)の前後2週間づつの約1ヶ月間はお祖父ちゃんとは接触できませんということでした。そう言われてみると、確かにTVで2週間の隔離という話を聞いていましたので納得しました。そのような事情から、お祖父ちゃんには申し訳ないのですが長期のショートステイで施設暮らしをしてもらうことになりました。相談するまではそのようなことになるとは思っても見なかったのですが、施設のスタッフの方々には大変お世話になりお陰で初盆の法要に難なく出席できたことを大変感謝しています。

 今回の件では、高齢者施設や医療従事関係の方々など、本当に大変なご苦労をされながら私たちの日常生活を支えておられることを身を以て知りました。私たちの生活に対する外出等の自粛要請について、本当に心して自分だけの問題ではないことを知らされました。

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リモート流行りに乗じて

 新型肺炎コロナ感染が未だ収束の兆しが見えないまま世界中が慄く中、日本も同様感染拡大が進行しています。不要不急の外出自粛が叫ばれステイホームの毎日が続き、ビジュアル付きのSNSによるリモート飲み会などが新たなコミニュケーションがブームとなっています。ミュージシャン仲間においても同様、自宅などに居ながらにしてリモートセッションなどを楽しむ人たちが増えています。

 このような状況については私も興味を持っていましたしならばということで、この際トライしてみることにしました。かなり前、通常のTV電話(Skype)で試してみたことがありましたが、映像と音声に時間的なズレが生じるため一緒に演奏することができませんでした。そこで、そのようなタイムラグと音質を改善できるPCアプリ(NETDUETTO→SYNCROOM)がYAMAHAから無料でリリースされました。遠隔地同志の場合はオーディオ・インターフェイスが必要だということでしたので、私も早速オークションで安価な物(2台)を探し入手しました。

 一つは8トラックのオーディオ及びMIDIインターフェイス付きの ZOOM/R8、もう一つはTASUCAM US 144MkII(オーディオインターフェイス)のいずれもマイクとギター用の2インプットを備えたディバイスを入手しました。1台のTASCAMの方は、青森のアマル君(元長大留学生)にマイクとともに送ってあげるためでした。ただ今、双方にてアプリのインストールを終え、四苦八苦している最中です。私は、PCのWIFIを止めてLANケーブルを直接繋げるなど、まだセッションできる状態には至っていません。これから、関東の友人などとも繋げてみたりして、久しぶりに離れ離れになっているミュージシャンの人達と音楽を楽しめたらと思っているところです。

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一土10歳誕生プレゼント

 息子の一土は、このコロナ新型肺炎の渦中、お陰さまで健康さながらに十歳の誕生日を迎えることができました。この一年は、なんだか体つきが背だけではなく全体的にがっしりしてきたように感じます。とにかく食べる量が格段に増えました。親共々、健康に難なく元気に暮らせていることに感謝をしています。

 さて、誕生日となると一土にとっては何を選ぶかが一大事となります。調達係の親として私も気が抜けません。親が勝手に決めるのではなく協議の上となるため、なかなか簡単に決まらず苦労させられます。息子の望む物が親として相応しいかどうか、値段的にもどうかなど、一月位前から色々と押し問答が始まります。

 一土としては、以前からTVゲーム機のニンテンドー スイッチを一番望んでいるのですが、それはもう少し待って5年生になってからと親としてお預けにしてあります。なので、LEGOの銃(組立パーツ)かスポーツカー(組立キット)はどうかと尋ねると、スポーツカーにするという答えが返ってきました。誕生日一日前の9日に、アマゾンからランボルギーニが届きました。(四日目の午前中に完成)

 一土にとってLEGOの組立挑戦は早く、小学校に入る前の幼稚園年長の時でした。まだ早過ぎるということは承知の上、当時一土が余りにも絵を描くことや組立図のような立体的な絵やメカニックな物が好きだったので、誕生日プレゼントににLEGOを買ってあげまあした。そうしたところ、殆ど独りで組立図を見ながら組み上げてしまいました。それ以来LEGOが好きで、未だに銃を作ったりなどして遊んでいます。その時のクレーンも一緒に並べてみました。

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コロナ籠り開け

 新型肺炎コロナウィールス感染拡大に伴い、日本においても拡大防止のために政府から発せられた「緊急事態宣言/休業及び外出自粛要請」は5月の連休明けまでという予定から5月いっぱいまでという変更になり、やっと解除になりました。しかし、関東圏などの一部の都会は前面解除ということにならず段階的に様子を見ながらということになりました。感染の状況は、世界全体で約630万人(死者数38万人)、上位国はアメリカ180万人(死者10万人)、ブラジル55万人(3.1万人)、ロシア43万人(3万人)、イギリス、スペイン、イタリア、インドと続いています。日本は1.6万人(9千人)で、上位東京都5.2千人、大阪府1.7千人、神奈川県1.3千人北海道1千人となっています。長崎県は17人からしばらく増えていません。これから先、第2、第3の波がいつ来るか、完全に抑え込むことができるのか、まだまだ国民の生活態度の在り方と政治の手腕が問われそうです。 

 “STAY HOME” という掛け声のもと自宅で過ごさなければならなかった私たちでしたが、外出自粛が解除されると当然の如く気分転換に外へ出たくなるのが人情です。我が家も、痴呆老人(家内の父と同居)をショートステイに預けている間に知人の自然農園や近くのバラ園へ、また息子が登校してる間をぬって雲仙仁田峠までプチドライブなど、リフレッシュに出掛けました。ミヤマキリシマの見頃は本来5月の中旬ですが、TV報道を見て急遽行ったら同じようなリフレッシュ組のマイカーで駐車場はほぼいっぱいでした。

 

 さて、宣言発令期間の外出自粛要請中、一土(小4)にとっては大人と違って友達と一緒に遊ぶことも学校や塾にもに行けず、親として何とかしてやりたいと思い、宿題を普段の休みの時と同じようにまず先に一気に済ませ、後は一緒に絵を描いたり、音楽(ピアノ)を楽しんだり、LEGO銃(2丁)を作ったり、プラモ(ガンダム)を組み立てたり、オーブン陶芸をしたり、古いパソコンを引っ張り出してパソコンを教えキーボード操作を教えたり、キーボード・タイピングソフト(コナン速打法)で練習したり、漫画「鬼滅の刃」シリーズを毎土曜日ごとに買ったり、TVゲームの太鼓の練習(太鼓の達人)やスプラで遊んだり、また野外で自転車(4年生・自転車講習予定)の練習をしたりなど、お陰でいろいろな体験をさせることができ無駄に過ごしませんでした。

 特にパソコンについては、今回の外出自粛などに伴うリモート学習の報道などを見てると直ぐ必須になるなと思い、キーボード・タイピングのゲームを体験させました。そうしたら思いがけなく楽しいらしく、自分で「マイ探偵コナンの速打法」というDVDソフトを見つけて買ってくれと。なので直ぐネットで購入してあげました。そのコナンの指導は大変優秀で、息子は私より早く打てるようになりました。ブラインドタッチもそこそこにできるようになりました。

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新型肺炎コロナウィルス感染対策「緊急事態宣言」発令

 4月7日、日本も遂に新型肺炎コロナウィルスの完成拡大を防ぐため、安倍首相から感染爆発を起こす寸前にあるとして何とか食い止めようと、諸外国のように医療崩壊を招かないよう国民の移動を7〜8割減らし、感染拡大を封じ込めようとそうと1都7府県に休業及び移動自粛をするよう要請がありました。

 日本より先に感染拡大が急速に進み医療崩壊した国にあっては、外出禁止や都市封鎖状態になっており、未だ収束の見通しがつかない国が殆どです。発生源となった中国武漢市における外出禁止令と都市封鎖がやっと解除になったと思ったら、今度は我が国が持ち堪えられそうにありません。ヨーロッパの国々はすでに感染爆発が起こりまだピークが収まっていないのが現状です。

 日本の政治判断は、諸外国と違って強制力の伴わない自粛要請となり、国民地震の判断に委ねざるを得ません。したがって、休業保障や損失補填等の策が講じられていないことからも案の定感染拡大を止めることができず、4月17日に5月6日のゴールデンウィーク明けまで全国一律に外出を自粛要請をする「緊急事態宣言」が再発令されました。この再発令に当たっては、今度は先ず全国民1人当たり10万円が支払われることになり、収入減となった事業者等については別途救済措置が追って実施されるようです。特に、現金商売や個人事業および小規模事業者などにおける経済的な損失は、事業存続そのものが危ぶまれるとともに社会崩壊の危機すら招きかねない現状となっています。諸外国の感染状況と医療崩壊に至っていく現状を、対岸の火事ととしか捉えていなかったツケが今回ってきたようです。

 ある有識者のTVでの弁によると、リスク管理とは最大のリスクを基点としていかに少なくするかという考え方だそうであり、最大とゼロの中間値を探ることではないそうです。二次的な社会への影響等を考えバランスを取ることではないということだそうで、今の日本の緊急措置委員会のメンバーの中にそのリスク管理の専門家がいないことが問題であるとの発言が印象的でした。また、欧米では、「新しいノーメル」という考え方が語られるようになっており、社会が元に戻るのではなく新しい社会の仕組みに変わっていく流れになるということも語っていました。私は、この話を聞いた時、詳しいことは分かりませんが、なるほどと直感的に思いました。地方の小さな街の生活者として、確かに里山などの生活を身近に感じる私としては都会での生活の在り方は異常としか思えません。何から何までお金がかかり、どこも彼処も人混みだらけ、そんな状況こそ活力が溢れていると言わんばかりです。一方、一見不便極まりない過疎と言われる田舎暮らしは、今回のコロナ騒ぎはTVの中の話で非現実的でもあります。今回のようなコロナ感染問題は、人の過密な活動によって成り立っている社会環境最大の弱点となっています。今後の社会システムと環境の在り方、そして働き方の仕組みと医療にかかるバックアップシステムの備えなど、再検討が求められることになると思います。

 

 また、近年の相次ぐ大規模災害の勃発は、年々常態化しつつ世界中で起きています。最近では、台風の頻発や土砂崩れ・大洪水、大地震などこれまでに経験したことのない大災害が続き、これまでなかった竜巻も発生するようになりました。このような災害は、地球上のあらゆる所で起き、今年は北半球のみならず、ハワイやオーストラリアでも大規模な森林火災が発生しています。これらは、海水温の上昇や二酸化炭素の排出量増加などにによる異常気象が原因だと言われています。プラスティックゴミによる海洋汚染の問題など、私たち人間の欲望を満たしてきた代償となりました。

 このような地球上のいろいろな状況は、地球が私たち人間に突き付けた警告のようにも思えます。地球の自然淘汰という形の仕打ちなのか、地球の人間に対する地球との共存方法を求める示唆なのかもと思わざるを得ません。

 ”コロナが収まったら…”と、世間では楽観的な見方が当たり前のようです。私は、この国難、いや世界難を乗り越えることができた暁には新しい社会システムの構築が始まることを期待しています。どのような形かは分かりませんが、経済効率至上主義に基づかない、地球との共存社会をベースに人間の英知が蓄積されていく社会が構築されていくことに期待をしています。 

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休校要請(新型肺炎感染防止対策)を受けてLEGO銃

 息子の通う諫早市の小学校も全国一斉要請を受けて休校となりました。また、書道教室、ピアノ教室、学習塾も同様になり、子供たちはそれぞれ自宅で過ごさなければならない事態となり、毎日自宅で退屈をしています。

 そのようなことで、我が息子はその退屈しのぎにLEGO銃作り第2段に再挑戦することにしました。先日買ったLEGO銃の本には、幸いなことに複数の銃の作り方が載っているので、ついこの前作ったピストルタイプより今度はかなり大きな複雑な弾(ブロック)の出るタイプ(AKS-74U/ライフル)に挑戦することにしました。そう決まると、息子はさっそく自分の持っているLEGOパーツと必要なパーツ(本のパーツリスト)を照合して足りないパーツの洗い出しをしました。そして、次にネット通販(LEGO専門店)でそれらのパーツを探し、私が発注をしました。約2日半かかりました。

 待ちに待った不足分パーツの宅配は通常通り朝一番で届き、まだ布団の中で待ち構えていた息子はさっそく飛び起きやろうとしましたが、先ずは朝ご飯が先と言い聞かせ、ちゃんと腹ごしらえをさせてから着手させました。息子はLEGOは得意中の得意なので、本の組み立て図を見ながらアッという間に銃の部品部品を組み立てていきました。ところが、その途中、一つ(1種類4個・発注ミス)の部品が足りないことに気づきこの日に完成させることができませんでした。その部品は、トリガー部の部品と他で残念ながらトリガーを取り付けられる状態になりませんでした。結局、ネット通販で追加注文となり、コロナ騒ぎの中その到着待ちに時間がかかりまだ到着しません。

 この2週間、息子もそんなこんなで普段と違う時間の過ごし方をしています。世界中に広がった新型コロナウィルス収束の目処が立たない最中ですが、この先がまだまだ心配です。早く何とかして収束することを願うしかありません。

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COVID-19 の猛威

 中国の武漢(湖北省)が震源地される新型肺炎コロナウィルス、昨年末に発生して今では世界中が大混乱状態に陥っています。そして2月28日、遂に学校休校などの要請が発せられという事態になり、3月の今日に至ってはWHOより世界がパンデミックに移ったとの発表、その感染は急速にアジアのみならずヨーロッパ、中東、アメリカ、南半球の国々まで広がっており、特にイタリア、イラン、韓国、日本が上位となっています。この新型肺炎は、潜伏期間が長く初期段階では症状が出にくく、若い人はひどい症状は出ず特に70歳以上の高齢者や糖尿病や心疾患などの持病を待っている人には死に至らしめるという、高齢者にとっては致死率の高い肺炎だそうです。これから先、高齢者社会となっている我が国においては、また当事者の私としては特に心配です。世界中に感染が広がっていると聞くと、国による医療格差などによる感染拡大とともに、その技術力や検査キット不足、患者受入設備体制(病院・病床数)、世界中の医療崩壊が心配され、早急なワクチン開発が望まれています。

 日本では、東京湾の屋形船と横浜港に寄港した豪華客船ダイアモンド・プリンセス号の乗客の検疫騒ぎから始まりましたが、残念ながらその賢明な努力も虚しく水際対策問題だけでは終わらせることができませんでした。なぜなら、渡航者や外国人観光客などにより既に国内に持ち込まれていたため、知らない内に日本中の観光地などでは以前から感染広まっていたようです。今では、外国人に人気の高かった所は相次ぐ予約のキャンセルにより、観光地は死活問題になっています。また、世間では政府の学校休校要請が発令され、社会経済活動への影響が大きく国民の日常生活に混乱を来しています。街中では、マスクやアルコール消毒液、トイレットペーパーなどの日用品(紙製品)などの生活物資がスーパーから消える始末です。医療現場では、最も必要とされる医療用マスクや防護服も足りておらず、医療崩壊の懸念が高まり今後どのような状況になっていくのか、先の見えない深刻な社会状況陥っています。とにかく、心配な有様です。

 このような状況は日本のみならず世界中が深刻な状況に陥っており、中国は当然ながらイタリアや韓国などでは外出禁止や移動禁止、渡航禁止などが発令され、日本以上に脅かされているようです。その状況について、イタリア在住の知人K崎さんのご令嬢REIKOさんが日本のテレビ局の取材(その後も別の番組に出演)を受けて現地の様子を伝えるという凄いことも起きています。また、世界経済への影響も甚大で、これまでにない株価の大暴落が続いています。

 そして日本では、2020オリンピック開催国として新たな競技場の建設など諸問題を克服しながら準備を進めて来ていましたが、その開催が危ぶまれるという重大な問題が巻き起こっています。

 この新型肺炎ウィルスと人間との闘いは、これまでに経験したことのないグローバル化が進んだ世界全体を脅かす人間とウィルスとの闘いとなっており、世界中が一丸となってどのように対処して収束することができるのか世界総出という人類の英知が試される問題となっています。

 

<データ>2020.03.11現在、感染者数:145,193人(世界)、701人(日本)、死者数が70,261人(世界)、118人(日本)

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コントレール・ライブ(アマル君お別れ記念)

 音楽という共通の楽しみを通じて親しくさせてもらっている長崎在住のK崎さんの図らいによるライブ、3月7日の夜多良岳山麓の畑に囲まれる雑貨カフェ・コントレールにおいて、音楽仲間のT田さん主宰の恒例のライブにK崎さんアマル君そしてベースのY下さんと一緒にお別れ記念のライブを計画してもらいました。

 アマル・シャンマ君は、アルゼリアの国費留学生として長崎大学大学院に来ている28歳の好青年で、この三月末をもって留学を終えて帰国するそうです。そんな君は、アフリカ人ということだけではなく息子のような世代的にも大きな隔たりがあるにも関わらず、'60~'70年代の私たちの青春時代に流行った洋楽が好きでギターを奏でながら唄います。K崎さんと私が同世代で懐かしい洋楽を楽しんでいるところに、アルジェリア というアフリカの地で生まれ育った青年が当時の曲を知っていて、しかもギターを弾きながら唄うという現実に驚きました。そんな彼との出会いはただ事とは思えず、大きな喜びでした。そして、彼とは昨年末私が主宰していた「諫早フォークナイト」の最終回ライブで一度ジョイントしてもらったこともあり、その機会がきっかけとなり今回のライブが実現しました。また、その時以来、私の家族も彼のことを気に入り息子の一土は大好きになりました。

 ライブ予定日3月7日は、急に大騒ぎとなった横浜港に入港した豪華客船ダイアモンド・プリンセス号乗客の新型肺炎コロナウィルス感染による政府からの学校休校等の自粛要請の最中だったため、事前にその開催の有無について関係者の意見聴取のもと実行することになりました。会場となるカフェの立地や周辺環境などを考慮し、窓を開けて換気しながら、アルコール消毒、マスク着用など、各自気を付けながらゆったりと広いライブ会場という環境のもとで予定通りの開催となりました。

 私たちのユニットは急遽出番最後、一夜限りのパンド(バンドにあらずパンド)という構成で懐かしい洋楽を中心に楽しみました。ただし、1曲だけは彼の曲をということでアルジェリア の曲を演りました。”愛が全て”という意味の、これまで経験したことのないアラビック独特リズムの乗りでブルースコード進行の曲でした。事前(3日前/ギターをプレゼント)に、”ちょいわるおやじ”で一度音合わせをしてから本番に臨んだので、仕上がりはともかく顔を見合わせながら何とかできました。予定していた5曲はあっという間に終わり、結局その後も誰かが演り始めるとそれに合わせてセッション(?)を、かなりの時間オーバーで楽しませてもらいました。久しぶりに楽しいライブを楽しませてもらいました。

 我が家は、じいちゃんをショーチステイにお願いし家族で参加しました。息子は大好きなアマル君に会えると、またK崎さんの本格的な本物のドラム演奏が見れるということで張り切って行きました。

 

<演奏曲>

1.Desperado  2.Cecilia  3.Heart of gold  4.Ma kayen walou kima I'amour  5.Sailing  6.I shall be released  7.The weight 8.Yesterday  8.Sound of silence  9.Boxer  10.プカプカなど

 

<後日談>

コロナ騒ぎの目処がたった頃、アマル君から突然のメールが届きました。我が家族に対するご機嫌を伺う内容で、”吉田さん家族には大変お世話になりました。ありがとうございます。一生、感謝しています。”と添えてありました。メール(スマホ)でのやりとりでしたが、私はメールを早く打てなくて面倒なので直接話せる電話にし久しぶりに彼と話をしました。彼は、3月いっぱいの留学(長崎大学)を終えて故国のアルジェリア へ帰る予定でしたが、コロナの感染騒ぎにより帰国できなくなりアパートを引っ越したりビザの手続きなどで東京へ行ったり新しく仕事を探したりなど、忙しかったとのことでした。

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LEGO銃 デザートイーグル組立

 小学校3年生の息子は、幼稚園年長の頃からLEGOで遊ぶのが好きで今も動画サイトを見ながら色々なものを作っては壊しています。つい先頃、”この本を買って欲しい”とタブレットで見せられたのがLEGO銃の本でした。それは、アマゾン画面での古本で少し高目の洋書でしたが、LEGOは既にいっぱい持っていて改めて購入する必要がなく直ぐにマウスをクリック(購入)してしまいました。息子によると、動画サイトで、この本をもとにLEGOで銃を作り実際に的を射つというの見たらしく、その動画を私も見せられました。それは、私も確かにびっくりするほどのもので少し背伸びしなくてはならないものでしたが、”作りたいと思う時”こそと思って即注文してあげました。

 アマゾンの配達は通常翌日または中2日で届きますが、この本は5〜6日かかりました。なぜなら、アメリカからの中古洋書の配送でした。

 

 息子はさっそく本を開らき、リビングのじゅうたんの上にLEGOパーツをぶちまけ、本に載っているのと同じパーツを探しながら組み始めました。先ず手をつけたのは、紹介されている種類の中から一番簡単なパーツ数の少ない「デザート・イーグル」というピストルタイプでした。LEGOと言っても、トリガーを引くと弾丸は出ませんが一部が可動するほどのリアル感のあるびっくりするものでした。内部に輪ゴムを組み込んで可動させるところなど、よく考えられています。改めて、LEGOの素晴らしさに感心させられました。

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アマル君に、ご当地名物うなぎをご馳走

 私の音楽好きの知人K崎氏の友人として紹介してもらって知り合いになった長崎大学大学院留学生、アルジェリア 人好青年のアマルさん(28歳)は日本文学を勉強している大学院留学中の好青年です。一年半前に長崎に勉強に来たというアメリカの古い音楽好きということから、やはり同じ洋楽好きのK崎さんと偶然に知り合いその後私も紹介してもらいました。それから何度か一緒に音楽を楽しむ機会を得、私たち家族も親しくなりました。

 私たち家族と近しくなったきっかけは、私が以前から毎月一回主宰していた「諫早フォークナイト」という音楽ライブの最終回にK崎さんとのユニットにプラス2(中野先生とアマル君)の一人としてゲストで一緒に参加してもらうことになり、そのライブに私の家族もK崎さん家族と一緒に観に来て知り合いました。その時のアマル君の格好良さと親しみのある人柄を息子一土が気に入り、また是非会っていろいろ話をしてみたいという気持ちを持ちました。一土は丁度英語を勉強している最中なので、英語で話をしてみたいと思ったようです。親としても、英語に興味を持って欲しいという下心も働き家内と丁度良い機会になるのではと密かに思いました。そのような我が家の彼への思いが通じ、後日いつもお世話になっているK崎さんと一緒に彼を食事に誘い諫早名物のうなぎをご馳走することになりました。

 息子の一土の学校がない二月の或る土曜日、諫早の本明川沿いのうなぎ割烹「北御門」に家族で昼食に招きました。うな丼やうな重、うなぎのせいろ蒸しは特別に珍しくもありませんが、諫早名物と呼ぶうなぎは諫早独自の容器でうなぎの蒲焼きを蒸した料理で、その独特の容器こそ諫早で考案され京都の楽焼で焼かれた陶器に入って出てきます。うなぎは白いご飯と別々に、熱々の熱湯が内側に入るように工夫された二重底になった蓋付きの器になっていて、下の器中の熱湯の蒸気が上がって来るように穴が開けてあり、蓋の中でうなぎが蒸されるという独自の調理方法になっています。その火にかけられて蒸し上ったままをお客の膳に出すという形式です。お客は火傷しないようにその蓋を開け、自ら箸でうなぎをご飯茶碗に盛られた白ごはんの上に運び、一口ひと口熱々のうなぎをいただきます。その食べ方こそが、絶品なんです。

 何だただ単にご飯と別々にしただけじゃないかと思われるでしょうが、それが大きく違うんです。一般的な、せいろで蒲焼きを蒸したものと異なり、独自の器で直接火にかけて蒲焼を蒸すのでサッパリ感があり、全く生臭さがありません。なので、濃いタレで生臭さを消さなくて済みます。その分、ご飯とうなぎ、漬物などの旨味を味わうことができます。

 

 さて、うなぎはアルゼリアでも食べるそうで、川で釣れるとも。アフリカ大陸と言っても地中海沿岸に位置したフランス対岸辺りかな、雪も降るそうです。意外でした。そんな彼も、諫早名物のうなぎは美味しいと、みんなで笑談しながら食べるうなぎは一段と美味しく感じました。そして、引き続き談笑の場を山の中の納屋を改築したおしゃれなCAFEへ移すことにしました。

 東大村の静かな中山間地の大きなメタセコイアの巨木がシンボルの「納屋のカフェわらなや」、我が家お気に入りのおしゃれなカフェへ対州馬の里子(五島産)に好物の人参を持って訪ねました。一土はさっっそく里子に人参を差し出すと、里子は良く動く大きな口をもぐもぐし美味しそうにペロリと食べました。そして、ご主人のS川さんに見守ってもらい里子の背中に跨らせてもらって裏山の方まで乗馬をさせてもらいました。私たち大人は、カフェの中でアマル君とアルジェリア のお国の状況や生活の様子など、楽しい雑談をしました。その中で、アルジェリアには4種類の暦があり1年間で7日ほどズレが生じる、それに乗じて季節も少しづつずれるという、初めて聞く楽しい話もありました。それから、アマル君が3月いっぱいで留学を終え帰国しなければならないということ、そのことを受けてK崎さんから3月のコントレールライブ出演提案がありました。楽しい時間は本当にアッという間で、アマル君のサッカーの練習時間(16時)に間に合うよう3時過ぎギリギリまで談笑しました。

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出島ワーフデビュー & ERIKO OFF会参加

 普段我が家は、都会に出掛けることが余りなく長崎県人でありながら長崎市内に行くことなど滅多にありません。私たち夫婦は、二人とも務めておらず買い物で遠出する時は、むしろ高速で逆方向の福岡方面へ行ってしまうからです。何故なら、決して長崎市が嫌いと言うのではなく市内の地理が殆ど分からないということです。市内の道は狭くてナビで走ろうとしてもゴチャゴチャで怖くて苦手なんです。市電にも乗ったことがなく、要するに田舎者で右も左も分からないと言うのが正直なところなんです。

 今回初めて出島ワーフに行くことになったのは、知人K崎さんのお嬢さんがイタリアから帰省され一角にあるカフェATTICでOFF会が開かれるので、我一家もSTAR WARS(初めての3D&FDX)を観てその足で参加することにしました。先日ちょいわるおやじでのラストライブでセッションしたアルジェリア人のアマル君(28歳・長大留学生)とも会う予定でプレゼントを持って楽しみに出かけました。また、国際的な情報交換の会ということから、三分の一は海外出張をしている知人の国際人広瀬さんを皆さんに紹介しようと誘っていました。 

 さて、OFF会の始まり予定時間の16:00になったので、会場のすぐ側の駐車場に車を入れ出島ワーフを歩きながら店を探していたら、店のガラス越しに手を振るK崎さんを発見、店内へ入りとK崎さん夫妻に歓待されテーブルに案内されました。テーブルには既に数名の方が席に着かれていて、私たちも坂本龍馬と岩崎弥太郎、シーボルトの似顔絵が浮かんだカフェラテとココアをいただきました。我が家は特にイタリアに関係がある訳でもなく単なる子連れの社会勉強のつもりでしたが、たまたま後で来られて家内と一土の隣に座られたERIKOさんのお友達(男性)が本格的なオーボエ奏者で、音楽大好きの息子の相手をしてもらいました。その彼は山梨で支援学校の教職を傍に東京の著名なオーケストラで奏者として本格的に活動をされている人でした。息子と家内は、滅多にお目にかかれない珍しいオーボエという楽器を見せてもらい、話だけではなく直接触らせてもらって大変貴重な手作りのリードまでもプレゼントしてもらい、大変興奮し感激していました。そして、すっかり彼の爽やかな人柄にも魅かれていました。

 今日のOFF会参加に当たって、我が家は最後までイタリアについて何一つ話題にすることができませんでしたが、我が家にとって思いがけない素晴らしい出会いがあり、息子の宝箱にまた一つ大きな宝が増えました。その夜、早速FBお友達になりました。

 

[後日談]

 会えるのを楽しみにしていたアマル君は、一月の試験を前に多忙のため欠席したのでK崎さんにプレゼントを託し渡してもらうことにしました。翌日、早速彼からお礼の連絡が入り、プレゼントを気に入ったとのこと、そして試験が終わったら食事でもしようと話をしました。

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「諫早フォークナイト」最終回

 私は、長年の音楽好きが講じて約3年間毎月1回のアコースティック・ライブ「諫早フォークナイト」の管理を務めてきました。しかし、高齢になったことなどを理由にこの12月の第2土曜日を最後に終えました。その間、私の家族は一度も私の晴れ舞台の様子を観ることもなく、会場となっていた「Music Bar ちょいわるおやじ」のマスター補伽さんに挨拶もしていなかったので最後だけは誘い、出番4番目の私たちのステージ「STENTMEN & FRIENDS」のセッションタイムに間に合うよう家内と息子に駆けつけてもらいました。

 最終回となったライブでは、管理者の私の我がままを許してもらいライブ管理を通じて知り合いになった中から、特に’60~’70年代の洋楽を好きな人とセッションをさせてもらいました。その中の一人K崎さんとは、奇遇にも他にステント留置、誕生日が同じという共通点があり、すっかり家族付き合いをさせてもらうようになりました。そのようなことから、この最終回には家族で来られ、お嬢さん(声楽でイタリア留学)の素晴らしい本格的なオペラもご披露していただき音楽の幅を広げて楽しく盛り上げてもらいました。

 また、国境のない共通語とも言える音楽の楽しさが巡り合わせてくれたオーストラリア人のIさん、アルジェリア人のAさん、そしてN野先生、ながっちゃん、Y下さん、そしてSTENTMENとこの日限りのセッションユニットで、懐かしいアメリカン・ミュージックを一緒に演らせてもらいました。アルジェリア人のAさんにあっては、まだ知り合って間もない28歳という留学生なのに、何故私の青春時代の古い曲を知っているのだろうと不思議な位、世代や言葉、国境を越えて一緒に楽しさを共有できる音楽の素晴らしさを再認識しながらハモりを楽しみました。

 私は72歳という年齢でありながら、未だにこうして音楽を通して新たな出会いに感激をし続けていますが、これは「ちょいわるおやじ」といアマチュアミュージシャンの拠り所をご提供いただいたからこそ、そして「諫早フォークナイト」というアマチュアミュージシャンの方々の発表のお手伝いをさせてもらったから、こそです。この日にもう一つ、大変嬉しい記念すべきギターとの再会を果たさせてもらいました。それは、私が管理者になるきっかけを作っていただいたT田さんが手作りの3本ネックのギターを持って来られたいうことです。ライブを始めた頃、このギターで私のバックをしてもらうなど、いろいろな面で助けていただいたT田さんが私との写真を撮りたいからとわざわざ持って来られました。本当に懐かしく嬉しく思いました。みんな、H伽マスターをはじめ沢山の方々のお陰です。

 私は、まだまだ音楽を楽しむことは止められません。素晴らしい忘れられない出会いと思い出がたくさんできました。皆さん、本当に有り難うございました。

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諫小校内 マラソン大会

 毎年恒例となっている寒い冬枯れの本明河原の「諫早小学校校内マラソン大会(持久走)」が開催され、一土たち3年生は去年より少し距離が長くなり1,280mを頑張りました。今季の河原は、例年より風も弱く天気に恵まれてそんなに寒い思いをしないで応援できました。

 一土は、自分なりの目標順位を掲げて頑張ったのですが、その目標は叶わず19位でした。親としては、もちろん上位にいければいったで嬉しいのですが、目標を持って頑張ること、そして終わりまで諦めずに頑張り通して完走すること、そのことが大事なことだよ、と。何がなんでも、1番や2番にならなくても良いのだ、と言い聞かせてやりました。とにかく諦めないこと、だと。結果はついてくるものだから、と。ついつい、甘くしてしまいます。

 この甘さは、自分の小さい時を想い出しての言葉で、私は身体が弱く痩せっぽっちで、運動に関してはコンプレックスの塊でした。そんな自分からすると、充分過ぎるほどに感じています。

 今年もまた恒例、頑張ったのでということで、大会が終わった帰り道マイカーで自宅近くのプラモデル屋に寄り、事前に下見までして約束していたガンプラをで買ってあげました。

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やっぱり ガンプラ

 息子の一土は、幼稚園の頃から工作や絵を描くことが大好きで、おもちゃも自分で工夫して作れるようLEGOを買ってあげました。少し早過ぎかなと思いながらガンプラも。そうしたら、組み立てずを自分で見てほとんど独りで作り上げてしまいました。そして今では、飾ってあるそれを“これは、自分が独りで作ったんだ”と、誇らしげに自慢しています。独りで作り上げたという達成感と自信を持てたようで、少し背伸びしたものでしたがプレゼントして良かったと思っています。

 さて、久しぶりのガンプラ再挑戦ということになったのは、マラソン大会で目標を立てて頑張ったら何かをプレゼントしてあげるというパターンで、息子の要望が完成品に成りがちにならないよう自分で作る物にしたからです。しかしながら、REGO商品は高価過ぎで却下、そこでガンプラにとなりました。そこで、小さい時からお世話になっている(見せてもらう)近所のプラモデル屋さんで下見していたガンプラを買ってあげました。家に帰ると、すぐ取り掛かり食事よりガンプラ状態になり2日間ちょっとで完成させてしまいました。しかし、それだけでは物足りずクリスマスプレゼントもガンプラをとなり、さらに複雑な二重構造のパーツ数の多いユニコーンガンダムを作るんだ、と。

 親としては、息子のやる気の冷めない内に早く欲しいという要望に応え、サンタさんにクリスマス時期だとサンタさんも混んで大変でしょうから早目の12月早々でも構いません、と前倒しをお願いをしました。そうしたら、快く聞き入れてもらい要望が叶って12月に入るとすぐベランダに届きました。これもまた、学校から帰るや否やすぐ箱を開けてニッパでパチパチ、また3日間で出来上がりました。

 息子によると、パーツが多く複雑になればなるほど楽しいそうです。私の子ども頃は、もちろんガンプラはなかったのでできませんでしたが、小刀を使っていろんな物を作って楽しみました。私も息子同様、工作や絵が大好きで、最後は美大に行くことに繋がりデザインの道を歩むことになりました。なので、やっぱり血筋かもと密かに思ったりもしています。

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高齢者講習会の受講

 この数年、いや専らこのところTV報道で高齢ドライバー事故の問題が頻繁に取り沙汰されています。アクセルとブレーキの踏み間違いや逆走など、高齢化に伴う身体機能の低下や注意力減退状態に陥ったドライバーについて、現道路交通法では規制に限界があります。現在、私も72歳の現役ドライバーであるため他人事とは思えず、早く何らかの対策をしてもらいたいと思っています。

 さて、そのよう中タイミング良く、私にも「高齢者講習等の案内」の葉書が届きました。今度の免許証更新の前に受講が必須であること、そして「高齢者受講終了証明書」がないと更新が受けられなくなる、という通知でした。すなわち、うっかり受講を忘れたり受けなかったりしたら免許証が失効するという通告でした。私も、最近の高齢ドライバーの事故頻発報道を観ていると、当事者の判断に委ねるのではなく当然のことだと思わざるを得ません。この問題は、高齢ドライバー本人の個人的な問題ではなく、高齢社会真っ只中の突入した社会的な問題だと考えるべきだと思います。車というハード側面からの技術的な解消策も研究されていますが、先ずは私たち自身の自覚と社会的責任についての法整備を急ぐべきだと思います。

 講習のカリキュラムは、ペーパー及び実地試験的なものではなく、自動車教習所のコースを実際に教習車で走り教官からのアドバイスなどを受けるというものと自分の身体能力の低下状況を数値的に確認してその実態を知るというものでした。例えば、私の視力については、夜間視力の低下が顕著で「明るい⇄暗い」に対する目の絞り調節機能にあってはその回復時間が73秒(目の眩み回復時間/20歳代は3〜5秒)かかり、昼間の視力1.2に対して夜間は0.5、視野角度も151度、とかなり落ちていました。数値的には年齢相応ということでしたが、少しづつの変化のため気付いていませんでした。

 このように実際に数字で示してもらうことで自分の体の能力低下のことが自覚できます。特に、夜間の運転には気をつけなければと、対向車のヘッドライトを見ないようにやトンネルに入った時の視力の戻りの遅さには驚きました。これからは、このようなことに十分に気をつけて安全運転に努めたいと思いました。 

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とうせんぼう

 諫早市と大村市との市境に近い山間部の有機農場「とうせんぼう(藤川房)」は、共にリタイアー後に知り合ったスローライフの達人藤川氏の名前の音読みから名付けられたもの、木立に囲まれたログハウスを母屋とする山の中の広大な自然有機農園です。

 オーナーの藤川さんは、養鶏や山羊、フランス鴨などの家畜のほか、養蜂、果樹、野菜、椎茸栽培などをされています。私たち家族にとっては、そのような生活が羨ましく、お友達になり一年を通していろんな季節の実りを収穫させています。また、平飼いと自ら作られる有機飼料や野菜で育てられている鶏の自然有精卵と日本ミツバチの蜂蜜などを安価で譲ってもらっています。

 秋の終わりと言えば、干し柿用の渋柿の収穫があります。柿の木だけでも10本以上はあり、いくら採っても採り切れません。藤川さんから、”もうそろそろ採らないと、熟れ過ぎて鳥に食べられてしまうよ”と連絡が入り、慌てて恒例となった渋柿採りをさせてもらいました。それからついでに今季初めて収穫させてもらった「むかご(自然薯)」採り、大きな自然薯の”実”がいっぱいぶら下がっていました。通常、自然のムカゴを見つけるのは素人には難しいと言われますが、さすがに藤川さんにかかると意図も簡単でした。木に覆い被さるように絡んだ枯れた“ツル”を探し、そのツルの途中に生った黒い実を見つけると、その下に傘を逆にさし棒でツルをたたくという簡単なやり方でした。ムカゴは、実は種の入った果実ではなく、茎の一部が肥大化して実のようなもので、地面に落ちるとそこから再び成長するというツル植物だそうです。また一つ勉強になりました。自然とのふれあいを通じて先人たちの生活の知恵を今になって思い知らされています。

 今日では、自然の恵みを季節毎にいただくという知恵はなくなり、季節や旬は関係なく安定した収穫高を確保できる経済効率を優先する季節や天候に左右されない食材の工業化が進んでいます。本来、私たちの食材は自然の恵をいただいたから、“命をいただきます”と、言われた筈だと思っています。

 「とうせんぼう」では、このような屁理屈とは関係ありません。リタイアーした同世代の私たちとして、山の中の自然の中で懐かしを感じながら先人の知恵を今になって知り、そのことに安らぎと安堵を覚え、何と言ってもその楽しさに時間を忘れてしまいます。そんな至福な時間が流れている貴重な場所になっています。

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故人釘山氏の一周忌

 橘湾の大きな空と海に面する小さな岬のてっぺん「殿の山ファーム」、今日は 風のない穏やかな小春日和でした。私たち家族はスローライフの達人故釘山氏の一周忌に生前見舞って以来久しぶりに訪れました。
 懐かしい殿の山ファームでは、故人の生前のドキュメント番組『スローに生きる』VTR(地元CATVによる撮影及び放映)の上映会が催され、釘山さんのご親族のほか懐かしい顔ぶれが集いました。

 最初に殿の山ファームの後継者とならえれた釘山恵吏(二女)さんがご挨拶をされ、生前釘山さんと「この景色だけは守って欲しい」と言われ約束しました、と。ただ何も分からないまま約束をしましたが、守っていくことの大変さを痛感されている、と。娘として、父親との約束を守っていきたいので、皆さんよろしくお願いしますと決意を涙ながらに話されました。

 上映会は、哲ちゃん(ゲストハウス長崎ぶらぶらの経営者大島さん)の進行のもと始まり、お昼時と重なったので故人と関わりの深かったMISSI(ケータリング/坂口夫婦)の手作り弁当を美味しくいただきながら生前の故人を偲びました。病気であることが判明し、アッという間の出来事(腎臓癌)だったので懐かしいというより昨日のこととしてしか感じられませんでした。しかし、祭壇に遺影となって飾られた面立ちは、やはりすっかりやつれ顔に、その変わり様から現実のこととして受け止めるしかありませんでした。

 同じ団塊の世代生まれの一人としてお互いリタイアー後からのお付き合いでしたが、私は故人の潔い生き様を羨ましく思いながら農園を借りて野菜を作ったり、果樹園で収穫をさせてもらったり、動物たちと遊ばせてもらったり、またイベントのお手伝いをさせていただくなど、殿の山で遊ばせてもらった想い出は私たち家族にとって本当に貴重な財産となりました。

 これからも、時々ふらっと、景色を眺めに訪れさせて頂こうと思っています。

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実家の兄の四十九日法要と納骨

 十月二十日、九月五日に永眠した文紀兄の四十九日の法要が終わり、同日吉田家の菩提寺西岸寺に納骨も無事に終わりました。

 当日、法事は12時からの予定でしたが、私は朝8時半ごろ独りで車を運転して10時半ごろ八女の実家に着きました。まだ、誰も到着しておらず私が一番乗りでした。私は紀美子姉さんに迎えられお座敷に上がり、早速礼服に着替えご仏壇にお参りをして皆さんたちが揃われるのを待ちました。そして、11時過ぎには山下のご夫妻(恵仁さんの両親)、和智さんご夫妻、姪佳代ちゃんと娘の奈緒ちゃんが揃い、お座敷縁側のソファーで団欒をしながら正福寺の住職を待ちました。

 12時少し過ぎ、お坊さんが来られ、仏間の仏壇前の祭壇に線香を焚かれ"南無阿弥陀、南無阿弥陀仏、…”と読経が唱えられ、30分ほどで滞りなく四十九日の法要が滞りなく終わりました。住職の説教では、昨今の教師による後輩教師に対するいじめの話を出され、先祖代々から伝わる人の命の尊さと子供たちに対する大人としての在り方について、動物にすら劣る時代になってしまった。人としての生き方のできない教師がいじめをする時代になぜ、子供たちを教育できるはずがない、と世の中の変わり様に嘆いておられました。そして住職が帰られると、元国鉄時代に福島駅のあった近くの和食屋さんに皆さんで揃って行き、美味しい懐石料理をいただきました。

 

 一旦皆さんと実家に戻りそれぞれに別れた後、私は車に紀美子姉さんと兄のお骨を乗せ、甥の知史夫妻の先導車に誘導され大牟田市三池の西岸寺へ向かいました。お骨は、西岸寺の住職にお経を上げてもらってから納骨堂の吉田家の棚の中にお納めしましたが、その時ご先祖の複数の骨壺を順に確認していたら、私の父故幸一郎の壺が大小二つありました。私の記憶では、父がなくなった時、この三池のお墓の他に八女の正福寺(実家でお世話になっている寺)に分骨をするという話があったことを覚えていて、そのために二つに分けて保管してありました。棚もいっぱいになっており、分骨予定だったお骨も皆さん納得のうえ住職に頼んで処分をしてもらうことにし無事に納骨を済ませることができすっきりしました。喪主を務められた紀美子姉さんもやっとほっとされ、穏やかな様子で私も安心しました。

 その後、私は大牟田市の長洲港からの有明海フェリーで多比良港に渡り、島原経由で帰ることにし西岸寺で皆さんと別れました。お寺を離れる時は、目頭が熱くなるのを覚え、たまにはこのお寺を訪れようと心の中で誓いました。そして、フェリー乗り場まではほとんど昔ながらの風合いの残る一本道で、40分程で着き、5時35分発に間に合いました。フェリー甲板から眺める兄の旅立った西方浄土のある西空が真っ赤に染まり、兄の面影を偲いでシャッターを切りました。夕陽の色が、いつもより鮮やかでした

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アイアンマン マスク工作

 息子の一土は、幼い頃から工作や絵を描くことが好きで、小学3年生になった今も飽きずに物を作ったりして楽しんでいます。とは言え、突然“アイアンマン ・マスクを造って”と突然私にリクエスト。なぜ急に?と思ったのですが、“いいよ”と即答。多分最近TVでバットマンとスーパーマンの登場する映画を観てアヴェンジャーズのことを思ったのだろうと。理由はともかく、確かに格好良いし、男の子にはたまらないキャラクターであることは私にもうなづけます。

 さて、私と息子は早速ネットで画像を検索、そしたら段ボールで作るマスクの展開図を発見、これらをプリンターで打ち出し、息子にどのタイプがいいか選んでもらいました。早速翌日、私と家内は、息子が学校に行っている間に材料調達に百均に行き、ゼイソンのお面と柔らかいウレタンゴム製のテンガロンハット、エンビシート、赤色と銀色のスプレー缶を調達し、私は百均材料で、息子は厚紙で、それぞれに制作することにしました。完成まで、息子は2日、私は塗装までの工程だったので4日間かかりました。

 息子の細かい展開図からの組み立ては、先ず各パーツを切り抜き、続いて折り線に沿って山折りと谷折りを繰り返し、そしてそれらを順に接着していくという作業というものでしたが、それらの数多い作業を面倒臭がらず最後まで止められず。結構楽しそうで一気にやり遂げてしまいました。私は、百均と家にある物を活用しネット画像を見ながら雰囲気を真似て適当に造りましたが、出来上がった二つを比べてみると、息子の紙製の方が断然良くできました。

 良い想い出として、息子の記憶の中に残ってくれればというのが親心です。 

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公文 英語 G1メタル取得

 小学校3年生の一土は、1年生に上がる前の幼稚園卒業後すぐ公文学習塾に通い始め、それ以来頑張って続けています。同級生の中にも同じ教室に通っている子もいますが、塾通いをしている子の方が少ないようです。なので、一土に言わせると、公文のある火曜と金曜日は地獄だそうです。学校が終わるとそのまま塾へ直行し、5時過ぎまで勉強してから腹を空かせて帰ってくるからです。

 公文では、最初から、国語と算数、英語の3教科を習っています。これらの中では、算数が少々苦手なようですが、英語に至っては発音も良くこの度中学生レベルに進級できたそうです。

 その頑張った証として、塾からメダルをもらって帰ってきました。我が子ながら、なんだかんだ言いながらも良く頑張っているんだなあと嬉しく思いました。この調子で引き続き頑張ってくれることを願っています。

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ルービックキューブ の激励プレゼント

 小学校3年生になった一土は、親バカと言われるかも知れませんが、学校が終わってから毎週月曜日は習字教室、火曜日は公文学習塾、水曜日はヤマハ音楽教室、木曜日は塾なし、金曜日は公文学習塾に通い健やかに育っています。サッカーやバスケットボールも好きでバスケットボールもやりたいと言いますが、スポーツクラブに入ってまでは…と家内と話しているところです。中学校に入れば、学校のクラブ活動があるからそれからでも…、と言い聞かせています。

 さて、そのような毎日の息子ですが、毎日休まず楽しそうに登校し友達からも慕われて成績の方もまあまあで、情操面もバランス良く伸びているようです。親としては、内の子にしては出来過ぎではないだろうかと、そして良く頑張っているなあと我が子ながら密かに思っているところです。

 そんなに息子に、以前から興味を持っているルービックキューブを買ってあげたら、一般的な3×3は動画サイトを参考にしながら自分でできるようになって飽き足らず、キューブ数の多いものやさらに難しい変則的なキューブを買ってあげました。これらも、同様に動画サイトを見ながら徐々にできるようになっています。

 

[ 後日談 ]

 そうこうしている内、動画サイトを見て1週間も経たない間に結構早くできるようになりました。写真の6個は、それぞれバラバラな状態から9分44秒で全部揃えました。家内も私もルービックキューブ はやったことがないので、どのようにして揃えるのか全くわかりませんが、なんだかパターンがあるようでです。そんな或る日、一土はまたもやアマゾンで変則キューブを見つけ、早速私に欲しいと。私は、一瞬“え〜っ!”と思いましたが、頭を使うので惜しまず直ぐOKしてしまいました。これらも、なんとか挑戦中です。

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宿題パス券

 一土は学校から帰って来るなり、“今日、先生からもらった”と言ってカバンから取り出して見せてくれました。詳しくは分かりませんでしたが、或るテストで100点を採ったらもらえたと言って、「宿題パス券」というものでした。

 この「宿題パス券」は、ほとんど毎日ある宿題を自分の好きな日に出すとパスできるという特典券だそうです。子どもたちにしてみたら、毎日イヤイヤ親に言われながらしなければいけない宿題だから、本当に凄い券だと察することができます。

 先生方も、子どもたちが頑張ったご褒美として、色々とアイディアを駆使して指導をされているんだなあと微笑ましく思いました。叱ってやらせるより、褒めて自主的に頑張るよう仕向けるというナイスなアイディアで我が家の方針と同じやり方ですね。

文紀兄の逝去

 私は、戦後間もなく父吉田幸一郎と母吉田安代のもと福岡県の片田舎で生を受け、大学生になってから家を離れ独り立ちをしました。丁度その頃に父親を亡くし、末っ子の私は残された母親と3人の兄たちに父親代わりになってもらい、特に実家を継いだ長男とその家族には大変お世話になりました。そのお陰で、今日の私はあります。

 長男の文紀兄は、昭和九年戦中生まれの当年85歳、父親と同じ教育者として勤め上げ、晩年は親父譲りの釣りや好きなゴルフを楽しみながら息子家族と仲良く暮らしていましたました。そして、この9月5日の午前11時25分、老衰により浄土へ旅立ちました。

 話は変わり、9月3日、実家の知史さんから入院中だった兄の容体について、病院の先生から、数値が下がって不安定状態なので、ご家族の方は病院へ…”との連絡がありました、との連絡。その2日後、幸いに“数値が戻り安定しました”と追っての連絡がありましたが、翌日“先生から心拍が…”との話があったとの連絡、私は覚悟はできていたものの慌てて自分の車で病院へ向かいました。早る気持ちを落ち着かせながら高速道路(長崎自動車道)の多久IC辺りに差し掛かった時、私のスマホのショートメールの着信音が鳴り、次の金立SAに寄って胸騒ぎを抑えながらメールを開きました。“11:25、老衰により逝去”という知史さんからのメールを確認、そして“今から斎場の方へ移動します”とのことでした。病院へ向かっていた私は、八女市本村の「セレモニーホール香林」という斎場へ駆けつけることにしました。

 12時半頃斎場に着くと、まだお通屋の準備中の吉田家の仮通夜の部屋に通され、そこで到着して間もない様子の忙しそうな儀姉の紀美子さんと知史さん家族に迎えられました。皆さんは、慣れない葬儀の準備に追われ兄のご遺体はまだ斎場には到着していませんでした。そのような中しばらくしたら病院から白い布に包まれたご遺体が運ばれて来て仮通夜の祭壇前の布団の上に寝かされました。顔に白い一枚の布が被せられた寝姿は、身体が小さく、痩せ細ってしまっていました。私は、すぐに兄と対面、その顔はついこの前お見舞いで会った時の寝顔と同じで、小さくなった顔の頬はこけていました。そして、穏やかで安らかな眠りについているようでした。“智ですよ! やっと、楽になりましたね。長い間辛かったでしょう。もう安心してお眠りください。いろいろとありがとうございました。”と話しかけ、手を合わせました。

 

 その夜は、身内だけによる仮通夜となり、私も実家の家族と一緒に泊まりました。翌6日は、午前10時から納棺、夕方の6時から本通夜となり、東京の二人の兄たちも駆け付け兄弟四人一同が久しぶりに揃いました。元気な内に揃えなかったことは残念でしたが、兄弟皆が揃うということは感慨深く、普段考えることのない先祖のことや血の繋がりの重みを感慨深く感じました。以前は、確か、母親の三十三回忌に大牟田三池の菩提寺「西岸寺」で揃ったのが、元気で揃えた最後だったように覚えています。

 さて、7日(土曜日)午後1時からの告別式は、私の家内と息子の一土も電車で駆けつけ、親族のほか学校関係者の方やご友人の方々が多数会葬され厳かに滞りなく執り行われました。弔辞では、ご友人の木下茂様が故人の功績やゴルフ仲間時代のエピソードを、続いて3人の孫たちによる祖父ちゃんの思い出話が披露され、家族に囲まれた兄だったことが偲ばれました。また、会場ではピアノの生演奏によるBGMが流れ、奇遇にもそのピアノ演奏者は私の同級生の安達さんでした。告別式が終了すると、親族で茶畑の中にある火葬場に行き骨壷に遺骨を納めました。そして、引き続き親族による故人を偲び夕食会が「磐井」で開かれ、和やかに歓談をしました。

 閉会後、私は先ず平岡兄をホテルへ送り、その後博至兄と一緒に私たち家族は同じホテルへ。私は三泊目の夜となって少し疲れを感じていましたが、息子と家内が来てくれたので帰路途中にある佐賀市内の「トイザラス」に寄り、我慢できた息子にゲームソフトを買ってあげました。つい先日の大雨被害による高速道路不通のため、途中から水害の爪痕の残った武雄市内の一般道へ降り、嬉野ICから高速に戻って無事帰宅できました。

 

 9月11日、初七日の法要が実家の仏間で速やかに執り行われ終了しました。大牟田の吉田家の菩提寺「西岸寺」への納骨は、49日の法要(10/20)を済ませてからの予定になっています。

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息子一土、小3の夏休み

九十九島松浦島の入江奥でのパールクイーン船上にて
九十九島松浦島の入江奥でのパールクイーン船上にて

 小学3年生の息子にとっての夏休みは、まだ始まる前から何をして遊ぼうかとかどこへ行こうか、色々と夢を膨らませることから始まりました。しかし、どこの家庭も同じだと思いますが、宿題のことについてはその計画から外されたままでした。

 親としては、なるべく言いたくないのですが、まず最初に宿題などのやるべきことから計画しなさい、と。そして、毎日やらなくてはならないことは何かを決めて、その計画どおり毎日過ごしなさい、と。去年まではそうできなかった息子でしたが、今年は夏休みが始まって最初の1週間で宿題帳の殆どを仕上げ、あと工作や自由研究などを残すだけになりました。

 さて、夏休みのスタートはそのような順調な滑り出しでしたが、天候の方が異常で梅雨は空梅雨、気温も上がらず海の日の解禁も寒くてそれどころではない状況に、かと思えばそのまま梅雨明け宣言、その後今度は猛暑日の連続、それから超大型台風の襲来と、それこそこれまでに経験したことのないという表現にぴったりの夏休みでした。

 そのようなことから家の中で過ごすことが多く、息子と一緒にいろいろ遊んだりしました。その中で、たまたまBSTV番組のマイケルジャクソンのイギリス公園に備えた練習風景ビデオが放送されたのをきっかけに、マイケルの音楽とダンサーによる世界超一流のエンターテイメントに魅了されてしまい、毎日ピアノに向かってマイケルの曲を耳コピーしたりムーンウォークを練習したりしていました。その難しさを知りながらも、簡単に諦めずに一生懸命挑戦し続け少しできるようになりました。また、ピアノも習っているので、同様BSTVで録画した「ピアノの森」を毎日見たり、You Tubeのピアニストの演奏や弾き方の動画を見て真似てみたり、いろいろと楽しみながら過ごしました。

 我が家での息子との様子は、特段に他所と変わらないのですが、親にとっては週3異なる塾通いしながら思いの外素直で良い子に育ってくれていますので、ゲーム機購入時期を前倒しして夏休みの終わりに急遽オークションで入手してあげました。

 これらの中から、息子にとって楽しい想い出の一つとして残してくれればと、密かに親心を抱いています。

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Wii U スーパーマリオメーカー オークションにて落札

 6年生になるまでは、ゲーム機は買ってあげませんという方針だった筈の我が家、それがある時から4年生になったらと前倒しになり、結局3年生の夏休みにヤフオクで入手してしまいました。息子との駆け引きの結果でもありますが、息子が夏休みの宿題を最初の1週間で集中的に全部終えてしまったため、親としては何かご褒美ということになり、4年生になったらという話をこのご褒美にせざるを得なくなりました。その代わり、ヤフオクの安価なので手を打ちました。息子は、自ら以前からネットで調べてゲームソフトはSuper Mario Makerとスプラトューン、ゲーム機はWii Uと決めて私にしっかりリストとメモを渡し、その日の来るのをずっと楽しみにしていました。そんな子どもらしい姿を見て家内も前倒ししても良いのではとなり、ネットオークションで入札ボタンを押してしまいました。ちなみに、ソフト一式と別ソフト(スプラトューン)で¥10,000でした。両ソフトともに、インターネットを通じて世界の子供達とOn Lineで遊べるようになっており、ネット時代に親しむことも悪くないかも、と思いました。

 写真は、念願だったゲーム機とソフト一式が入ったパッケージが届いて直ぐの時です。

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少し遅れのお盆(里帰り)

 9歳の息子一土が楽しみにしていた夏休み、計画していたメインの湯布院・八女旅行(実家へのお盆参り)が、大型台風接近によりキャンセルせざるを得なくなり家で静かにやり過ごすお盆となりました。

 今夏の暑さは、ここ数年の異常さに増して更に40度超えという地方が続出、しかも日本海側や北海道なども関係なく、日本国中が猛暑に見舞われました。そしてお盆には、これまでにない大型の台風が日本列島を縦断するという事態になりました。

 

 そのようなことで、我が家は急遽お盆過ぎの22〜23日、鳥栖に一泊して八女の実家の仏様に参るということにしました。先ずは初日、一土希望の九十九島のマールシーリゾートの「海きらら」水族館とパールクイーン遊覧(無人島巡り遊覧船)を、そして鳥栖のアウトレットの近くにある2段ベッド部屋のあるホテルに泊まり、次の日に八女の実家の仏様に参った後義姉と一緒に入院中の兄を見舞いました。

 パールシー水族館「海きらら」へはこれまでも二回行っており、“また行きたい”という一土のリクエストに応え、朝9:30頃マイカーで出発し午前中余裕で佐世保市鹿子前のパールシーリゾートに到着、パールクイーン(九十九島巡り遊覧船)出港直前でタイミング良く列ばずに乗船できました。蒸し暑さはありましたが、雨に降られず普段の陽射しもなく、美しい無人島の間を縫う遊覧を爽やかな潮風を受けながら楽しむことができました。約50分の遊覧を楽しむとお腹の空き具合のよろしく少し遅めのお昼時間になっており、パールシーの手頃な海鮮の店に入りちゃんぽんとにぎり寿司のセットを食べました。それが思いがけなく美味しく、お腹だけではなくさらに満足しました。

 さて、メインの水族館「海きらら」に入館、一土は小さい頃から鮫が大好きでいつも鮫の絵を描いたり粘土でつくったりしていましたので、鮫の実物を見るのも一つの楽しみでした。しかし、この水族館には小さいのばかりで数も少なくちょっと物足りなかったのですが、真珠貝から真珠を取り出す体験とイルカショーを観て新たな良い想い出になったのはと思っています。

 パールシーリゾートを早目の16:00頃に切り上げ、今度は来た高速道路を反対方向の武雄ジャンクションから福岡方面の鳥栖のICへ、約1時間で鳥栖アウトレットに近いホテルにチェックイン、夕食までの間しばらくホテルでゆっくりしました。このホテル周辺は通りが広く、特に歩道のゆったり感は気持ちよく、他では余り見られないまちづくりとなっています。通りには、おしゃれな店がゆったりと並んでいて、お寿司屋や手作りのパン屋、珈琲店などの食べ物屋もあります。夕食はそのお寿司屋で、翌日の朝食を珈琲屋で美味しくいただきました。

 ホテルのベッドは、ダブルベッドと上の一部に2段ベッドが備わった家族向けの部屋で、子どもと親の3人家族にはぴったりです。寝相の超悪い息子は、上段だと落ちる危険性があるので、上のベッドに寝るのは毎回私です。お陰で、結構熟睡できます。翌朝、早目に楽しみにしていた珈琲屋でモーニングサービスを、ゆっくり時間をかけて美味しくいただき、国道3号線を南下し八女の実家に時間通りの10時半過ぎに着きました。玄関には先に義姉が出迎えてくれ、4〜5ヶ月振りの再会となりました。

 私たち家族は、早速仏間にお邪魔し、先祖への報告と吉田家のこれからの健康と息子の将来を見舞ってもらえるようお願いをしました。その後、座敷縁側でお茶をいただきながらしばらく団欒をして兄の入院している広川の病院へ行きました。

 兄は、私たち男ばかりの4人兄弟の一番上の長男で、八女の実家に残り吉田家を継いで早く(63歳)亡くなった父の後、私にとっては父親代わりになり東京の大学まで通わせてくれました。普通だったら、大学を諦めなければならないところを、4人共に同様に大学に通うことができるよう母親と兄たちで面倒を見てくれたと後に母親から聞きました。しかし、どうも長男の兄だったらしいということも後で分かりました。私は、そのような兄に感謝はしてもお返しができないままこの日になってしまいました。

 すでに、話ができない程に衰えた兄の姿を見ると涙がでるだけです。痩せ細った手を両手で握り、手の甲をさすりながら“さとしですよ、会いに来ましたよ。どこか痛いところはないですか?さとしですよ…”とただただ顔を覗き込むだけでした。最初に、そう声をかけた時、目しっかりと開けて私の顔を見てくれたように感じています。しばらく間そのようにしていたら、兄は眼を閉じたままに穏やかな表情になり眠るについたようでした。短い時間のお見舞いでしたが、そのよう様子を息子と家内に見せることができて私の気持ちも落ち着きそっとそのまま“また、来ますからね”と心の中で兄と言葉を交わして別れました。

 兄の見舞いを終えるとまた義姉を実家まで送り、その後私たち家族だけで佐賀のYOU ME TOWNにより佐賀大和ICから帰路に着き無事に帰宅しました。

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火災報知器故障で大騒ぎ

火災発生を報せる点灯と音声が鳴り続ける
火災発生を報せる点灯と音声が鳴り続ける

 以前、昼間に1回我が家の火災報知器が勝手に鳴りかけ自然に止まったことがありましたが、その時からまだ1ヶ月も経たない或る日、じいちゃんがデイサービスから帰宅して玄関で靴を脱いでいる最中(家内付き添い)、突然家のインターフォンの火災警報が鳴り始め“火災です!火災です!”という音声も流れっぱなしになりました。家の中にいた私は、焦ってすぐ玄関から外へ飛び出して周りを見渡しながら非常階段を降りましたが、どこの階からも火事らしい様子もなく煙らしきものも出ていませんでした。しかし、全館の非常ベルはうるさく鳴り響いてましたので、1階玄関の管理人室前にはすでに住居人数名の方達が右往左往されおり、誤報(誤作動)のようだという様子でした。非常ベルを止めるには、管理人(14:00迄在室)室内の設備機械のスイッチを切らなくてはならずその鍵を管理をされている理事長さん待ちだということでした。そうこうしている内に理事長さん(マンション住民)が合鍵を持って降りて来られ、駆けつけていた警備会社警備員と一緒に非常ベルのスイッチが切られ、やっと鳴り止みました。

 私もホッとし、我が家に戻り誤作動だったと話していたら、“ピンポ〜ン”とドアチャイム、先ほどまで一緒だった理事長さんと副理事長さん(女性)らしきお二人でした。すると“火災報知器(インターフォン)を押されました?”と尋ねられ、もちろん押していない私たちは、何のことか理解できないまま“いいえ、押してません”と答えました。結局、理事長さんによると、我が家に火事が発生し誰かがインターフォンの非常ボタンを押した、という記録が残っていたと言うことで我が家への訪問でした。

 “えっ!内が?”と思いましたがすぐお二人を家の中に通し、“そんな様子はないですね。誤作動でしたね?”と言って戻られその時はそれで落ち着きました。そして翌日、家内が管理人さんに誤作動の様子を報告すると、すぐ火災報知器のメンテナンス会社の担当者が来られ、“報知機が鳴っている時、どの検知器のランプが点いていましたか?”と尋ねられ、私たちはそのような仕組みのことなど知らず“そこまでは見ていませんでした”と。結局、どの感知器(6箇所設置)の異常かは分らず全ての部屋の製品型番を控えて帰られました。その時、“もし、何かあったら夜でも構わないので連絡してください”と言われて名刺を置いて行かれました。

 

 そして、その名刺の連絡先に慌てて電話することになるとは思っていなかった翌日の夜、私と息子が寝付いて間もない23時半過ぎ頃、家内もお風呂から上がっている時、火災報知器が“キンコーン、キンコーん、火事です!、キンコーん、キンコーん、火事です!”と、暗闇の中再び鳴り出しました。私は半分寝ぼけたまま慌てて布団から起きて電気は点けたものの、息子はそのまま目を覚まさず寝入ったまま、そこへ家内がびっくりして駆けつけました。以前の時、もし報知器が鳴ったらどの警報機のランプが点灯しているか見ておくように言われていたのですが、各部屋(6箇所)どこも点灯しないことを確認して、預かっていた名刺の番号に早速電話し飛んで来てもらいました。前後してマンションの正副両理事長さんと管理会社(アルソック)の方たちも慌てて駆けつけて来られ、マンションの非常ベル全部が鳴りっぱなしになり、我が家だけではなくマンション全体が大騒ぎになりました。

 非常ベルが鳴り始めてから騒ぎが収まるまでの約1時間、先ず最初に駆けつけてもらった名刺の方(警報機メンテ会社の方)がどの感知器の誤作動かを特定するためセンサー部分を順番に外されたのですが、結局警報は鳴り止まず特定できませんでした。続いて、インターフォンの警報音「キンコーン、キンコーン、火事です!」を強制停止、しかしまだ火災マーク表示は消えませんでした。この誤作動状態であることは確認できたのですが原因は不明のまま、警備会社の警備員と理事長さんとで1階の管理室の非常ベル停止され、やっと静かなマンションが戻りました。

 しかし、引き続いてメンテ会社の担当者は色々と点検をされたのですが、インターホン連動の火災報知器の異常は収まらず、インターフォンの分解、導線テスト(テスター調べ)などの配線異常の検査も虚しく正常に戻らず、インターフォンの基盤異常が濃厚ということでその日は終わりました。

 そして翌朝、マンション管理人さんよりマンションのインターフォン・メンテ契約中の会社の方をすぐ派遣するという連絡をもらい、昨夜の名刺の方と一緒に来られ、一通りの確認の後やはり基盤の異常ということになり、基盤交換をしてもらいめでたく元に復帰しました。これで一安心、後は感知器の交換部品待ちということになりました。やれ、やれ。

 

[後日談]

8/30、センサー交換の品が届いたという連絡があり、6箇所一式新しくなりました。これで安眠できます。

今年は、給湯器の漏電による停電頻発のため給湯器の交換、トイレ排水パイプ詰り、そして火災報知器の異常による誤作動と、設備系の故障が相次ぎました。古い建物なので経年劣化は致し方ないと思っていますが、事が起きる前の出来事だったので良かったです。

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トイレ詰まり

 築30年という古いマンション7階の我が家、1年ほど前にトイレを改修し当時新型の節水タイプの泡泡洗浄の「アラウ〜ノ」に変えました。ところが最近、今思い直すと、水を流すとボコッボコッという泡音がするようになって水が勢い良く流れないようになっていました。

 4〜5日前、私が大きい方(多目に)をした後水を流したら、勢いがなく2度流しても流れずに水が便器一杯になり溢れそうになってしまいました。私は慌てて家内に来てもらい、ゴム製の「フカフカ(?)」で何度の処置してもらったのですが、全く変わらずダメでした。なので、家庭のトラブル業者に連絡しましたが直ぐには来てもらえず、その日は夕方までセブンにお世話になることになりました。

 一度、専門業者に直して(大き目のポンプ)もらったはずでしたが、しかしまだ何日も経っていない今日、またもや私が大きい方(便秘ではありません )を大量に流したら、嫌な予感!、また前と同じ状態に陥ってしまいました。再び自力でフカフカを、当然効き目無し、お盆の最中エライことになった!、運(ウン)が悪いなあ、と凹む。結局、今度は以前と違う365日対応の“くらし安心、なんとか”の専門業者に連絡、夕方までに来てもらうことにしました。

 

 ピンポ〜ン、少し太目で関西弁の親しみを覚える男性が訪問、“どなたか、糖尿病の方はいらっしゃいませんか?” と尋ねられ、“いえ、内にはいません” と、家内が返事。今度は"便器に何か落としたりされていませんか?例えばボールペンとか、など?" と。しばらくそんな問診状態、すると赤いバズーカのようなデカい注射器のようなポンプを取り出して数回注射をされたのですが、なんとか排水はできましたものの完全ではないということでした。排水の状態が、プロの目には不完全で排水後“ボコ、ボコ”という泡が上がって来る状態を見て、まだ何かが引っかかっているようだ、と。例えば、ボールぺんのようなものがパイプの中に引っ掛かっていると、それにペーパーなどが絡んで部分的な詰まりを起こし段々と酷くなる、と。そのような時、泡が上がってくるようになるというメカニズムだそうです。確かに、と納得。そして、“なので、便器を外してパイプを調べてもよろしいですか?”と聞かれ、“どうぞ、どうぞ、むしろ、これから引き続きお願いしてもいいんですか?”と、夕方からだったにも関わらず返ってありがたくてお願いをしました。

 修理の方が来られる前、家内と私はインターネット情報などを参考にしながらP社製の新機構(パイプ電動回転)の故障の可能性があることを突き止め、家内は早速他のメーカーの物に交換も考えていました。新規参入のP社製品は、他のメーカーにはないパイプを反転させて洗浄水を流すという機構を採用しているらしく、どうもその機構部分のトラブルのようだと思いました。そのようなことから、てっきり間違いないとそう思って見守っていたところ、なんと全く関係なく、私の毎日飲んでいる血糖値を抑える薬のせいだということが判明、びっくり仰天でした。なので、最初に“糖尿病の方はおられませんか?”と聞かれたのだそうです。

 トイレの便器と便器と床の排水口を連結する変形パイプが外れたら、床の大きな排水口(塩ビパイプ)が殆どゴム状のシリコンのようなものがパイプ全体を詰まらせていました。イヤイヤ、ビックリ!この一年半足らずで、私の飲んでいる薬がこんな状態にまで、と驚きました。実は、私は糖尿病ではないのですが、その予備軍で血糖値を抑える薬を以前から毎日服用しています。修理の方によると、糖尿病の薬を服用している者の便には、どうも粘りのあるペースト状のものが混じっているらしく、それが配管内のカーブ箇所などの内部に付着して徐々に詰まらせてしまうようだとのことでした。そしてまた、最近のトイレの特徴として節水機能があること、配管が排水を直に落とすようになっていない、また古い建物とは床の配管位置が合わず横方向に配管を変形させて繋ぐ、合わせて節水のため排水量を減らすなどの原因が考えられるとのことでした。

 配管内の付着物を取れる範囲で除去後、配管を繋ぎ戻して便器を復帰、水を流して確認、なんとかOK。というのは、勢い良く洗浄水を便器は吸い込んでくれるのすが、水が流れた後水が落ち着くと、泡が2回ほどボコボコという音を立てて上がって来ました。なぜ泡が?ということは、床の配管からマンションの共用配管までの間に多分S字配管箇所(匂い止め)があり、それらのどこかに狭くなっている所があることが想定されそこから泡が上がってくるのだと、そのために少し遅れて泡が上がってくる現象が考えられるということでした。なるほど、理にかなった説明を受け、納得しました。この先、その部分の配管洗浄を専門業社に依頼された方が良いですよ、とアドバイスを受けました。

 ということで、その内に本格的な洗浄と私は主治医に薬の成分と便中のペースト状の正体について、報告とメカニズムの相談をしようと思っています。

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任天堂ゲーム機3DSの修理

 我が家では、息子の一土(3歳)に、生き物はいつかは必ず死に物は壊れる、そしてまた、生き物は病気や怪我をし物は故障する、そのようなものである、と。さらに、生き物は不慮の事故に遭わないように病気をしないように身体を丈夫にしておかなければならないこと、また物は壊れないように大事に取り扱うように、そして故障したら直ぐ捨てずできるだけ直して使うように、と。そのように教えています。

 最近、息子は学校の帰りに度々友達の家で遊んで帰ってくるようになり、その理由を尋ねるとその友達の家でTVゲームをさせてもらっていることが判明。我が家では、6年生になるまではゲーム機はダメと言い聞かせていたため、こっそり立ち寄っていました。そんな或る日、壊れた任天堂製の3DS(小さな携帯ゲーム機)をもらって帰って来ました。息子としては、動かないゲーム機を手に持ち真似事をするだけでも楽しそうで、きれいに掃除したり、操作ボタンを触ったりしてました。そして、私に見せ、“これ、直せるかなあ?”と。私は、息子に、“物は、壊れるもの、そして…”と教えていた手前、また私が自分のギターや釣り道具を修理したり改造したりしている様子を興味深く見ていたので、当然のこととして私にそう尋ねました。

 私は、そう言われるとそのまま放っておく訳にはいかず、“そうだね、じゃあバラしてみようか…”と。電源が入らなくなったと聞いて来ていたので、一緒に分解すことにし息子に私の持っている小さなドライバーセットを貸してやりました。そして、ネジを順番に並べながら外していくよう教え、外側のケースから順に基板が剥き出しになるまでパーツを分解して行きました。電源が入らないということは、ACのプラグ周辺の断線が考えられるので、ソケット周りを調べたところ、想像した通りプラグ部品と基板とのハンダが割れて剥がれていました。それから、ソケット内のガイド樹脂の破損もありました。息子は、この部品が原因だと分かるとすぐに自ら通販(アマゾン)で部品を検索し、“あったよ!”と興奮。私は直ぐその場で注文しました。パーツは中2日で届き、私は百均で先の細いハンダゴテを入手して壊れた部品と交換をしてあげました。その後は、息子が独りで元通りに組み上げました。

 翌日、ACアダプターをその友達から借りて来て、いざスイッチON、見事に赤の通電ランプが点灯、“やったあ〜!”と息子と叫びました。そして、一土は、家内のところに喜んで報告に行きました。そして、私は、電源は入っても基板の中が壊れていることもあるので、まだゲームがちゃんと起動するか否か分からないよ、と喜ぶのはまだ早いかも知れないことを言い聞かせ、順に慎重に画面を進めていくよう促しました。ゲーム機(内容や操作方法)のことは知らなかったのですが、なんとなく進めていったら、ちゃんと動くではありませんか。"直ったよ!カズ直したよ!動いたよ”と、二人で大喜びしました。

 

 数日後、一土は何やらカードを手書きで作り、それを試しにカメラ機能で読み込ませたら、その手作りのカードを認識してしまいました。そして、プログラムが起動してしまうという思いがけない展開になりました。しかし、この3DSゲーム機は機種が古く画面も小さく単なるゲーム機のため、せっかく直ったのですが返すことにし、結局次世代機種のWii Uをヤフオクで探してあげることにしました。6年生になったらという約束のものでしたが、家内と相談をして大幅に前倒しすることにしました。

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極暑避難と想い出作り(渓遊び)

 ここのところ毎年、地球規模の異常気象と言われ“想定外”や“何十年に一度の”、“経験したことのない”大雨等に見舞われ、各地で大災害が発生するようになりました。気温にあっては、北海道や日本海側の地域でも猛暑日になり、西日本地域より高温になることもしばしばです。

 今年は、昨年に増して気温も猛暑日続きとなり、台風もこれまでにない大型で日本列島を脅かし縦断して行きました。以前は、長崎や鹿児島辺りに上陸することが多かったのですが、最近はそのコースも全体的に北東にずれた傾向にあり、お陰で長崎方面では影響が少なくなりました。

 そんな今年の夏、当地諫早でも35〜36度(他所は40度超えもあり)という日が続き、クーラー無しでは生活できなく24時間クーラーの中でした。子ども達にとっても、楽しいはずの夏休みなのに外で遊ぶことができず、日々熱中症対策のTV番組ばかりです。とは言っても、家の中でずっと過ごすのは辛く、近くの山の中の渓流に行って涼むことにしました。

 台風一過のお盆過ぎの8日猛暑日、私の遊び場の一つ、家から15分程で行ける小さな川の中流域の渓に二家族で向かいました。途中、山道になるため私のRV1台に相乗りして一番上の砂防ダム上の河原にサイトを作りました。いつも毎年行く小さな堰のある水遊びに相応しいポイントに行ったのですが、この春から始まった河川工事(砂防ダム建設)がまだ終わっておらず、結局さらに上流域の家族連れは殆ど来ない防ダムの所にしました。同行の家族にはびっくりさせてしまったかもしれませんが、結局返って最高の自然環境の中となり良かったです。

 山の中の渓流空間は、想像していた通りの別世界で、木陰の清流に椅子をセットして足を浸しながらのおにぎりは最高でした。自然の渓空間は言うまでもなく、清々しい自然のクーラーは本当に気持ち良く、下界と5〜6度差があると思います。私自身は渓流釣りでこのような場所には来るのですが、家族を連れて来るのは初めてで、思いがけない山岳渓流での水遊びとなりました。何事も経験と言いますが、こんな奥まった所まで家族連れで遊びに来るというのは普通では考えにくく、怪我もなく難なく半日楽しむことができ結果オーライでした。

 さて、子ども達は水と言えば学校のプールや海水浴の緩い水ばかりなので、澄んだ清流の水は冷たく初めてのことでもありなかなか腰まで浸かることができませんでした。でも、徐々に慣れ、終わりには体まで浸かり水の中を覗いたり手で歩いたりして沢ガニなどを捕まえて楽しみました。私は、ヤマメの綺麗な姿を皆んなに見せようと、近場でフライをキャストしましたが、合わせ切れ1回、空振り2回で、実物の渓魚を見せることができませんでした。

 子ども達には、日常とは異なる自然の中で普段できないことや感じられないものを感じたり、自然とのふれ合いを通して思い出の1ページにしてくれれば、と。自分たちで、清流の流れで冷やしたスイカを丸ごとスマイルカットして食べたことなど、光景とともに素晴らしい想い出にして欲しいと思っています。

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うきうきビーチ海水浴

 夏の“うきうきビーチ”海水浴は、我が家の夏休みの恒例行事となっており、息子一土との約束をクリアーするため親の務めということでおにぎりを持って行きました。家から車で20分程度で行ける距離なので、いつでも気軽に行けると思いつつも近くにプールもあるし、この暑さの中ではとついつい足が遠のいてしまいます。72歳という私としては、特に今年の猛暑続きの中の海水浴は、命がけとなりますから。

 さて、7月31日、午前中から行って午後一番暑くなる前には帰って来ようと、じいちゃんのデイサービスの時間内に行って来ました。11時頃ビーチに着くと人が殆どいなく、海水がなくビーチが殆ど干上がった状態でした。監視人によると、干潮時間が12時半ごろのため今引き潮の最中である、と。“道理で”と納得、しかし遊泳エリアの殆どが砂地に。

 とは言え、わずかな遊泳エリアで、お陰で人も少なくプライベートビーチのような感覚で楽しみました。しかし、海の水は生温かく、久しぶりに浴びた海の日差しはさすがに猛暑日となると日焼け止めクリームを突き抜けるほどでした。

 そんな海水浴を楽しんだ後の楽しみ、ちょっと遅めの昼ご飯に新しくオープンしたステーキ屋を覗いてみました。私にとって、肉が少し硬めでした。様子が分かれば、それで十分です。

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小浜ちゃんぽん昼食会

 1ヶ月前に休みと知らず訪れた小浜ちゃんぽんの龍食堂、K崎さんご夫妻と再びのリベンジ昼食会、小浜温泉街の旧路地裏の散策とお喋り、そして唐比の蓮園で蓮の花を楽しみました。

 前回は、定休日と異なる曜日だったので大丈夫だと思い直接行ったところ、“エッ!休み!”と店の前で立ちすくみ、ならば温泉蒸し釜の所に戻ったらここも休み。やむなく、近くの旅館1階のレストランで昼食をとりました。そして、次なる目的地のカフェ(刈水庵)へ行ったらここも休み、という川崎さんご夫妻には大変な失礼をしてしまいました。

今回は、その約1ヶ月後のリベンジ、昨年の今日(6/28)唐比の蓮の花が綺麗だったので今日もと思って行きましたが、昨年ほどではありませんでした。でも、大きな蓮の花の優雅な美しさには、やはり、うっとりと癒されました。

 さて、小浜ちゃんぽんについて、「ちゃんぽん」と言えば通常長崎が本場ですが、それはそれとして、“小浜ちゃんぽん”はどう違うのかと言うと、ちゃんぽん自体が大きく異なるというより食べ方に有る、と私は思います。それは、お寿司屋さんで握り寿司とセットでいただくという食べ方なんです。私も、最初は組み合わせに少々疑問を抱いたのですが、いざ食べてみると一瞬にしてその疑問は吹っ飛びました。絶妙にちゃんぽんのスープがやや薄味に調整されて新鮮な本格的な握り寿しとのマッチングにより最高の美味しさが生み出されていること、その美味しさに感動すら覚えたほどでした。それ以来、小浜に通うようになっていたのですが、そのお寿司屋のご主人がご高齢だったので店閉まいされ、その後しばらく食べられなくなっていました。ところが、昨年新たなお店を探し当て、再び小浜ちゃんぽんにあり付けました。よって、K崎ご夫妻にも、是非味わって欲しいと思いお誘いしました。その味ですが、その美味しさについては、食べてみるしかないと言えます。したがって、ここでは割愛させてもらいます。

 続いて第2の目的のカフェ、デザイナーの方がオーナーのギャラリー併設の古民家改築の喫茶店へ、山間の車の通れない狭い路地の坂道を迷いながらそれこそ文字通りの散策を楽しみながら、途中行商のパン屋さん、迷い込んだ畑の家のおじいさんと天草大王(鶏)親子に遭遇して卵をもらったり、やっと最後にたどり着いた古民家カフェ、昔懐かしのソファーでくつろぎながらお喋りに大笑いし時間を忘れてしまいました。何のお喋りだったかははっきりと覚えていませんが、確か、K崎さんご夫妻がオリンピック入場券購入の整理券が当選したということで、オリンピック観戦時の東京での宿のことだった思います。ともかく、単純に喜べず代わりに宿の確保のことが大変なことになったということでした。

 大笑いで時間を忘れ慌てて唐比(諫早と小浜の中間)の蓮園へ、ところが今季は梅雨に入っても雨が降らず真夏日続きなどの天候不順続きで蓮の成育が不十分となり、蓮の丈が低く葉っぱも小さく、花の数が少なく池の水も少なく、全体的にしっとりとした感じが少なく例年に比べてその美しさも今ひとつという感じでした。菖蒲や紫陽花の花にも共通した観を感じた、少し残念な今季となりました。

 でも、雨上がりということもあり蓮の花はやはり綺麗でした。また、K崎さんご夫妻とのおしゃべりの時間には大きな花が咲き、いつもながら大満足な楽しい一日となりました。

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日本ミツバチ 百花蜜採集を見学

 いつも自然有精卵を分けてもらっている知人のスローライフの達人、F川さんの別宅へ日本ミツバチの蜂蜜を採取する作業を見学に行きました。2〜3日前のこと、F川さんより自然有精卵のラベル増刷(小生のデザイン)を依頼されていたのでラベルを届けがてら遊びに行った時、蜂蜜採集作業が途中の様子だったのでその作業を見せてもらうことになりました。早速土曜日、息子の一土を連れ、お昼の弁当持参で東大村の山の中のF川さん自然農場を訪れ、採取の仕方などいろいろ実演付きで教えてもらいました

 F川氏は、巣箱を10セット以上置かれ20~30万匹の日本蜜蜂を飼われ大量の百花蜜を採取されています。このまま増え続けると大変な事になりかねないということで、来春三月の分蜂時期に巣箱を1セット分けてもらおうかと企んでいるところです。F川氏によると、“蜜蜂が一番楽!餌もやらずただ置いておくだけ”、“やることは箱を作って置くだけ”、そして“年一回、蜜を横領するだけ”と。大体のレクの内容はほぼ以上でした。“であれば”、と我が家では本気モードへ。来年の3月が楽しみです。それまでにサイトなどで巣箱作りと養蜂の仕方など、勉強しようと思っているところです。

 巣箱の設置場所としては、市役所や図書館、商店街に近い家内の元レストラン中庭はどうかなあと考えています。隣には神社もあり、蜂の行動範囲が2キロメートルと聞いているので、市役所周辺および諫早高校や諫早公園など、一年を通して色々な花が咲くので大丈夫だろうと思っています。息子の一土も、大人しい日本ミツバチの健気な様子に可愛いさを感じ、飼ってみたいと言っています。

 F川さんによると、巣箱を置いてみて蜂たちが巣の場所として相応しいかどうかで、もし相応しくなければ、蜂達は巣箱を置いて他へ行ってしまうそうです。置いてみないと分からないとのことでしたが、居着いて蜂蜜を集めてくれるようになることを願い、来春トライしてみたいと思っています。 

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一土9歳、前倒し誕生日プレゼント

 来月の7月9日、9歳になる息子へ 既に持っている自転車が小さくなったので、以前から買い換えてあげると約束していた20インチの自転車を誕生日プレゼントとして前倒しして買ってあげました。

 本来ならば、子供専用が望ましいところですが、大人も乗れる20㌅6段変速付き折りたたみ式自転車にしました。その理由として、道交法では自転車も車道を走らなくてはならないのではと懸念され、そうだとしたら息子にはまだ危なくて早過ぎると思うからです。なので、自動車の来ない公園などの安全な所で自転車乗りをするということで、車に積んで移動できるよう折りたたみ式タイプにしました。この折りたたみ式タイプは、タイヤが小さ目の20インチで大人にも対応できる(サドル高可変式)サイズのため、今現在の息子一土にはまだ少し大き目ですが、すぐに丁度良くなるだろうと思いこのタイプにしました。また、サドル高を簡単に調節できるようになっており、私も乗れるとの判断でした。実は、私は10年以上前に買ったパナソニックの電動アシスト自転車を持っているのですが、長い間放置して乗っていなかったためバッテリーがダメになってしまいました。でも、6段変速機がついているので電動アシストが効かなくても乗れることから、ともかく掃除して息子と一緒に久し振りに自転車を漕いでみようと思っているところです。

[ 後日談 ]

このことをFBアップしたら、小学生は車道ではなく歩道を通行して良いとのありがたい情報提供を受けました。確かにそうだと思い、安心しました。また、4年生になると、小学校で自転車講習会があるとも聞き安心しました。それまでは、車に乗せて行き、安全な所で降ろして楽しもうと思っています。

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諫小運動会(一土3年生)

 5月26日日曜日、心配されていた天気も好天となり、息子の一土が通う諫早小学校恒例の運動会が開かれました。当地長崎県や北部九州地方の天気は好天という表現で良かったのですが、北海道や東北及び関東地方は30度という異常気象の夏日になり、熱中症続出の日本列島となりました。以前の長崎地方は、台風の通り道や豪雨などが常識でしたが、この何年前からは大雨や台風の被害などがなく、いたって平穏な日々です。

 運動会と言えば、家族総出のお昼の弁当というのが定番、諫早の小学校も昔さながらの運動会スタイルで我が家も家内の手作り弁当を囲みました。何と言っても、冷たい素麺が一番人気のメニューとなります。去年までは木陰の下に組み立て椅子を並べ、太陽の移動に沿って木陰を確保してましたが、今回は日陰テントと簡易テーブルを入手し涼しい風を感じながらお弁当を食べました。

 そして、もう一つの定番が駆けっこです。その80m徒競走、家内も私も1番か2番のどちらかではないかと思ってましたが、息子によると3番だったそうです。ヴィデオを何度見ても、1番のようにも見えるんですが、でも順番より頑張ったどうかが大事なことだから、と息子には言いつつ少し残念な気持ちでした。リレーも一人抜いて1番でバトンを渡すことができたし、去年より体力もついたようです。

 予定の午後2時半過ぎ運動会ならではの幸せな疲れの残る1日となりました。家に帰ると、息子との約束どおり、敢闘賞としてドラゴンボールライセンスカードとカード入れバインダーと予備ポケットをネットで注文してプレゼントしました。

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福高41会3年5組クラス会「雲仙会」

 この平成30年20〜21日(月〜火)は、いや元号が令和になったばかりの高校時代のクラス会「雲仙会」でした。

 今回のクラス会(福高41会3年5組)は、私が幹事を命じられ3年前に一度企画したものでした。その年、熊本大地震が勃発し同級生の一人の家も被害に遭うという事態になり休止していた会でした。昨年末の香椎会(さかな屋/福岡在住主体者集まり)で再開の話になり、再び私が担当することになりました。

 開催時期は前回と同じミヤマキリシマ開花時期に、しかしホテルは残念ながら雲仙観光ホテルから雲仙宮崎旅館に変更しました。その理由は、由緒ある格調の高い雲仙観光ホテルが、昨年9月より日本トラディショナルホテル協会(全国8カ所)の一員となっていたため、同じ料金(¥18,000/人)ではできないということになり、その代わりに五つ星ホテルを探しました。こちらも伝統あるホテルで、どちらかというとレトロな洋風ではなく落ち着きのある立派な庭園のある高級和風旅館という趣の、特におもてなしの素晴らしい宿です。

 「雲仙会」の集合は、現地雲仙宮崎旅館に17:30とし、集合手段についてはそれぞれ各自にという無責任と言えばそうですが、この方法は従来通りということとさせていただきます。とは言え、私は関東からの3名の送迎を引き受け、先ず諫早に前泊されていたHさんをホテル(10:00)に迎えに行き、続いて大村の長崎空港(12:58)にNさんを、そして引き続き八女に前泊だったIさんをJR諫早駅西口(13:30)に迎えにに回り、お三方を拾って雲仙へ向かうという行程でした。そして、もう一人関東からのRさんについては、大村市内の以前仕事関係先への挨拶を済ませてからということで、旅館専用送迎バス(JR諫早西口15:00)を活用されて独りで来られました。これらの予定は完璧と言っても良いほどでしたが、天気は大きく外れてしまい、曇りの予報が本降りの雨になり、雲仙は雨と霧で雲の中という感じの観光どころではない初日となりました。そのようなことから、他の車組(長洲フリー車、福岡&大分車)3台も早く旅館到着となり、私の車が最後の到着となり4時頃皆さんと再開できました。

 さて、予定通りの18:30スタートとなった13名参加の「雲仙会」、その会場正面に「令和元年5月20日 72歳まだまだげんき 福高41年卒業3年5組 雲仙会」という立派なNさんの書に拠る横断幕を掲げました。この書の準備については幹事の私も聞いておらず会場にぴったりの格調高く、令和元年に相応しい雰囲気になりました。さらにもう一つ、Nさんより能楽「高砂」を吟じてもらい又指導のもと会場皆で先生について “高砂屋〜あ・・・” を吟じました。今回は、これまでにない格調高い集いになったのではと少し鼻が高くなりました。

 乾杯の前いつも通り、終身会長のIさんから今回の会の時点で既に8名の方が亡くなられたという報告があり、高齢者となった私たちなので致し方無いこととして受け入れざるを得ないことですが、その数字が変化していくことに対し皆さんまだまだ元気とは言え他人事とは思えない様子でした。また、それぞれ一人ずつのスピーチでは、雲仙は小学校の修学旅行以来の60年振り、小学校の先生だった同窓生からは修学旅行の引率で度々来ていた、故郷大川からいつも遠望していた雲仙に初めて登ったなど、とそれぞれに感慨深い話を聞くことができ雲仙での開催意義を感じることもできました。とは言え、その後の宴会の盛り上がりは、格調の高さとは引き換えに異常と言わんばかりの化けの皮が剥がれた馬鹿笑いと大声の渦となり意味不明・上下隔て無し・無礼講の大声・セクハラなど、何が何だかわからないままのジジババ集団に変身しました。でも、なぜか理屈無しの不思議な心地良さと楽しさを感じてしまいました。そして、次回の再会場所「八女」を満場一致で決めましたが、そのほか何を語ったのか覚えがありません。

 初日の雨霧に代わる二日目は、劇的なミヤマキリシマ観光絶好日和の返ってその美しさが際立った雲一つない五月晴れとなりました。7:30に豪華な美味しい朝食を、9:30玄関前に集合してそれぞれのマイカーに乗合い、13名一行揃って私の先導にて仁田峠へ向かいました。途中の展望台で降りて一枚記念写真を撮り(旅行者にお願い)ましたが、さすがに寒くヤッケを一枚羽織りました。そして、今回の目的の一つでもあったミヤマキリシマ観賞、私も実際には初めて観る高山植物の花の健気さには感動を覚えました。厳しい環境の中だからこその逞しさが作り出す自然の美しさは逸品です。人為的な整備された公園の花とは全く違う、この時期ならではの新緑とマッチングした短い間だけの自然の美しさでした。また、仁田峠からロープウェイで登った妙見岳からのパノラマは、すぐ近くに迫る普賢岳のヨーガンドームの迫力と有明海越しや東シナ海方面の島々まで見通しのきいた遠望は、しばらくの間時空を超えてそれぞれに想いを馳せる眺めのようでした。そして、帰路の途中、小浜温泉の名物ちゃんぽん「龍」食堂に一行をお連れし、ちゃんぽんセット(小浜ちゃんぽんと握り寿司¥1,200)を食べそれぞれに別れました。私の車と福岡組は、その後諫早干拓営農地へ案内し広大な干拓地農地と干陸湿地原と調整池越しに望む雲仙岳の眺めを楽しみ別れました。

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主治医からのお告げ

 私は、定年退職後の2010年3月、土曜日の午後自宅にて急性心筋梗塞で倒れ、救急車で諫早日赤病院経由の長崎医療センター(大村)循環器内科に入院しました。カテーテル治療のお陰で一命を取り留め、それ以来約10年間検査入院と定期外来を続けながら元気に普段と変わらない生活して来ました。

 その間、主治医の先生は代わりましたが、当初の冠動脈狭窄箇所のステント留置に加え2個目を追加、そして他狭窄部のバルーン拡張、留置ステント付着物の除去及び薬剤塗布等、検査入院と定期外来をしながら進行監視と薬物治療を継続しています。

 過日3月の検査入院の時、特に進行等が見られないので今後どのようにするか考えましょうと言われていて、この5月の定期外来にて “良かったですね〜、これで検査入院は卒業にしましょう” と、主治医の先生から血液検査などの検査結果のデータを確認後話がありました。そして、“お薬は、近くの病院から処方してもらいますか?わざわざ(遠い)こちらまで来ていただかなくても良いですよ。どうしましょうか?” とも。

 私は、これまで先生にお世話になって来れたお陰で今の元気な自分があるものと思っているので、通って来る距離など全く関係なく今後もこれまで同様定期外来に通わせていただきたい旨を告げました。大袈裟かも知れないが、命の恩人とも言える F先生の目の届く所で生活を続けるのが私の安堵感でもあったので、引き続き3ヶ月後の外来予約をお願いしました。

 今後、私の身体に何かがあった時、掛かりつけ主治医は誰ですか?と聞かれた時、長崎医療センターの循環器内科のF先生ですと言えることが、私にとっては一番大事なことであり、家族にとっても同じです。処方箋の内容はこれまで通り変わらず、いつもの調剤薬局で3ヶ月分の薬を受け取って帰りました。長年の検査入院からやっと解放され、清々しい帰路となりました。本当にあるがとうございました。

平成31年4月30日(平成最後の日)

我家の書斎窓からの東方の景色
我家の書斎窓からの東方の景色

 以前、昭和から平成に元号が代わった時私は41歳でしたが、その時の様子をはっきりと記憶していません。まだその頃は、東京に住んでいてデザインの仕事をフリー(零細な株式会社オフィスヨシダ)でしており、その後の平成6年の4月46歳になる直前、諫早市の当時の野田市長に正規職員として迎えていただき企画部の一職員となり、定年まで諫早市にまちづくりに仕えました。

 さて、今日はその「平成」時代が終わり、明日から「令和」になる平成最後の日となっています。春のGW10連休の中日で休日ですが、昨日から雨と霧に包まれています。連休と言っても我が家は普段と変わらず、じいちゃんだけがいつものデイサービスに出かけ、私と妻子は特に予定も無くTVを見ながら家で過ごしています。TVでは、もっぱら何日か前から天皇退位にかかる特別番組が放映され、昭和から平成時代の皇室の歴史など天皇陛下と皇后陛下の生い立ちからご結婚に至る経緯や象徴天皇としてのあり方を模索されたご様子など、国民に親しまれる象徴天皇について日本の歴史とともに振り返っています。

 そのような中、大変印象に残るのが皇后美智子妃殿下が一人の民間人であられたこととこれまでの皇族家族の在り方について国民と同じようにご夫婦自らで子育てをされることを実践されて来られたことでした。そして何と言っても、先の戦争において「天皇陛下万歳!」と言って国家に捧げた数知れない尊い命に対し、万感の思いで国内外の戦地に赴かれ慰問を続けられて来られたことでした。陛下の最後のお言葉の中に「戦争のない平成」時代で終われたことができて良かった、と述べられことが大変印象的でした。象徴天皇としての思いが、国民に対する象徴的に表現された「お言葉」になったものと受け止めました。自ら国民の気持ちを代表し、率先して象徴的に表現されて来られていたことを改めて感じ、さらに新天皇へ継承されていることについても再認識いたしました。

 今日は、霧と雨に包まれる先の見通しの悪い天気ですが、新しい時代の幕開けには相応しくないかも知れません。とは言いつつも、私は明日からの「令和」に大きな「時代の変化」を望んでいません。むしろ、期待しておらず変化など要らないと思っています。私も、このまま戦争のない時代が続いていくことを望みたいです。強いて言うなら、日本人の感性豊かな気質に基づく国際貢献です。

 息子の一土にとって、土台となる「時代」だからこそ、そんな親心を抱いています。

ヤマハ音楽教室「スプリング・コンサート」

 今日は、諫早文化会館中ホールにおいて一土の通っている原田楽器のヤマハ音楽教室の春の発表会が開かれ、息子一土の日頃のレッスンの成果を聴きに行きました。

 一土は、レッスンに通い始めて2年ほど経ち、ピアノを弾くことが楽しくなったようです。最近は、動画サイトのピアノ練習(鍵盤表示付き)やショパンコンクールのTVアニメシリーズ「ピアノの森」(録画)を繰り返し繰り返し見ています。そしてこの1ヶ月間余りの間、動画サイトのいろんなピアノ演奏曲に夢中になり、“エリーゼのために”を独りで弾けるようになりました。もちろん、まだヤマハではこれらの曲は習っていませんので、動画だけで鍵盤の位置と音を耳コピーして繰り返し繰り返し練習して最後まで弾けるようになりました。いやあ、我が子ながらびっくりです。

 さて、「スプリング・コンサート」の発表は、そのようなことで一土にとっては難しいところはなく、ノーミスで最後まで落ち着いてできました。

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新元号は、「令和」であります

 何という元号になるのだろうと、TVでは毎日のように報道され予測もされてきたのですが、ことごとく外れ「令和」という元号になりました。

 私は、「昭和」という団塊世代真っ只中の22年生まれで、戦後間もないまだ三種の神器と呼ばれた「テレビ」、「冷蔵庫」、「洗濯機」が普及する前のマイカー時代など到底想像もつかなかった時代でした。少年時代、成人・社会人と「昭和」の高度成長時代を無我夢中に、そして40歳半ばに「平成」を迎え諫早人になりました。バブルが弾けた「平成」時代は、ハイテクやインターネットによるグローバル社会の到来となったのすが、日本では正に私たち世代が要因となる超高齢社会が訪れました。また、国際化の波が押し寄せる中、やむおえないとは言え日本的な価値観が段々と損なわれていったようにも感じます。

 そして、72歳目前にして「令和」を迎え三つの地代を跨ぐことにましたが、世界は未だ戦争が絶えません。年号に日本国としての気持ちを込めることには全く異論はありません。込めた気持ちに沿う時代になっていって欲しいと願うばかりです。

 

 さて、息子の一土は、この四月に小学校三年生になり8歳になります。そして、7月9日で9歳になります。まだまだこれかの一土にとって、この新たな時代「令和」はどのようになっていくのだろうと思ってしまいます。「平成」のままではなく「令和」に変わったことで、密かに期待を持ってしまいそうになります。と言っても、社会の変動如何ではなく自分自身次第であるということは分かっていますが、やはり戦争や紛争などの政治的な要因が引き起こす不幸は絶対にあってはならないと思います。息子の名前「一土」という字は、『一』に「一つ」や「和」という思いを、そして『土』は「大地」や「地球」を、すなわち『一土』は、「地球は一つであること」、「世界は一つであること」という思いを込めて付けたものでした。

 私は、この「令和」という字を見せられた時、真っ先に心の中で「一土」という字と照らし合わせ厳粛に受け止めました。その意味や出典などの解説を聞き、我が息子の「一土」に共通するものがあるように感じました。私は、この新元号「令和」に対し、とやかく言える知識も立場もない一国民でしかない者として敢えて言わせてもらうとしたら、「日本」という精神文化を重んじる国民が「和」を為すというこれまでと異なる「国」を意識した観が感じられることに、何もその点を余り強調しなくても良いのではないかと思いました。国と国との間に「境」があることを必要以上に強調することは如何なものかなと思いました。近年、引き継がれてきた隣国とのそれらの問題を抱えていることもあり、過去日本が行ってきた政治的な行動も然り、戦後まもなく生まれた日本人の一人として、そのような思いになりました。

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初めての都会(福岡六本松)

 息子一土の春休みの3/28日、福岡市内(六本松)で家内の用事があり、我が家では珍しい都会の真ん中に一泊二日で出掛けました。通常、我が家ではじいちゃん(認知高齢者)と同居しているため家族で外泊をするということはできず、今回はどうしても外せない用事だったため、じいちゃんを一泊のショートステイ(城見)にお願いし朝の送り出しの後、お昼前に車で出掛けました。

 とは言っても、福岡市内の道路事情に疎い私の運転だから、車のナビだけでは分かり難く予想通り都市高速を降りてから迷ってしまいました。でも、早目に出ていたので、待ち合わせ時間の4時には充分に間に合いました。家内の用事は5時に終わり、六本松のホテル(ステイ六本松/マンション一部のイノベ格安ホテル)に6時少し前に到着しました。

 ホテルは、立派な住宅街の中に立つマンションの部屋をワンルームのファミリー用に改装した8畳ほどの家族三人に丁度良いツイン+布団1セットでした。家族でホテルに泊まるのは、昨年のお盆に実家に帰った時以来の二度目で、息子も大喜びでした。たまには、社会見学と家族の気分転換になり、楽しめて良いものです。今回のホテルは、玄関および各部屋全てキー無しの暗証番号を打ち込むタイプのロック式で、一土にロック開閉係を任せ無事スムーズに出入りができました。夕食は、ホテル近くの小洒落たうどん屋でツルツル麺の美味しい九州らしいうどんに有り付け満足しました。

 さて、翌朝の起床は6:15に、7:00から1Fの広々とした食堂で朝食(和食)を。お客さんは少なく、ドイツ人らしい熟年ご夫婦ほかでした。福岡地方は気温の上昇と天気に恵まれ、この週末が桜の見頃を迎えるというタイミングでした。一土の春休みの楽しみ、宇宙飛行士若田光一さんが名誉館長を勤める「福岡市科学館」開館時間9:30までの間、先に近くの福岡城址周辺の散策を楽しみました。お堀に囲まれた城址空間に咲く桜は、日本的な風情を醸し出した美しい情景に改めて厳粛さを覚えました。

 9:30分少し前、目的の科学館駐車場に車を駐め書店「蔦屋」を経由して科学館を訪れたら、チケットカウンター(総合案内/3F)は沢山の家族連れの行列ができていました。入場料(大人¥500子供¥200)を支払って5F基本展示室へ入ると、暗い室内に「宇宙」「未来」「生命」「環境」「生活」「サイエンスステージ」コーナーが設けてあり既に大勢の家族で一杯でした。6Fは、別料金のドームシアターがありましたが、今回は時間的なことからパスして基本展示だけにしました。

 この科学館は、都会福岡ならではという感じで各コーナーが殆どハイテク・コンピュータ仕掛けのマッピング(証明映像)によるゲームの様なものが多く、地球や宇宙、自然科学などの成り立ちや仕組みをテーマにしていましたが、その設備管理やソフト更新などの費用が大変だろうとついつい考えてしまいました。生活、自然科学、地球のことなど、本当は自然や天然のままのアナログをハイテクで模擬体験をさせること自体に無理を感じてしまいます。私は、サイエンスショー・ステージで行われた職員男女二人による「風の不思議」というドライアーとブロアーをいろんなものを空中に浮かせるショーが一番楽しかったです。人によるアナログの実演と実験を見ることができ、ホットしました。そして、最後に紙飛行機を作って飛ばすコーナーで遊び、階下のお洒落な書店「蔦屋」で一土の大好きなパラパラ漫画を買ってあげ、同店内のスタバで休憩をし帰路に着きました。

 帰りは、我が家の事情により午後4時迄に帰宅してじいちゃんのショートステイからの戻りに間に合わせなくてはならないので、所要時間約3時間を見込み余裕を持ってお昼には都市高速(西公園IC)に乗り、長崎自動車道の金立SAで休憩と昼食を取り3時過ぎに無事帰宅しました。我家の二度目の「親子による都会社会勉強」を楽しく終了することができました。

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息子一土、諫早小2修了

 ピカピカの一年生になった時から早丸2年、本当に子供成長の早さにはびっくりします。お陰さまで、大した病気もせず、殆ど休まず毎日楽しく通学しています。2年1組の山口先生は、男の先生で1年生の時の女の先生と違って、厳しくて声が大きく怖いというイメージだったようです。丁度定年を迎えられるという節目の年の担任だったようです。男の子にとって、少しは厳しい怖い先生というのも必要な役割ではないかと、私は思います。本当にお世話になり、ありがとうございました。そして、長い間お務めご苦労様でした。

 さて、息子二年生の日常について、一年生の時から大きくは変わっていませんが、その生活を記してみたいと思います。

 朝の起床は6時です。家内と私が起き息子は少し遅れて布団から出ます。朝食はご飯食の方が多くたまにパン食を、6時半ごろから30分程です。7時になると、この前までは毎日同じマンション3階の同級生(同クラス)のリズミちゃんを迎えに行って一緒に歩いて行っていましたが、最近もう一人で行きたいと言って別々に自由に通学するようになりました。息子はかなり早い登校になるらしく、ある時は一番だったとか言っていたこともあり、 月曜から金曜日まで毎日学校に行くのが楽しいようです。

 一土は、一年生の時から学校の他に塾通いもしています。月曜日は夕方1時間、近くの書道教室に通い習字やペン字を習っていて、書道はすでに準初段というレベルまでになり大分字が上手くなりました。家内が習字を習っていたらしく、毛筆が上手なので息子も上手になるのではないかと思っています。火曜日は、学校が終わるとそのまま公文の学習塾に行き、算数、国語、英語の三教科を勉強しています。学校の教科書より先に進んでいるので、お陰で一土にとっては学校の授業が易しいようです。英語は、確かに発音が良く、私のデタラメ英語は訂正されてしまいます。将来、英会話ができるようになってくれると良いなあと密かに期待をしています。続いて水曜日、やはり学校が終わっての夕方、ヤマハ音楽教室に通い、アンサンブル(オルガンによるグループレッスン)とピアノの個人レッスンを習っています。一土は、家内の血を引き継いだようで、大変音感が良く、TVコマーシャル音楽やクラシック音楽などのメロディー聞くと、すぐ覚えてしまいます。そして、その頭に入ったメロディーを一人でピアノのキーを叩きながら音を探り、それが楽しそうでその内メロディーを弾くようになります。最近では、TVアニメの「ピアノの森」のシリーズを繰り返し観て主人公のピアニストに憧れ、毎日ショパンの曲のメロディーを探ったりしています。とてつもない難しいクラシックピアノの指使いを真似ようと飽きずに毎日鍵盤を叩いています。また、スーパーマリオ・ゲームの音などをピアノで真似たりしています。

 木曜は、唯一の何も無い日で殆ど毎週友達が家に遊びに来ます。多い時には、男の子たちが四人ほど来ることもあり賑やかになります。我が家は、マンションなので、“ 静かにしろ ”の言葉が挨拶代りとなります。友達がいっぱいいることは、とても良いことなので、大歓迎しています。金曜日は、火曜日と同じく公文(算数・国語・英語)に通い夕方腹を空かして帰ってきます。

 そして、土日は学校も塾も休みで何もありません。なので、我が家の用事がない時は、息子の好きなようにさせていて大体天気が良い日は午後から友達と一緒にオヤツと水と小遣いを持って市役所前芝生広場にサッカーをしに行きます。

 

 お陰さまで、一土はここまで大事も無く健やかに心身ともに成長してきました。通知表の内容も二重丸が並び、親としては少し出来過ぎではないかと思いますが、この調子で伸び伸びと育って欲しいと願っています。

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好きな音楽を通じて

 私は、きっかけは覚えていませんが、中学生の頃からアメリカのポピュラーソングに魅了されラジオから流れる洋楽などを聞き始めました。当時、私の田舎(福岡県八女)では、アメリカ軍板付基地(海の中道公園辺り)のFEN放送に聞き耳を立て、DJ(ウルフマン・ジャック)の喋りとポップスやカントリソング、ビリボード誌のヒットチャート・ランキングなど、英語放送だったので何を喋っているのかは全く分からないまま毎週一生懸命聴いていました。そして、高校生になると同じような仲間ができ、テープレコーダーに最新曲などを録音しテープの回転を落として歌詞を聴き取ったりしていたことを想い出します。今(デジタル)はテンポを落としても音程は変わりませんが、当時(磁気テープ・オープンリール)は、回転スピードを落とすと音程も同時に落ちて低くい怖いような声に変わり、女性のヴォーカルも相撲取りの声のようになってしまいました。

 当時、音源はLPレコード盤で子供の小遣いで買えるような代物ではなく、ステレオセットも贅沢品でまだ一般家庭には普及しておらず、LP一枚も大変高価なものでした。そんな時、アメリカの最新ヒットソングをタダで聴けるFENラジオは本当に貴重で、昼間は電波が途切れがちだったので夜になってからいつもこっそり聴いていました。また、日本の深夜放送(オールナイト日本など)なども勉強せずに聴き入っていました。まだ、ビートルズデビュー前のエルビス全盛時代でした。

 

 私がギターを触ったのは、高校生時代、すぐ上の兄貴(大学のハワイアンクラブ)が夏休みに持ち帰った来たピックギター(フルアコ/チャキ製)を持たせてもらった時で、自分の物を手にしたのは大学に入って音楽クラブ(多摩美のウエスタンクラブ)に入部してすぐの時でした。そのクラブでは、先輩たちのブルーグラスバンド(ブルーブライヤー・ボーイズ/石川鷹彦&小室等先輩たち)やフォークグループなどの練習を間近に生で見てテクニックを盗んだりしたものでした。クラブは音楽教室と違うのでレッスンがある訳でもなく、早く自分も先輩たちのように弾けるようになりたい!という想いで、見様見真似でした。そんな楽しくてたまらない或る日、先輩のブルーグラスバンドの練習を見ていたら “ちょっとリズム(スネアー/ブラシ)を入れろ” と言われ、リズムの裏にアクセントを置いて叩くリズムを緊張して入れたことを今でも覚えています。そして、同じクラスのバンジョーを弾きたいというY田君とブルーグラスをやれと命を受け、私はウエスタンギターを担当することになりました。この時が、ギターとの関わりの始まりです。

 私は、今年の4月で72歳を向かえますが、ギターを始めてから足掛け40年以上が経ち技術途中半ばのまま歳に置いて行かれました。でも、どうしてもギターは手元から離すことができず、こうしてパソコンを打っているすぐ横にはいつでも手を伸ばせるようにしてあります。

 

 振り返ってみると、私はギターを続けて来たことで「音楽」を通して未だに素晴らしい人との出会いがありました。これからも沢山あると思いますが、最も新しい素晴らしい出会いをご紹介したいと思います。

 私は、現在、諫早駅近くにあるライブのできる「ちょいわるおやじ」と言うバーで、毎月第二土曜日の夜に「諫早フォークナイト」を主宰し、市県内外のアマチュアミュージシャンの方々に出演をしてもらって古いフォークソングから新しい楽曲までアコースティック・サウンドを中心とするライブを楽しんでいます。このように関わることになったきっかけも然りですが、そのお陰で音楽好きないろんな老若男女と出会うことができ、50〜60歳代の“ちょいわるおやじ”の知り合いが増えました。皆さん、若い頃から好きな音楽を止められず、夢見た憧れの楽器を楽しそうに奏でながら懐かしい歌を唄われます。毎月第二土曜の夜、そんな素晴らしい時間を共有できる場所に育ちました。

 ライブのお世話は、毎月出演してくる人(弾き語り&ユニット)を探して出演オファーを掛けて最低3組の出演者を確保しなければなりませんが、今でこそSNS時代ですから「友達繋がり」の中からローテーションで声掛けをすれば苦労なく確保できるようになりました。そのような繋がりの連絡の中、1ヶ月程前の或る日 、“今度、一緒に組んでライブやってみませんか?”というお誘いがスマホに入りました。以前一度出演してもらった県下では知らない人はいないと言うほどの人で、60〜70年代のアメリカン西海岸の音楽からビートルズなど、幅広い音楽に精通されている憧れのK崎さんでした。まだ、 K崎さんとは近しい関係ではなかったし、ギターの腕も雲泥の差で到底私が一緒に演れるというレベルの人ではありません。私も、たまたま未だ下手ながら古い曲をギターで唄ったりしていますので、「諫早フォークナイト」の主宰者ということでどう勘違いされたのか、私へのお気遣いだろうと思われます。その理由はどうあれ、私は嬉しくて “本当ですか?私のような下手と?とにかく、1曲でもご一緒できれば嬉しいです。ありがとうございます”と、なりました。

 数日後、早速軽い打ち合わせという展開になり、諫早市役所前で11:45分に車で落合い諫早名物の鰻(北御門)を食べに、その後私がアンプやギターなどを置いている練習場(家内のレストラン後の空家)にお招きしました。お互い365日連休の身という夫婦同士の初顔合わせだったので、改めての互いの素性などを紹介し合いました。K崎さんも私と同様公務員OBで、意外にも番狂わせなお堅い一面を知ることがことができ、以前から知り合いだったような安心感を覚えました。また、K崎さんには持参してもらったギター(マーチン製)で軽く何曲か披露してもらいましたが、さすがに上手く、原曲に忠実でギターテクも半端ではありませんでした。私と同じように、60〜70年代の洋楽を聴かれていたので、原語の発音や声、ギターテクと音色、全てが素晴らして格好良く、夕方までのアッという間の時間聞き惚れました。

 そしてその夜、FBメッセージでお互いのレパートリーやどんな音楽を聴いて来たのかなどをやり取りをしたところ、私が聴いて来た曲とかなり重なり、特に当時アメリカ西海岸のシンガー&ソングライターやバンドの好みは共通していました。ならば、当時のものを二人でやってみようということになり、それからという私はネットで歌詞とギターコードを探してYou Tubeで動画を見るという特訓の日々となりました。でも、久々に胸の高鳴りを覚えK崎さんに見捨てられないよう、必死になって練習に励んでいるところです。

 

 数日後、K崎さんご夫妻からお宅へお招きを受け、長崎市内中心からの小高い山の上にあるご自宅にお邪魔しました。ご自宅は、周りの環境にも恵まれた長崎では珍しい道路も広くきちっと造成された大きな住宅団地の一角の大きな二世帯住宅でお年寄りご夫妻と一緒でした。その二階がご夫妻の住まいとなっており、昨年の11月にリフォームされたばかりの奥様のご趣味に合わせらたとのことでした。天井をなくして屋根の張りを見せた広い吹き抜け空間に変わり、フロアー半分を少し高くされた洒落た空間になっていました。照明器具にも凝られ、いろんな器具の灯を楽しめるようにスイッチがたくさんありました。そして、何と言ってもミュージシャンの部屋でした。私の憧れのギター、楽器屋のガラスケースのガラス越しに眺めた殆どのものが、改装された壁一面にずらりと掛かっていました。一般の住宅に本物ばかりがこんなに一堂に、掛けてあるのを見たのは初めてでした。私は、欲しくて欲しくてたまらないまま今日まで来てしまいましたので、本当に羨ましい限りで、また感激しました。スピーカーもさり気なく、懐かしのJBL、CDも数え切れないほど、本当に圧巻のミュージシャンの部屋でした。

 そして、長崎市内のとある趣のある日本小料理屋さんの個室で、それぞれ夫婦や家庭内の話など音楽以外の昔話(自慢話)に華が咲き、美味しく昼食をいただきました。私たち夫婦にあっては、このような歓待を受けることは珍しく、本当に幸せな1日となりました。

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何回目?もう判らない検査入院

 思い起こせば2011年3月、急性心筋梗塞で救急車にお世話になってから早丸8年という歳月が流れました。それまでは、殆ど病院とは無縁でしたが、その後は病院とは切っても切れない縁となりそのお陰で今日まで好きなことを楽しみながらの日々を送っています。ただただ、お世話になっている長崎医療センターの主治医の先生と医療スタッフの方々のお陰です。

 さて、回数がすでに定かではなくなってしまった外来検診と検査入院ですが、この3月12〜14日二泊三日で一昨年前に二度目のステント留置とバルーンによる血管拡張手術を行った術後の一年間隔を置いた二度目の検査でした。主治医のF江先生も、まだ数カ所血管が狭くなっている箇所は見られるものの、まだすぐに処置をするには至らない念のために検査しましょうと言うものでした。

 入院二日目の検査当日、私はいつものようにすでに絶食状態に入って朝から呼び込み待ち、前日先生に早目の検査順をお願いしていた手前、朝1番からかも知れないとその気になって待っていたのですが、担当の看護師からも情報が入らず、二人目の時間になってもうんともすんとも。そうこうしている間に、家内が家の用事を済ませて当然検査中だろうと思って駆けつけたところ、“あれ、まだ?”と。結局、2番目の予定だったのに、急患が入りその後になったとのことでした。昼食時間も過ぎ、この分だと午後からかもと少々意気消沈気味の12:45分、担当看護師の明るい声が “これからだそうです”と病室に響き、慌ててストレッチャーに横たわり看護師さんに手術室まで連れて行ってもらいました。

 ストレッチャーのまま手術台と平行に並び、数人の若手見習い先生たちと思われる人たちに支えられて手術台へ乗り移り、すっぱんぽんなり皆さんから同時進行で点滴針を、カテーテル挿入口となる脚の付け根辺りに大量の消毒液などを、それぞれの先生達から声を掛けられながらそれに応え、挿入口の窓が開いたカバーを身体全体にかけられあっという間に準備整いました。すると、聞き慣れたF江先生の声が、”は〜い、麻酔を撃ちます。ちかっとしま〜す”と、早速、緊張感のない雰囲気のまま始まりました。そして、”吉田のお子さんと家(先生)の子は同じ8歳やもんね”とスタッフの皆さんに、そんな合間に何やら暗号らしき言葉を発せられながら若手の先生へのレクチャーらしき説明をされるなど、冗談を交えながら数名のスタッフの方々と和やかに進められていきました。 

 検査結果は、先生の予想通りで昨年と比較して殆ど進行が見られない「良好」とのことでした。

 

 検査が終わると、脚の付け根のカテーテル挿入口跡(傷口)開かないよう、仰向けのままスタッフ4〜5人がかりでストレッチャーに移し替えてもらい、手術室前の控えコーナーでF江先生と雑談をしました。先生とは、子供同士が同じ年ということでいつも子供の話になり、“まだ8歳だから、後最低12年は元気でいないと…”と激励されました。そして、“(子供の)将来については、どのように?”、“医者はどうですか?”と。私は先生に、“もちろん、お医者さんは立派な仕事だし素晴らしいですね、ただそれなりの力量が要りますから、親としては望むところですが、そんなに簡単にはなれない職業ですから”と。そして、“本人次第なんですが、自分の将来については、親からより自分でちゃんと見つけられるようになって欲しい”と。自分自身の進路について自分がそうだったように、好きな道だったら苦しい時も諦めるずに続けていけるのではないか、と伝えました。

 私は、息子一土の将来のことまで気にかけてもらい命の恩人とも言える先生に巡れ会え、本当に運が良くF江先生に感謝しています。これからもお世話になりながら少なくとも12年、息子と一緒に元気に過ごせるよう養生しながら余生を送りたいと思っています。

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真夜中の停電(やっとガス給湯器復帰)

 一週間程前の深夜、私がいつも通りトイレに起きてスイッチを入れても電気が点かず、“なんだ停電か?”と思い、暗い中で用を足さざるを得ないことになりました。リビングに戻りそっとカーテン越しに外を見渡せど何ら変わりなく、このマンションも停電らしき様子は全くありませんでした。

 私は、“ 内だけ?”と思いブレーカーを一度上げてみましたがすぐ落ちてしまい、とにかく深夜なので朝になってからでいいや思って寝ようとしたら、家内も目を覚ましてしまい停電だと伝えました。すると家内は電気屋の娘なだけにすぐに起き、ブレイカーを戻してみましたがやはりすぐ落ちてしまいました。

 暗闇の中、私と家内は懐中電灯の明かりを頼りに、冷蔵庫のコンセントと照明器具のソケットはそのまま(簡単に抜けなかった)にして、先ず家中のコンセントを抜きました。そして、ブレイカーのエリア別スイッチを一つづつ入れて試し、次にコンセントも一つづつ差して何とかリビング・ダイニング・エリアが原因だということを突き止めました。しかしながら、このエリアが最も多く電気を使う所であり電気設備や電気製品などが多数あり、漏電箇所の特定は容易ではありません。

 エリアの特定だけでは全く解決の糸口にしかならず、引き続きコンセントだけではなく直結の照明器具や調理器具なども外し、ブレーカーのエリア毎にコンセントを一つ一つ順に戻しながらブレーカースイッチを入れて試しましたが、箇所の特定には至りませんでした。結局、やはり素人では無理だねということで納得をし、朝になってから電気屋さんに頼もうということにしてそのまま就寝しました。

 

 我が家の普段の起床は、小学一年生の息子の登校時間(家を7:00)に合わせて6時なので、この時期はまだ次の日の朝は真っ暗で、小さなランタンの明かりを頼っての朝となりました。暖房はオイルヒーター使用のため消えていましたが、幸いにしてリビングのエアコン(200V仕様)が生きていたので寒さは凌げました。また、水道水とガスレンジも大丈夫だったので朝食は準備でき息子は普通に学校へ、じいちゃんはデイサービスへといつも通りに出かけて行きました。

 さて、この住まいは築約30年という古いマンションのため、私たちは2年ほど前に大幅にリフォームをして入居しました。その際、改装をお願いした時の電気屋さんに来てもらい調べてもらったところ、素人の私たちが見逃していた玄関入り口傍の建築当初からのガス給湯器、その古い器具の水漏れによる漏電ということが判りました。器具の位置がリビング・ダイニングに近かったため、ブレイカーのグループが同じグループになっていました。

 早速ガス会社に連絡をして来てもらい、現場の確認(寸法採り等)してもらって器具を発注してもらいガス給湯器交換を依頼しました。器具入荷と工事に約一週間かかるということになり、その間写真の仮の代用器具を付けてもらいました。

 普段何も感じないまま当たり前のように思っていた我が家の日常生活我が、いろいろな物や事、システム、そしていろんな分野の人の技術によって支えられていることを再認識しました。

親馬鹿シリーズ#8 習字で銀賞

 小二の息子一土は、一年生の春から毎週月曜の夕方学校が終わってから近くの習字教室に通っています。最近では、漢字をだいぶ覚え文字を書くのも楽しいようで休まずに続けています。終わる時間が18:40分を過ぎるので、いつも私が車で迎えに行くのがその日の日課となっています。

 さて、いつものように迎えに行くと、すぐに ” 今日、先生から賞状をもらった” と賞状を見せてくれました。”エッツ!なんの?” と、私は分かりませんでしたが、家に帰ってもらった賞状のファイルを見直し、前に確かに同様の銅賞をもらっていたことを思い出しました。

 その書を見ると、確かに少しづつながらも着実に成長が見られ、本当に上手になったなあと感じました。

 私は毛筆の勉強などしたことがありませんが、家内は子供の頃していたらしく確かに綺麗な字を書きます。息子はどうも家内の方の血が濃いようです。

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諫小2年1組「授業参観」

 諫早小学校に通う息子一土の授業参観があり、2年1組の担任山口先生の「生活」の授業を参観させてもらいました。保護者は朝の9時15分に集合し、各自子どもの教室に行って自由に参観するというもので家内と二人揃って行きました。参加された保護者は20人程度で、不参加の保護者も結構おられます。

 さて、今回の「生活」授業のテーマは、グループに分かれて各自工作予定の「おもちゃの車のデザイン」を考え、指定の提案用紙に想像図を描き必要な材料も予めまとめるという課題でした。

 一土にとっては、幼稚園の頃からプラモやレゴなどの組み立てるおもちゃで遊んで来たからどちらかと言うと得意なことで、先生の説明の後アイディア・スタートの” 始め ”の合図とともに早速真剣な様子で用紙に向かい何やら描き始めました。他の子どもたちはしばらく描き始めるどころか、まだまだキョロキョロしたり話をしたりでしたが、一人だけいち早く真剣に用紙に向かっていました。

 アイディアの時間15分が経つと、先生は“ は〜い時間で〜す。出来ましたか〜?もう少しかかりそうですね、何分追加しましょうか?”と子どもたちに尋ねられ、優しく5分伸ばされました。その時間が来ると、山口先生はひとまず描き終わった子どもたちだけの分だけを黒板に順に貼られましたが、息子もなんとか間に合い6枚目に貼ってもらいました。そして、黒板の前に集まるように言われ、貼られた絵について “ どれが好きですか?ただ選ぶだけじゃなく、どうして選んだのか理由を考えてよ〜”と、みんなで評価し合うよう指導をされました。

 すると、一人が真っ先に息子の絵を“ これっ ”と指差しました。先生は“ どうして? "と。すると、“ くわしい ”、“ わかりやすい ”、“ 絵が上手い " という子どもたちから評価がありました。そして、先生から“ 後でこの後(下の用意するもの)書いてもらうつもりだった材料も、すでにここに書いてあります "と。順次評価は終わり、授業参観は滞りなく終わりました。

 私と家内は、親として心中で密かに少しだけ鼻高な気分を味あわせてもらいました。 

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クリスマスから大晦日、新年、淡々と

 12月は、何かと忙しない落ち着きのない、我家もそれなりにクリスマスの頃から師走という字の如く慌ただしくなり、各自の心がけ次第で年末からお正月をどのように過ごせるかが決まります。

 今年は、各自それぞれに早目に消化し、年賀状書きや息子のXマスプレゼントとお年玉プレゼントを前倒したので焦る必要がありませんでした。また、大晦日の除夜の鐘、元日の初日の出(曇りで何れにしても不可)もパスしゆっくり起き、ささやかな御節とお屠蘇もどき、そしてお雑煮をいただき、地元の八坂神社へ家族四人で初詣に行ってその足で家内の実家(本町アーケード)の仏様に参りました。実家では家内の妹が迎えてくれ、家内家族と一緒にお正月料理をご馳走になりました。そして、家内と息子は、親戚の叔父さんご家族(義父の弟さん)に年始とお見舞いに伺い、一土にお年玉をいただきました。

 

 今年の八女の実家への年始詣りは、例年の日帰りドライブと違う4日〜5日一泊二日の初めてのホテル利用で、前日は福岡に買い物に行って鳥栖に泊まった後八女に行くというものでした。二日間、ともに天気にも恵まれ心配された高速道路の渋滞もなく、のんびりと小旅行気分を楽しみました。これまでは、我が家は要介護老人(義父・家内の父84歳)と同居しているため長時間の外出や外泊などができず、家族でホテルに宿泊したがありませんでしたが、昨年からデイサービスとショートステイを利用してもらうようになり4・5・6日のショートステイをお願いしました。

 初日の4日は、義父をショートステイに送り出した後、福岡のIKEAと久山のトリアス久山へ買い物に、その夜は鳥栖プレミアムアウトレット近くのホテルで一泊、そして2日目に八女の実家へという予定で出かけました。ホテルは、一部屋のダブルベッド+二段ベッドというビジネスタイプで、それが思っていたよりもずっと良く想像以上に快適でした。二段ベッドは息子は危ないので私にし、家族初めてのホテル宿泊経験ができ息子も大喜びでした。

 ホテルでの朝の目覚めは普段と同じ7時頃、朝食はホテル近くの“コメダ珈琲店”でゆっくりと、名古屋地域で有名な店がすでにこの辺り迄進出して来てるんだなあ、と思いながら、安くてボリュームたっぷりのパ

ンと飲み物で美味しくいただきました。そして、八女の時間迄まだ余裕があるのでプレミアムアウトレットに寄りました。開店時間であろう10:00時には駐車場入り口には多く車が並んでいて、もう少し遅かったら大変な目に遭うところでした。少しの時間でしたが、特にテンピュール、REGO、BOSEショップに寄って来ました。

 さて、八女実家へは懐かしい国道3号線を周りの景色や街並みを楽しみながら下り、予定のお昼過ぎに無事に着きました。いつもながら少し高揚感を覚えながら玄関の呼び鈴を押すと、“は〜い”という紀美子姉の声、玄関ドアを開けるとにっこりと微笑んで紀美子姉と知史さんが一緒に出迎えてくれました。

 実家では、早速仏壇にお参りをして先祖に報告とお願いをし、座敷で改めてお正月のご挨拶を済ませました。息子が会えるのを楽しみにしていた和可ちゃんは風邪気味だということで恵仁さん(甥の嫁)と病院に送って留守でしたが間もなく帰り、実家の家族と揃ってお正月のご馳走をいただきながら楽しく歓談しました。和可ちゃんが今年大学受験でこの2月初めから始まる受験に向け、食事もそこそこにまた慌ただしく受験塾に戻って行きました。第一志望は東京のR大学とのこと、無事希望の所に合格できるといいのですが…、私は2浪でしたので現役で進んで欲しいものです。

 ご馳走は、お正月料理のほか、我家ではほとんど食べる機会のない一土の大好きなお肉たっぷりのすき焼き風の鍋で腹一杯美味しくご馳走になりました。

 

 食事と歓談の一時を終えると、私が子ども頃来ていた福島八幡宮(八幡さん/放生会)に実家の家族と一緒に初詣に寄り、その後広川IC近くの病院に入院中の兄貴を見舞いました。子どもは入室不可ということから、家内と息子とを玄関ホールに残し私と実家の家族で入室しました。兄貴は、昨年見舞った時よりさらに痩せ(ベッドの体重計:30Kg)、酸素マスクをつけ目を閉じてベッドに横になっていました。

 “お正月の挨拶に来ましたよ〜、智ですよ〜、分かるよね〜、家の仏さんにも参って来ましたよ〜”と声をかけると、兄貴は目を大きく開らき、私の顔を見て何か喋ろうと口を動かしながらうなずいてくれました。私は、もう一度 “ 智、智ですよ〜、来ましたよ。”と言ってやせ細った手を取り、そのまましばらくお互いに顔を見つめ合ったままにしました。“ 分かったよね〜、智ですよ〜、もうしばらく元気でいてください、兄たち(関東在住の他二人)も会いに来ますから” と。兄貴は落ち着いたのか、その後また目を閉じそのままじっとしていました。兄貴一人だけの病室(二人部屋)に酸素呼吸のマスク越しの呼吸音だけが響き、頬痩けた口元さらに弱々しさを感じずにはいられませんでした。

 そのまましばらくした後、” また来ますからね〜、それまで元気にしていてください。そろそろ帰りますよ〜、また来ますからね〜” と再び声を掛けると、今度は目を逆に強く閉じて顔を歪めてくれました。そして、握っていた手をピクピクと震わせながら、目にしわを寄せずっと顔を歪めたままでした。私は、そのまましばらく握った手を摩り、致し方ないことだとは分かっているものの、変わり果てていく兄貴の姿を見ることしかできず自分の無力さを感じました。

 また、近々会いに行くつもりです。側に行くことしかできないのですが。 

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諫小マラソン大会

  2018年12月11日が天候不良で14日に延期された諫早小学校マラソン大会、恒例とは言えなぜこの寒い時期にと疑問は残るまま、家内と私は寒風の吹きさらす本名川河川敷に応援に行きました。昨年の経験から、今年はとっくりセーターの上にボア付きのフードパーカー、そしてダウンジャケットおよび耳までのキャップを被るという防寒をしました。今年は去年より風が弱くて凍えなくてすんだ、と保護者たちの声でした。と言っても、子ども達は半袖半ズボンの体操服1枚だけで走るという正に“子どもは風の子”でした。

 さて、息子一土の肝心の順位は、本人の目標13位には届かなかったのですが、昨年の17位を少し上回った14位という結果に終わり大満足でした。応援している私と家内の前辺りでは丁度一人を追い越し、12位でゴールかもと期待したのですが結局抜き返されたようです。まあ〜、親としては順位はともかく、最後まで忍耐して頑張って完走したこと、このことだけでも十分だと思っています。上位のこども達は、昨年同様仲良しのコウくんが1位、はるひくんは3位でした。

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「殿の山ファーム」のオーナーK山氏永眠

殿の山ファームからの西方の落日(台風接近中)
殿の山ファームからの西方の落日(台風接近中)

 諫早市には、三つの海(有明海、大村湾、橘湾)があります。その一つ飯盛町の橘湾に、小高い突き出た岬があります。眼下には結ノ浜を見下ろし、パノラマの橘湾に浮かぶ熊本から天草を遠望するその岬のてっぺんに「殿の山ファーム」があります。そのファームのオーナーK山さんが、16日20時20分永眠されました。

 K山さんは、私と同じ団塊の世代の一つ先輩にあたり、企業戦士としてサラリーマン勤めをされ退職金でこの岬を取得され、5000本という木を自ら伐採して農園に拓かれたと聞いています。そして、約10年間ここに一人で住み込んで大地を耕し夢の実現に向けて有機農園を実践されてきました。今では懐かしい日本古来から伝わる農家の生活の知恵などを研究習得され、有機野菜のほか果樹園、家畜、養鶏、養蜂など、有機肥料作りや家畜の飼料作りまでスローライフを実践されていました。

 私たち家族は、「殿の山ファーム」開園三年目後の頃、そのような生き方をされているK山さんと知り合い、貸し農園を借りたりや果樹の里親になったりいろいろな作物の収穫をさせてもらったり、イベントのお手伝いをさせていただくなど、大変お世話になってきました。我が家にとっては、特に息子の一土にはいろいろな体験と楽しい想い出をたくさん残してもらいました。

 

 今春の或る日、スローライフの共通の知人F川さんからK山さんのことを聞き、すぐ連絡を入れたら検査入院中で明日退院の予定だということでした。その際、“明日、主治医より家族と一緒に詳しい結果を正式に説明を受けます”ということでしたが、すでに「膵臓癌」であることを宣告されたとのことでした。氏としては、これまでも全く自覚症状もなく、糖尿病の再検査くらいの気持ちだったらしく本当に他人事のようでした。私はびっくりして言葉が出ませんでしたが、ご本人としては多分半信半疑で実感が湧かず、笑いながら“吉田さんの方が早い、と思ってましたがね。吉田さんには、まだ小さい一土くんがいますからね、元気に長生きしないと…”と苦笑いされながらいつもの感じでした。翌日早速お見舞いに行ったのですが、やはり普段と変わらない畑仕事の準備のことなどを心配される姿に、私と家内はお見舞いという感じになれずどのように接して良いのか戸惑いを覚えてしまいました。しかしながら、氏の心中は決して穏やかではないことは察することができました。

 私たち人間の生命には限りあることは分かっていますが、その後先については不運にも運命的に迎えるしかありません。そして、そのことを周りも受け入れるしかありません。今春駆けつけた時は、本当にご命日という日が今年中に来るなどとは到底実感が持てず、未だに元気のままのK山さんの豪快な姿しか思い浮かびません。

 その後の或る日、K山さんに“病気であることは、どうされるんですか?”と尋ねると、“そのままオープンにします”と、潔く一言でした。氏は、その後の殿の山の様子などをフェイスブックにアップされこれまで通りでした。私には、それらの写真を通して氏のガッチリとした体格が段々と細くなっていく様子が伝わり、敢えて皆さんにこうして伝えいるんだなあと感じて見ておりました。そして、しばらくの間そんなフェイスブックを通じてのやり取りをさせてもらっていたのですが、突然氏のアップがピタリと止みました。私は嫌な予感がし、私と家内は“いよいよ、来るべき時が来たか”と、膵臓癌の恐ろしさを実感するとともに数日後息子を連れてお見舞いに駆けつけました。

 

 11月10日の午前中、息子の休みとじいちゃんのデイサービスによる留守中にK山さんの枕元に行きました。氏は、少し横向きになって点滴を受け眼を閉じられたままでした。看病のため住み込まれていた娘さんによると、まだ意識はあるとのこと。一週間前までは、まだしっかりとされていたとの写真を飾られていました。その写真は、親子仲良くカメラ目線の笑顔の写真でした。

 私たち親子は、枕元に行かせてもらい、“吉田ですよ、息子も連れ家族で来ましたよ”と声をかけました。すると、眼を開けられ息子を見て少し笑みを浮かべられ“お〜っ”と、息子の大きくなった様子を見られて驚きの声を出されました。その時のK山さんの眼は白目が黄色く肌の色も黄疸が進み、握った手はガッチリとした逞しさは残っていましたが浮腫んでいました。そして、別れる時に“辛いですね。また来ますから失礼します”と告げると、意識が遠のきそうで話を交わすことはできませんでしたが、うなづかれたようでした。

 お正月生まれの、大変おめでたい日本全国がお祝いする昭和21年に生を受けられ、71歳という生涯を終えられました。私には羨ましい、潔い晩年を楽しく貫かれたのではないかと感じます。

 謹んでご冥府をお祈りいたします。

スローライフ殿の山https://www.jiyujinmac2008.jp/slow-life/

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諫早図書館のシンボルツリーとウォーキング

 今年の夏の極暑続きで秋はどうなるんだろうと心配されていましたが、ちゃんとそれらしい秋を迎えることができ、私は家内とウォーキングを楽しむ日々を過ごしています。

 そのウォーキングの主なコースは、大きく分けて街中の諫早公園と本明川周辺、それから諫早干拓干陸地草原などです。これらの場所は、いずれも自然に恵まれる街の喧騒から逃れられる自然豊かな静かな空間です。

 それらの一つ、我が家から歩いて行ける街中でありながら風致地区として保護されている小高い天然林の山一帯、諫早公園は諫早所縁の城山跡地や史跡が祀られている市民の憩いの場となっている所です。また、本明川の流れと隣接し諫早平野の田園地帯に水を引く農業用水路(小野用水)があり、その水辺に沿った緑の回廊(高城回廊)が散策路となっています。そして、市役所や商店街など中心市街地を通り、学校、市民センター、図書館などの生活施設にも恵まれる散策遊歩道となっています。

 さて、諫早市役所本庁舎隣の諫早図書館には、大きなメタセコイアの木が空高くそびえています。もともとこの樹木は、ここが中央地区の諫早小学校だった頃、校庭内を流れる用水路の側に植わっていた木の1本だったものです。諫早小学校が、小野平野(田井原地区)の田園地帯に移転した跡地に現在の図書館と本庁舎の建設することになった際、当時担当の私が工事に邪魔だったこの木を切らないで残して欲しいと無理にお願いしたものでした。やむなく根を一部切らざるを得なくなり“枯れても良いですか?”と言われ、私は“良いです”と答えたものの、その後ただただ枯れないで欲しいと密かに願って来ました。

 今では、天を仰がなくては姿を見ることができないほど高く、その姿は誇らしげに凛と空高く聳えています。そして、建物と一体となって図書館を支えているように見えます。その姿を見る度、切らなくて良かったとつくづく思います。

 

 秋は釣りがOFFとなり天気に恵まれると、私にとってはウォーキングの季節となります。そのようなことで、ウォーキングエリアは市内外の自然豊かなエリアや花見を兼ねたウォーキングを楽しんでいるところです。

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現代版ベーゴマ(貝独楽)

 今年の5月、一土の運動会後の”頑張ったご褒美”として買ってあげたベイブレイド・バースト(現代版貝独楽)がきっかけになり、息子はそれ以来ハマってしまいました。そして、毎日のように動画サイトを見たり雑誌を眺めては何やら難しい名前ばかりを投げかけて来ます。

 私は、それらの一つひとつの名前など分かりませんが、遊び方は独楽を回して戦わせ、どちらが長く回るかまたは場外へ跳ね飛ばすかという戦いのようですが、現代版は昔ながらのこのような戦いのほかに、独楽がパーツ式になっていてそれぞれ自分独自の組み合わせ(カスタマイズ)で戦わせるというもので、新たにパーツをバースト(破裂)させるという激しい迫力のある対戦となっています。

 そのようなことから、各自独楽だけを所持するというより複数のパーツを所持しなくてはならなくなり、専用ケースを欲しいと息子にせがまレル羽目になっていました。

 そこで、専用ケースは高価で手が出せず私が手作りすることにし、たまたま持ち合わせていた類似したケースに百均でウレタンボードを調達しカッターナイフで切り抜き仕上げました。手作り感があるのは否めませんが、世界に一つというカスタマイズケースと息子も満足してくれました。

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実り越しの学び舎

  息子一土の通う諫早小学校前は、稲穂と川、そして遠景の山に抱かれた広々とした田園風景の中に溶け込んでいます。懐かしい話の一つになりますが、私が諫早市にトラバーユして間のない頃、最初の仕事としてこの校舎のデザインに携わらせてもらいました。当時私は、東京で細々とデザインん事務所を営んでおりましたが、長崎県在住の知人の紹介で縁あって当時の野田諫早市長の計らいにより職員として迎えていただき、企画課内にデザイン指導室という新たな部署を設置してもらいました。そのデザイン指導室の設置場所は、本庁舎内ではなく、市内の工業団地にある長崎ソフトウェアーセンターというコンピュータ関係の事務所などが入っているビルの一隅に、また合わせてデザイン機器のほか高性能CG用PC(Mac)を導入し下素晴らしい仕事環境を設けてもらいました。

 当時バブル期の終わり頃、諫早市では中心市街地活性化計画が検討されており、その計画検討および整備計画を推進するため、私がたまたまそのチャンスいただくということになり、その第一弾として現在諫早市本庁舎の建っている所にあった「諫早小学校」を田井原の田圃の中に移転しました。そして、小学校の運動場だった所に、諫早図書館本館を新たに、校舎跡に現在の本庁舎を建設するという玉突き整備を進めました。

 

 私にとってはそのような現役時代を彷彿させる小学校校ですが、現在小学校二年生の息子一土が毎日通学するという身近な所となっています。そして、この校舎のすぐ近くの道は我が家の生活道路ともなっており、毎日のように多良岳を背景にとんがり帽子の校舎を眺めながら通り貫けています。

 当時、まさか自分に息子ができ、その息子が通う学校になろうとは思ってもみませんでした。そのようなことから、毎年この時期、校舎前に広がる田圃は真っ赤な彼岸花と黄金色の輝やく豊穣を迎える時期になると、私と家内はこの光景を眺め我が子も稲穂のように頭を垂れるほどに、と思ってしまします。

 

カブトムシとクワガタ飼育に初挑戦

 たまたま立ち寄った産直の店で、やむなく西瓜とともに捕獲したカブトムシの一対、家に連れ帰った時はオスとメスは仕切りられて別々になっていましたので、大き目の飼育カゴに移しクヌギの木や葉っぱなどを入れ餌のジェリーを与えるようにしました。その前に山の中のクヌギの木で見つけた天然のミヤマクワガタの一対とコクワガタたちも同様に、元気に育つよう環境を整えてあげました。

 一週間ほど経ったある日、クワガタの腹部辺りに付着した小さなダニを息子が発見、ネットによると時期的に湿度と温度がダニの繁殖に相応しいようで、慌ててダニ対策用マットと駆除剤と新たな交換用飼育用マットを入手し古いマットを処分し新しくすることにしました。

 カゴをひっくり返し底の方に残ったマットを掻き落としていたら、直径2㎜弱の白い丸いものを発見、まさか?と思いながら注意深くマット全体を解しながら見てみたら、なんと卵が25ほど出てきました。まだ8月になったばかりの時期だったので、こんなに早く卵を産んでくれるとは思ってもいなく驚きと喜びで慌ててしまいました。

 早速、ネットで「カブトムシの飼育の仕方」を検索したところ、卵の扱い方が間違っていたようです。手で触って集めてしまっていたので、知らずに潰していたかも知れないと少し心配になりました。それから、孵化までの時間は約20日間とありましたので、マットの深いところに埋め戻して待つことにしました。飼育ケースは透明でマットの深い所まで横から見通すことができ、孵化した幼虫が動き出せばわかるようになっているので、そのままマットの乾燥だけに注意をしながら経過を見守っていました。そんな予定日の20日間が過ぎた頃、小さな幼虫が透明のプラスティック越しにいるではありませんか、なんの苦労もなく、近くのスーパーで飼育カゴとマットなどを普通に調達し毎日霧吹きをしたくらいだったので、余りにも簡単に孵化してくれ、その意外性に驚くとともに愛おしさに覚え感動してしまいました。

 9月15日、三連休の雨の初日、諫早まつりが始まったばかりの今日、産卵待ちの追加飼育したアトラスオオカブトとミヤマクワガタのマットと朽木を確認したところ、まだでしたが、カブトのマットから新たに3個卵が出てきました。半月くらい毎に産卵するのかこれで三度目で、最初の時を除いて5個産んだことになり合計30個ほど産みました。まだ元気なので、まだ産卵をするかも知れないと他と併せて期待をしているところです。

 さて、幼虫の成長の早さには驚かされています。マットの中を元気に動き回り、マットだけで来年7月まで元気に成長するのかと楽しみに見守っていくつもりです。そして、何と言っても、何匹元気に成虫になるのかが楽しみです。

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いつもの河原で散歩

 息子の夏休み最後の日となった今日、しばらくぶりの夏空になり、夏休みの宿題の目処の立った一土から散歩に行こうとリクエスト。じいちゃんのウォーキングを兼ね、我が家でいつも行く本明川下流の汚水処理場近くの半造川と合流する、バサーや釣り人も遊ぶ河川公園に行きました。

 一土にとっての夏休みは、当然宿題より遊び中心だったので、毎日少しづつという真面目なことは当然できず、間際になって、家内に毎日のように促されながら無理やりということになってしまいました。去年は、最初にまとめて終わらせて後は遊ぶだけというふうにできたのに、今年はできませんでした。子どもに甘いと言われるかも知れませんが、自分の子どもの時を思い起こし、致し方ないかと思ってしまいます。

 さて、お絵描きだけを残すだけになった一土の要望とあらばと、また最近めっきり足元がおぼつかなくなったじいちゃんの運動にと思い出かけました。久しぶりの強い日差しの下でしたが、広い河原の緑と澄んだ青空に浮かぶ白い雲が心地よく夏最後の気分転換ができ、帰りに年寄りメニューの豊富なファミリーレストランでランチを済ませ、早目に家に帰りました。

 一土と私は、去年から本やフィギアなどを見ながら本物のカブトムシとクワガタを捕りたいと季節の到来を楽しみにしていました。その7月になった或る渓遊びの帰り、ミヤマクワガタの一対を偶然山の中のクヌギの木で見つけ、それを機にすぐバナナトラップとペットボトルで捕獲罠を作成して仕掛けましたが、念願だったカブトムシが上手く捕獲できませんでした。後日、たまたま立ち寄った産直の店でカブトの一対と遭遇、スイカと一緒にレジに出してしまいました。”一度あることは二度ある”の通り、私のライフワークの淡水釣査途中のあるホームセンターに、今度は図鑑で見かけたスリランカ産の”アトラスオオカブト”に遭遇、結局カブトとクワガタの初飼育に挑戦することになりました。そうこうしてる内、クワガタにダニが発生したためダニ避けマットに交換していると、カブト一対を入れていた方の土から1.5ミリ位の白い丸い卵を24個ほど発見しました。クワガタとアトラスオオカブトはまだ産んでいませんでしたので、マットを変えて毎日霧吹きしたりゼリーをあげたりしながら可愛がっています。現在、卵から幼虫が24匹ほど生まれ、元気に育っています。

 一土の絵のテーマは、この”アトラスオオカブト”と決まり、二本の角と顎一本という三本の角を持つ精悍な勇姿を画用紙いっぱいに描き上げ、夏休みの宿題を頑張って終わらせました。

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こどもの城とコスモス花宇宙館へ

 小学校2年生になった息子のクラス、諫早小学校2年と4年二クラスの親子夏休みのレクレーションということで多良山麓にある「こどもの城」と隣の「コスモス花宇宙館」に、家族弁当持参で参加しました。

 当施設は、白木峰高原という雲仙岳と有明海を遠望し眼下に諫早干拓と諫早平野を見下ろせる小高い広大な空間にあり、春は菜の花、秋はコスモスの花が高原一面を覆い尽くす美しいパノラマオ公園と併設します。そして、日頃の日常生活空間と異なる自然とふれあいながら子供と家族が一緒に遊びを通して非日常的な体験を楽しむことができます。

 今回は、朝8:50「こどもの城」入口現地集合、9:00から大人(先生と保護者)と子供達各々のプログラムを専門スタッフにより分かれて指導を受けるというものでした。子供達は、屋外の山林の中で自然とふれあいながら虫と戯れたり色々な発見をしたりなど、街中の生活では経験できないことを体験したようです。単なる虫採りではなく動物や虫の糞などを見つけたり、何時どんな生き物に出会うか分からないという山の中での散策と観察、そんなワクワクするゲーム感覚の自然観察プログラムだったようです。子供達の虫かごには、名前すらよく分からない虫たちがそれぞれに入っていました。一土の虫篭には、クワガタのメスに似た形のやや小さい虫(ゾウムシ?)がとノコギリクワガタの顎の死骸が入っていました。

 さて、大人たちは建物の机と椅子が片付けられた学習室で車座に座り、私が以前現役時代に一緒に机を並べて仕事をしたことのある当初からの館長のI田氏が講師により、外から子供達が帰って来るまで楽しいプログラムでコーティングをしてもらいました。その内容は、これまで味わったことのないような不思議なゲームやみんなで身体を使って協力し合うもの、記憶力や反射神経を駆使するものな、なかなか簡単に上手くできない運動を試すもの、正確な答えを出せず間違えて笑うしかない状態に陥るゲームなど、自分独りだけでは出来なくてみんなと気持ちを一つにすることで成就できることや失敗しても笑って楽しく過ごすことの大事さ、正解は一つではなく答えは他人夫々にあることもあるなど、一般常識に捉われないことがあることを学ぶプログラムを、和気藹々と楽しく体験しました。これらのプログラムは、普段子どもたちを叱ったり、ダメダメとつい言いがちになる親御さんたちに対して、子どもに対する大人の接し方を示唆してもらったように感じました。一人の親として、大変貴重な楽しい経験でした。

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お盆

帰路の長崎自動車道「大村PA」からの落日後の西方空
帰路の長崎自動車道「大村PA」からの落日後の西方空

 お盆と言えば故郷、私にも福岡の片田舎に生まれ故郷があります。13日、家族を連れ先祖へお線香をあげて簡単な報告と、私にとって親代わりと言える大変世話になった兄貴を病院に見舞いました。

 今年のお盆は義姉さんからお誘いを受け家族三人で伺うことになり、当地諫早から八女までは長崎自動車道で所要時間1時間45分ほど、11時頃の到着を目指し我が家を9時頃出発しました。心配されていたお盆の高速道路の交通渋滞(上り線)もなく、予定通り11時過ぎに着きました。

 福岡西区からお盆の里帰りで来る予定だった佳代ちゃん(姪)と子供たち2人(大学3年生裕晃君、高校3年生の奈緒ちゃん)も、渋滞は免れたようで少し前に既に到着していました。佳代ちゃん家族とは、私は母親の27回忌の法要で会っていましたが、家内と息子の一土は初顔合わせだったのでしばらくは恥ずかしそうでした。でも、実家にはこれまでも何度もお邪魔していたので、お馴染みのお座敷で一緒にお昼ご飯をいただいている内にすっかり打ち解けることができました。

 今年は、年寄り中心から子ども達中心に替わり世代交代を感じるメンバー構成となり、鉄板焼きを囲む焼肉パーティー風となりました。肉大好きの一土は、向かいに座っていた和可ちゃんと奈緒ちゃんに話しかけられて楽しそうにいっぱいご馳走になり、得意のピアノを披露したり和可ちゃんの部屋を見せて貰ったりし、お姉ちゃんたちに遊んでもらい楽しそうでした。

 これまでは、このような実家での会は必ず上座に兄貴(長男)が座っていたのですが、この三年ほど前から兄貴が老いて入退院を繰り返すようになってしまい同席できなくなりました。歳月の流れは致し方なく、私たちの両親と過ごした時以来変わることないお座敷の風景はなんとも言えない静かな風格を感じました。

 

 すっかり長居をして午後4時を回ったので、帰りに病院の兄貴を見舞いに寄りました。兄はすっかり年老いてしまい、前回の時よりさらに痩せ衰えていましたが、眼をしっかり開けて私たち家族のことをちゃんと分かったようで大きく頷いてくれ、気は確かなようでした。今日のこの時間は、忘れられない時間になるかも知れない、と込み上げるものを我慢しました。年々、故郷は、私にとって掛け替えのない大きな存在となっていきます。

 帰路、大村湾PAから落日直後の西方の空です。

クワガタ 罠で捕獲成功

 小学校2年生になった一土の今夏の目標だった「カブトムシとクワガタ」、去年から昆虫展や図鑑、フィギアなどでいろいろな種類や違いなどを覚えた息子は、何がなんでも生きた「本物」と遊びたくて、私は季節の到来とともに息子とその捕獲作戦を実施しました。しかし、罠にかかったのはノコギリクワガタとコクワガタだけで肝心のカブトムシを獲まえることができませんでした。

 その捕獲作戦は、先ず去年から楽しみにしていた”バナナトラップ”作りと罠の仕掛け造りに挑戦しました。バナナ一房と焼酎1合瓶を調達し、バナナの中身を3センチ程に切りジップロップに革と一緒に入れて焼酎を追加、ジップロックを閉じ外側から手でグジュグジュと練り、日向に半日置いて発酵させました。続いてバナナトラップ容器兼罠作り、空きペットボトルを蓋に近いところで二分するようにカットし、飲み口側を少し切り落として逆さまにボディーにセット、バナナトラップを食べに中に入った虫がオーバーハングにより出てこれないようしました。そして、虫が飛んできて止まりやすいようダンボールで止まり台を付けました。取り敢えず、全部で10個用意しました。

 捕獲罠の設置場所については、今季息子と渓遊びに行っての帰り、クヌギの若木でミヤマクワガタの一対を偶然に見つけたので、その近くの天然林とその周辺に4個、さらに残りを同じ渓流沿いの天然のクヌギの木2箇所に仕掛けてみました。

 翌々日、息子と勇んで罠を確認しに行きましたが、期待は愚かそんなに簡単には問屋が卸してくれません。カナブンばかりでした。反省点として、余分な焼酎(液体)を捨てバナナ部分を小分けしたので、発酵が不十分だったのと量が少なかったのはないかと思っています。今思えば、もっと発酵させて匂いを強くした方がよかったようです。〜残念。

 罠のボトルをその場で回収し、次の候補地のF川さんの別宅にある大きなクヌギの木に移動、今度は罠数を減らし1個当たりのトラップの量を増やして4箇所に設置させてもらいました。F川さんによると、ここは前からかなりの実績のある木だそうで、2回仕掛けた結果、カブトムシは残念ながら0匹、クワガタがノコギリとコクワガタ9匹捕獲できました。息子にとっては、山の中で自ら作った罠で本物を捕まえるというワクワクした経験ができ、本当に大はしゃぎでした。

 初夏といえば我が家もスイカの季節、帰りにスイカを求めて寄った地元産直の店になんとカブトの一対が並んでるではありませんか、早速息子は里子に連れ帰りたいと。私としては少々本意ではなかったのですが、まあ良いかと承諾、罠かけの失敗もあり苦渋の決断をしスイカとともにレジに出しました。

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諫早小学校運動会(2年生)

 今日は、諫早小学校の二年生一土の2回目の運動会でした。初回の1年生の時と違いマイカーの駐車場や場所取りなどの要領も上手くなり、昨年と違ってスムーズでした。家内もまた、今年はPTAの役からも解放されてお昼の弁当づくりと応援だけでよく、昨年のカメラマン役などがなくかなり楽なようでした。

 さて、天気の方がギリギリまで大丈夫かなあと心配されていましたが、ここまで天気良くならなくてもと思えるほど好天のになり、キラキラと眩しいほどの強い日差しを浴びながらの応援となり、グランドの周辺の木立の下の空き地にはアウトドアーさながらの色とりどりのテントや折りたたみ椅子やテーブルセットなどが持ち込まれていました。これも運動会ならではの風物詩となっており、何と言っても家族一緒に食べる昼食弁当こそ運動会の最大の楽しみかも知れません。今年もまた、家族三人揃って木陰で風に吹かれながら美味しくいただけたことは、やっぱり一等賞でした。お重弁当とクーラーボックスで持ち込んだ冷えたそうめんと蕎麦は、暑くて喉の乾いた一土にも格別のようでした。

 

 運動会のプログラムは、縦割りに赤組、青組、白組とに分かれて競うもの、学年に応じて踊りなどを表現するもの、同学年生で競う競技、そして保護者参加のリレーなど、楽しい内容が盛りだくさんで、朝から午後の三時半ごろまでありました。その後の後片付けまで入れると、四時半ごろまでたっぷりかかり、一土の赤組は2番という成績でした。さすがに応援も疲れを感じました。

 息子一土の成績は、運動神経が普通なので5人づつ走る80m走競技では2位に、最終的に2枚のゴールドラベルを帽子に付けてもらい満足のできた楽しい思いでの日となりました。”頑張って良い成績(2位以上)を上げることができたたら…”と、プレゼントの約束をしていたので、帰りにヤマダ電機に寄ってベイブレードバーストのセットを買ってあげました。

 まだ日差しに慣れていない時期でもあり、家に帰り着くとぐったりでした。関係者の皆さん、本当にご苦労様でした。

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家族で本明川散歩

 ゴールデンウィークの「こどもの日」の今日、連休と言ってもリタイヤーの身の我が家にとってはただの普通の日と変わりません。子どもが休みで気持ちの良い 晴れ日は、一年ほど前から同居し始めた年寄り(義父)を外に連れ出し、運動のためになるべく歩いてもらうよう心掛けています。

 今日は、まさにぴったりその日和となり、市内を流れる本明川の下流域にある桜堤という河川敷に行き、水辺や広場で心地良い風を感じながら気分転換をしました。ここには、四季を通じてふらりと訪れ、本名側の風を感じたり、水際の魚を観たり、バッタなどの虫取りに来たりなど、年間を通じて親しんでいます。また、息子の通う小学校と公園も隣接しているという場所でもあり、我が家族にとっては本当に老若男女の憩いの場となっている所です。

 同居中の義父は、私の実家の兄と同じ歳の83歳ですぐ近くにある家内の実家で独りで住み家業の電気屋の仕事をしていたのですが、突然倒れそれを機に仕事を辞め私たち家族一緒に同居をするようになりました。その後も、何度か狭心症の症状が続き、二度目のカテーテル治療(ステント留置)後はさらに衰えが見られ、足元がおぼつかなくなるばかりか痴呆も徐々に進み下の世話なども必要となりました。家内もそのお世話が大変になり、このまま進めばいよいよ歩けなくなるのではと休みの日にはできるだけウォーキングや気分転換に家族で出かけるよう心掛けています。

 歳をとっていくということは、誰しも逃れることのできないことで、自分も近い内にと思ってしまいます。しかし、死に段々と近づいて行き無に至ることだ、とは思いたくありません。家内が年老いていく自分の父親の世話をしている様子を見ていると私は複雑な気持ちになりますが、今の内から心がけてマンション7階までは徒歩にしています。また、ウォーキングを兼ねた好きな釣りとライブ音楽(ギター&弾き語り)も続けていこうと思っています。

 さて、そんなこの頃、息子の一土は動画サイトで見つけた面白い形の円筒形の紙飛行機(?)を真似て作り、そのテスト飛行に例の河原に行きました。そしたら、円筒形という形状のため期待を水平に保つ必要がなく、横風などの影響を受けにく想像より遥かに良く飛び驚きました。この原理は、何かに応用できそうな気がしました。考案者は知りませんが、素晴らしいアイディアだと思います。

 

 何気ない変わり映えのしない我家、日々の暮らし中で家族や人生について考えるようになり、私はこの歳になって内向きな静かな自分になったように感じています。後何年、生きて息子と一緒に遊ぶことができるのだろう、と焦りのようなものを感じるようにもなり、息子と今の内に私の身体が動く内に、とついつい欲張った気持ちになってしまいます。そして、毎年そんな気持ちが大きくなっていくようにも思います。息子が二十歳になる時は、私は幾つになるのだろうと。できることなら、このまま元気な状態でと、高望みすら抱いてしまいます。でも、そう欲張って思いつつも、すごく幸せな気持ちになり、今が1番幸せだと思ったリもします。

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ヤマハ音楽教室発表会(2回目)

 ヤマハの音楽教室に通い始めてまだ一年経たない一土ですが、息子にとって2回目の恒例のピアノ発表会の日がやって来ました。

 息子は、週一回のレッスンに通い、個人レッスンとグループ合奏の練習をしています。今回は、個人発表曲は「かわいいハナタバ」と「ライオンのこうしん」の2曲、グループ演奏曲は「となりのトトロ」でした。

 一土たちのグループは、幼稚園生を含んだ一年生の子供達の編成で、まだまだ始めたばかりの子供たちという6人でした。あらかじめ、パートを割り振って合奏するというスタイルで、一土は主メロディ部分の一部を奏でるという重要なパートになっていました。最初の頃、家でも譜面を見ながらピアノに向かっていました。”え〜っ!もう譜面!”と私も驚きましたが、さすがにヤマハ、徐々に譜面を見ながら曲を弾けるようになって行きました。一土のような幼い子供達でも、目標を立てて練習をしていけば、親の想像を超えて本当に弾けるようになんだと教えられました。もちろん、前の日まで、当日の朝も、最後ギリギリまで練習を重ねやっと発表会を迎えることができましたが、その達成感の大きさは子どもにとっては計り知れないものだったろうと思います。

 

 緞帳の降りた暗い舞台を前に緊張しながら出番を待っていると、個人レッスンの発表が紹介され緞帳が上がると、一人ずつ順番に出てきてピアノに座り課題曲を披露されました。自分の出番になり紹介をされて出てきた一土は、かなり緊張した面持ちでピアノへ向かい椅子に座ると少しの間をおいて課題曲2曲を殆どの間違えずに演奏できました。終わると、ピアノの横に立ち会場に向かって礼をして舞台の袖に下がって行きました。間際まで、家で家内に練習つけてもらっていた甲斐あって、上手に弾けました。我が子ながら上出来だと思い、親の緊張も解けホットしました。

 この発表会は、諫早市内にある一土が通っている原田楽器主催のヤマハ音楽教室全生徒による成果発表となるのため、市内など数カ所の教室全生徒の成果発表の場として恒例になっているもので、幼児から高校生の本格的な演奏や先生達による模範演奏まで、いろんなジャンルの曲が披露され夕方までたっぷり楽しく鑑賞できました。

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一土君、小学一年生修了

 世間的に一般的な言葉として、「子供の成長は、あっという間に‥」と言われますが、確かに私もそう思い知らされています。ついこの前小学校に入学したばかりの ”大丈夫かな、一人でちゃんと通学できるようになるかな?”と心配だった息子が一年生生活を無事終え、担任の先生から通知表(?)などを預かって来ました。

 親として、私には出来過ぎの息子で、友達も沢山でき毎日が楽しそうでした。幸い、同じマンションに住む同じクラスの女の子と毎日一緒に登校するなど、色々な面で子育て環境に恵まれていることに感謝しています。学校までの登校時間が30〜40分かかるほど遠いので、特に雨風などの強い日は同じマンションの親御さんに車で送迎をしてもらうなど、本当にみなさんにお世話になりながら過ごしています。

 さて、息子の成長の様子は、心身ともに全般的にバランス良く育っているようで安心しているところです。特技的には、幼稚園生の頃から好きだった図工はクラスの皆んなに認知されているようです。運動神経については普通といったところで、特に秀でていないようです。

 友達付き合いは、ムードメーカーと言うか皆んなと仲良くでき、学年を超えて人気者のようです。そのような様子が伺えることに、仲の良い友達が我が家に遊びに来てくれるようになり、賑やかな日が毎週何日かあります。半ば、我が家は息子たちの「サロン」と化しているようです。

 それから、息子は一年生のスタートとともに塾にも通うようになり、月曜日の午後は学校の後公文へ直行し、それが終わると一旦家に帰ってから習字教室へ、火曜日は塾がないので我が家で友達とサロン遊び、水曜日は夕方からヤマハ音楽教室の個人レッスンとグループよるピアノのレッスンを、木曜日は塾のないので我が家でサロン、そして金曜日はまた公文とというスケジュールで結構忙しい日々を送っています。公文では、国語、算数、英語の3教科を学びそれぞれ一学年上のレベルを学習しているようです。お陰で、文字の読み書きができるようになり、息子からテストや賞状などをもらいました。

 そんな日々を送っている息子は、仲の良い友達がきっかけとなって習字教室に通うようになり、お陰で楽しみながら健やかに成長をしてくれています。音楽と習字や英語の発音は、母親譲りもあってかなかなか上手で、既に私を超えてしまいました。私の方は、絵や図工などを一緒に楽しんでいますが、幼稚園の時にレゴを背伸びして与えたことが功を奏したようで、今では組立図を独りで理解するようになってプラモデルを独りで組み立てることができるようになりました。プラモのガンダムやナノブロックのタイタニックなどを完成させる時は、何時間もご飯そっちのけで食べることより組み立てを優先し、朝から寝るまで集中して組み上げました。楽しくてたまらないそうです。

 また、身体の方もこの一年生の間に身長が伸びてすらっとしたクラスで1〜2番という背丈になり、病気も余りせず本当に良い子で親としても助かっています。これらも母親譲りの体格で、私にしては出来過ぎの息子だと感じています。

 親心としては、何よりも健康が第一ですが、第2、第3と、好きなことを見つけ、その夢に向かって邁進していって欲しいと思っています。 

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母親の27回忌法要と兄の病気見舞い

 この日曜日の25日は、小生の母親故吉田安代の27回忌の法要が吉田家の先祖が眠っている大牟田市三池の鄙びた菩提寺の西岸寺で執り行われました。母親は、戦後間もない昭和22年四男の私を42歳にして産み、男四人兄弟を田舎教師の父親のもで育ててくれました。墓前への参列には私たち男兄弟四人中の二人と、八女の実家の家族および姪御家族の総勢九人、知文君の奥さんと娘の和可ちゃんは他の行事との重複により敢え無く欠席となりました。

 子供の私たち兄弟四人は、83歳を筆頭に、81歳、75歳、70歳という高齢になってしまいましたが、まだ一人も欠けずにこの日を迎えることができました。実家の長男の文紀兄は入院中のため、また三男の平岡郁夫兄は家族の不幸と重なり急遽欠席となり、子供は次男の博至兄と私が参列することができました。

 前日の土曜日24日昼間、次男の博至兄が新横浜から新幹線久留米駅に14:08に到着、諫早から車での途中の小生が拾って八女の実家にお邪魔しました。実家では紀美子姉さんと知史君家族が迎えてもらい、博至兄と一緒の久しぶりな顔ぶれでお茶をいただきました。そして、もう一つの目的でもある、前日少し早目に実家に伺って文紀兄の病気見舞いをすること、昨年の暮から転院した広川町の病院に見舞いに行くようにしていたので、知史君の車で貴美子姉さんに案内してもらいました。

 文紀兄は、この正月前後誤飲感染による肺炎を繰り返したり貧血状態に陥り一時心配な容態になり、そのため専門病院へ転院して輸血と検査をしてもらっていました。その後容態は改善され、安定し顔色も良くなっていました。しかし、自分で口から直接食べ物や飲み物など摂取できない状態になって点滴のみに頼らざるを得ない身体になっており、独りで身体を起こすこともできいほど衰え痩せこけてしまっていました。博至兄と私はベッドの両脇に佇み自分たちの顔を見せ、「博至と智が来ましたよ。わかりますか?」と、紀美子姉さんが「お父さん、博至さんと智さんがお見舞いに来られましたよ」と。文紀兄は眼を開け、無言のままうなづくような間を置きながら私たちの眼を見てくれました。「来たよ、智ですよ、博至兄と一緒に来ましたよ」と眼を見ながら言うと、しっかりとした眼差しで眼を見てくれました。会話を交わすことがおぼつかないので、傍に居ながら布団の中の痩せ細った手をそっと握ったり、しばらくの間穏やかな時を過ごしました。そのような中、私はもう一度兄の顔を見ながら「親代わりになってもらい、色々とご迷惑をお掛けしました。本当に有難うございました。また来ますから、元気にしていてください」と心の中で言いました。博至兄も、同じように優しく手を取り、兄と何か会話をしていたようでした。

 昨年の夏前に見舞った時は、まだ病院に外出許可をもらって蕎麦屋に昼食に行ったり、いろんな想い出のある懐かしい矢部川堤防などをドライブに連れ出したりできたことがまるで嘘のようで、もっといろんな所に連れ出して、いろんな話をしておけば良かったとも思いました。そして、血の繋がった男兄弟という私たちは、すでに皆高齢になっていること、そしてついに来たるべき時が来たという現実を受け入れなくてはならない瞬間に立ち会っていることを感じざるを得ず、穏やかでゆったりと流れる静かな一時を一緒に過ごしました。

 

 お見舞いが終わると、私は博至兄と一緒に八女の実家にお邪魔し美味しいすき焼きをいただきながら、博至兄の外国の山歩きの話などを聞かせてもらい、9時前に予約していた羽犬塚駅側のホテルに向かいました。

 

 翌法要当日の25日は、八女の実家に9:30集合ということでホテルをチェックアウトし、余裕を持って小生の車で博至兄と二人で行きました。すると、丁度同じタイミングで、姪御の佳代ちゃん家族四人のワンボックスと一緒になり一緒に行くことになりました。小生は、大牟田三池のお寺までの道程は分からないので、その車に乗り込んだ甥の知史君の運転に追従することにし、約1時間のドライブとなりました。先祖のお墓のある大牟田市三池の西岸寺は、元々小生の祖父ちゃんと祖母ちゃんの実家が近所にあったことから、このお寺に先祖代々のお骨が納められ小生の両親たちもここに眠っています。

 さて、11時からの予定だった27回忌の法要は、私たち一行の早目の到着に伴い定刻より少し早く始まり、本堂の仏様の前でお坊さんの読経のもと参列者一人づつ焼香を終え滞りなく執り行われました。最後に、心配されていた雨もなんとか降らず、お寺の外側の本堂正面にて記念写真を撮り帰路に着きました。そして、八女市内の小ぎれいな寿司割烹の会食会場に皆んなで移動し、美味しい上品な和食料理をいただきました。姪の佳代ちゃん家族の子供たちとは初めてで、長男はすでに20歳の大学生、妹は高校二年生で実家の知史くんの一人娘の和可ちゃんと一緒とのことでした。私たちの子供の頃、夏休みに従兄弟たちが我が家に泊まりがけで来て一緒に矢部川に行って楽しく遊んだことなどを懐かしく想い出させてくれました。
 やがて、昼食を兼ねた法要の会食会もお開きとなり、博至兄の帰りの新幹線の時刻久留米発16:21に遅れないよう私が車で送りました。博至兄は横浜の港南台という所に住んでいますが、この日は息子の次男修くん家族の住む広島に一泊して帰るということで駅の改札にて別れました。
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2018 お正月

 今年のお正月は、昨年からの風邪を一家で持ち越し自宅で大事をとり、恒例の八女の実家への年始挨拶も兄貴が入院中ということで失礼して、自宅近くの家内の実家だけにしました。なので、初詣も未だです。

 風邪の順番は、最初が息子、続いて私、家内、じいちゃんという流れで未だ完治してません。今年は、インフルエンザ・ワクチン注射を早目に済ませていたせいか、そんなに酷くならず咳が長引くようです。とは言え、去年私は咳が1ヶ月以上長引き放置していたら、後のレントゲン検査で分かったことですが、肺炎を起こしていたらしく影があると言われました。高齢者の肺炎は命取りになりますから、今年はなるべく人混みの中に出掛けないよう心掛け大事をとっています。

 さて、お正月となると、子供にとっての最大の楽しみはお年玉のようです。我が家では、暮れのBSで放送されたスターウォーズシリーズの影響もありお年玉プレゼントに早々とリクエストされていたファーストオーダー・ストームトルーパーをネットで注文を済ませ、正月から組み立てできるようにしました。こちらは、元日にあっという間に組み上げ、二日の日じいちゃんが息子と一緒に近くのプラモデル屋に寄り”好きなものを買いなさい”と言ってくれたそうで、ちゃっかり二つ目のX-wing Fighter のプラモを買ってもらい、息子の一土はプラモ2体を夢中になって組み上げました。好きなことは食事もそこそこに、やり始めたら止められずぶっ続けで完成させました。

 

 それから、一土は楽しみにしていたBSお正月番組の「ジョーズ」と「タイタニック」の二本に釘付け、録画して何度も飽きずに再生して観ました。そして、昨年末の「スターウォーズ」シリーズと合わせ録画再生を私も一緒に観ましたが、そのストーリー、映像、音楽、全てが素晴らしく、世代を超えた最高のエンターテインメントムービーではないかと思いました。

 小学一年生の息子一土にとっては、かなりの影響力があることと思いますが、いずれ大きくなって再度見る機会があった時、本当のストーリーを理解して欲しいと密かに思っているところです。

 今年の正月は、風邪のお陰で静かなゆっくりとした時間を過ごすことができ、我が家にとってはそれなりの楽しい正月となりました。

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早めのクリスマス・プレゼント

 タイタニック号と言えば、イギリスからアメリカのニューヨークに向かう処女航海中、流氷と衝突して北極海に近い海を航行中巨大な流氷と衝突して沈んで豪華客船で、1,500人以上が死亡したという実話が映画化され、綺麗な主題歌とともに世界中で大ヒットしました。

 さて、レゴが好きで息子一土は、動画サイトでいろんな物を組み上げていくのを見ていく内に、いつの間にかレゴでタイタニック号を作り上げる動画を見つけてしまいました。その様子というものは、大人もびっくりの、膨大な量のレゴブロックを一つひとつ気が遠くなるほど何日もかけてリアルに作り上げていくものものでした。そして、実際にプールに浮かべ、氷山に衝突して船体が真っ二つに折れて沈んでいく様子を再現したものでした。

 息子は、それ以来タイタニックの動画ばかりを見るようになり、すっかり魅了されてしまいました。そして、自分も作りたいと言い出し、すでに持っているレゴブロック(幼児用)に加えてあと二つ買って欲しいとおねだり、動画と同じようなことをしようと思えば何十万ものレゴブロックのパーツが必要になります。

 結局、息子の作りたいという気持ちを大事にし少し早目のクリスマス・プレゼントとして、ナノブロックの安価なものをサンタさんに頼みネット通販で届けてもらいました。

 頼んだ品はすぐに配達され、息子は楽しさの余り二日足らずで完成させました。それが、余りにも呆気なく作り上げてしまい、急遽ネットオークションで一円落札品の顕微鏡と紙飛行機作りも大好きなので、追加プレゼントに手作り紙飛行機に装着できるプロペラエンジン(ラジコン)を入手してあげました。落札した顕微鏡は、高い方のレンズに一部欠けがあり、家内が子供の頃使用していた物を実家から引っ張り出して来ました。一土には、物を作ったりいろんなものを観察したり、いろんなことを楽しみながら大きくなっていてくれればと願っています。

 我が家では、息子の小学校が冬休みに入ってすぐ風邪が一巡し、外へ出かけられない日々が続いているので、私と息子と一緒に紙飛行機を作りました。

 

<後日談>

 家族の風邪も大分良くなり、正月が天気に恵まれ暖かい日和になったので、近くの公園へ気分転換を兼ねて飛行機を飛ばしに行きました。そのフライト結果は、厚紙を使用した飛行機本体が少し重たかったようで、プロペラのパワーが弱く滞空時間が伸びませんでした。再度、軽量化を試みてみます。

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一土のマラソン大会

 「子供は風の子』という言葉は、まだ死語ではありませんでした。息子一土の通う諫早小学校では、毎年全校生徒による恒例の「マラソン大会」が0月の寒風の中、実施されています。

 0月0日、コースとなった河川敷は、街中と違って一段と風が強く、応援に駆けつけた親御さん達にとってはそれこそ寒風対策なしでは5分と居られない状況下での応援、寒さ対策は準備してくるよう情報は得ていたものの、河原へ行ってその寒さが初めて分かるという想像以上でした。それでも、親御さんたちは我が子の頑張りには負けてはいられないと、寒風にどこまで耐えられるかという我慢比べでもありました。

 

 マラソンコースは、小学校校舎に隣接する本明川の河川敷に設けられ、スタートからまず上流へ向かって折り返すという一周全長950メートルのコースが設けられていました。高学年生は1週ではなく、一年生の一土たちは一周がマラソンコースとなっていました。

 さて、一年生の成績は、同じクラスの仲の良い”コー君”が断凸で1位、2位は”ハルヒ君”、一土は19位でした。初めてのマラソン大会でしたが、最後まで諦めずに一生懸命完走しただけでも充分です。

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ヤマハ音楽教室発表会(初回)

 小学一年生の息子一土は、私と違ってかなり音感が良く旋律を覚えるのが早くて正確です。TVのコマーシャル音楽や動画サイトの音楽など、メロディーをすぐ覚えてしまいます。こんなことは、私にはできませんので、多分家内の血を引き継いだのでしょう。なので、小学一年生になると同時に、ヤマハ音楽教室に通わせています。

 教室では、ピアノの個人レッスンでは無く、まだエレクトーンによるグループ学習をしており、今年春からの週一回というレッスンなのに11月の発表会に向けて頑張って来ました。発表会の課題曲は「隣のトトロ」に決り、各パートもグループのそれぞれに決められ、一土は主旋律の一部を担当することになって譜面をもらって来ました。教室のない日も家でヘッドフォンをつけ、家内と練習に励んで来ました。

 さて発表会当日、朝から家内と息子は最後のおさらいをして諫早文化会館のホールに11:30に集合、グループ・アンサンブル演奏メンバーのお友達たちは皆、白シャツと茶色のベレー帽を被りどんぐりの実のイメージの装いで合流し、先生と一緒に記念撮影をすませました。

 会場となった中ホールは、観客席数300席ほどですが、子供達の親御さんや関係者などで開場前から並らぶほどでした。私は所定の一般席の真ん中辺りに、家内は子供達が控えるゾーンの付き添い役として別々に座って鑑賞、私がカメラを担当しました。

 

 暗い客席に演奏曲名と演奏者名の場内アナウンスが流れ緞帳が上がって華やかなステージが目の前に広がると、5台のエレクトーンにそれぞれ一人ずつ前後二段に座りイントロが始まりました。私は、後段中央辺りに座った息子の姿を発見、まるで自分が壇上にいるかのごとく緊張し瞬きができないほど見入りました。

 演奏は、週一の6ヶ月と少しの時間で、よくここまで、まさかと思わんばかりの合奏に仕上がっていました。全く触ったことのない鍵盤を、しかもメロディーを弾けるようになるなんて、信じられないほどの出来栄えでした。少しだけの間違い箇所はありましたが、これだけできれば十分です。

 私たち親は、目標を持って頑張ることの大切さを、達成感とともに身を以て感じてくれたのではないかと思いました。素晴らしい発表会を主催された原田楽器さんに感謝をし、これからもお世話になることの意義を感じた素晴らしい一日となりました。

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一土、初めての粘土細工

歯1本1本を細かく造って、1本づつ植える作業
歯1本1本を細かく造って、1本づつ植える作業

 息子の一土に、”パパ!今日、粘土を買って!”と突然言われ、粘土遊びをすることは楽しいし、親としてはむしろ良いことなので“いいよ”と、さっそく二人で百均へ調達に行くことにしました。

 何を造りたいの?と聞くと、“サメ”だと。以前からサメの動画を見たり、絵を上手に描いたり、名前を覚えたり、それとも学校で何か粘土で造ったのかなあと、定かではありませんが急にその気になったようです。こんな時、百均があるので助かります。

 さて、絵と違って立体を造るのはさらに難しく、粘土の柔らかさを部位の大きさに合わせて調整しながらを造らなければなりません。また、補強なしの粘土だけでは歪んでしまい上手くいきません。なので、最初の骨組みと大まかな盛り付けだけは私が手伝うことにし、ダンボールの切れ端と針金とで大体の骨組みを造ってあげました。そしてその後は息子にやらせることにし、最後の色付けまで自分で飽きずやり通し満足のようでした。

 一土は、結構細かい作業が好きで集中する性格なので、一度やり始めると食事より作業の方に没頭してしまい途中で止められなくなってしまいます。工作などは、2〜3時間ぶっ続けになってしまうことは当たり前で、家内に言わせるとどうも私の血だと言われています。確かに、私も好きなことには熱中する癖があり、そうかも知れないなと否定できません。

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兄貴に同行して雲仙妙見岳に登る

 私は男四人兄弟で上に三人の兄たちがいます。その上から2番目の兄貴80歳が、久しぶりに雲仙に登りたいと諫早へ来ました。兄貴は、山のクラブ「深田クラブ」の会長を務める今もなお世界中の山歩きをしている現役のトレッカーです。

    今回の九州への旅は、実家八女の一番上の兄の病気見舞いと、既に出版されて話題にもなった「日本百名山」の改訂版のために九州5山(英彦山、由布岳、雲仙岳、市房山、霧島)を再確認するために訪れるというものだそうです。雲仙の次は、熊本へ渡って市房山へ、最後に霧島だそうです。私は、本格的な山歩きはしませんので、車で普賢岳頂上のすぐ隣の妙見岳まで一緒に行くことにしました。ここまでは仁田峠というところからロープウェイで500メートルほど登り、後は少しだけ徒歩で登れます。当日は風が強く、ロープウェイが左右に大きく揺れたので、私は車酔い状態になり、しばらくロープウェイ降り場で休んで兄貴の帰りを待ちました。帰りのロープウェイもやはり大きく揺れ、再び車酔い状態になりましたが、雲仙温泉街の中にある老舗ホテルの雲仙観光ホテルの喫茶室でしばらく休憩をして気分を回復させ、自分運転の車だったので島原港のオーシャンアロー・フェリー乗り場まで送り届け見送りました。兄貴は、夕方までには熊本港、JR熊本駅経由で人吉のホテルに到着の予定でした。

    兄貴の自慢話しになりましたが、私70歳が末っ子となる男四人兄弟皆がまだ揃っていること、兄弟皆仲良く助け合ってきたこと、そのお陰で現在の私があることなど、懐かしくもあり自慢の兄貴の一人です。私たち兄弟は、中の二人が関東に、一番上と末っ子の私が九州にということで、四人が揃って会えることは少ないのですが、できれば八女の実家で揃うことができればと切に思っているところです。

    さて、妙見岳からの眺めは、運よく天気に恵まれ、大きくて爽快でした。

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福島高校41 3年5組 古稀会

 このお彼岸は、故郷の八女で、福高41会3年5組 古希会、私の高校時代のクラス会が開かれ大変感慨深い日々を過ごしました。福高41会3年5組のクラス会はこれまでもありましたが、今回は久しぶりに故郷の八女に遠くは埼玉や千葉などから駆けつけ、元気な26名が矢部川沿いの「矢部川城」で揃いました。その準備は、地元在住の同窓生に骨を折ってもらい、会の進行にあっては西島君が同窓生一人一人のエピソードなどを交える素晴らしい進行で感心しました。また、一人一人の3分間スピーチは、同窓生それぞれの人生の足跡や歴史などを紹介しあい、大変感慨深い話ばかりで皆一層に親しみを覚え、互いを讃えあった会となりました。

 

    商人の町として栄え江戸時代から伝承される国重無形文化財「八女福島の灯篭人形」、その鑑賞会がセットされた「古稀会」というお祝いを兼ねて再建された矢部川城に元気な高齢者26名が集まり昔に帰りました。70歳の古稀は「古希」とも書かれることから、全てにおいて我らのリーダーであるけんちゃんより「希望」の希だよと諭され、また5年後の再会を、そしてその後も未来志向で残された人生を歩もうとみんなで約束をした集まりともなりました。クラス会はこれまでもそれぞれに楽しい会でしたが、今回のクラス会&古希会は西島君の進行により、まず逝去された同窓生に対する黙祷から始まり、一人一人のエピソードを交える素晴らしい話を聞くことのできた大変感慨深いものとなりました。特にクラスメイトの3分間スピーチにあっては、それぞれのこれまでの人生の一端や足跡を、包み隠すことなく素直な気持ちで紹介し合うスピーチとなり、それぞれの喜びや悲しみなどを共有できたような温かい集いとなりました。

 

 私は、クラス会開催前に実家の仏様にお線香を呈げ、一緒に食事する予定だった実家の兄貴の病院見舞いに行き4〜5ヶ月振りに年老いてしまった一番上の兄に会い、そしてその息子(甥)の娘のダンスパフォーマンスの応援の後、宿泊先のホテルへチェックインしました。丁度、クラス会会場となっている宴会場からの送迎バスと一緒になり皆さんと合流しました。そして、早速バスの中から懐かしい顔との「再会」が始まり、水害で流された宴会場「矢部川城」の再建されたおしゃれな会場へ到着、そこには何を言っても楽しい、無条件のニコニコ顔で迎えられました。

  一人3分間スピーチでは、私の場合は正直苦々しい過去もあり何ひとつ自慢できることもなく、「更生しました吉田です…」と始め、「現在7歳の男の子の父親として…、希望を持って今後の人生を歩んでいきます」と挨拶しました。皆さんに、自分の人生の一端をご紹介できたこと、そして応援の言葉などをいただき和気藹々と楽しい時間を過ごさせてもらったこと。また、翌朝Mさんには八女の旬の栗をホテルまで届けてもらい貴重なお土産ができました。私にとっては、本当に素晴らしい時間でした。

    お世話いただいた地元の同窓生皆さん、本当にお疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

一土 夏休み終了

 息子一土にとって初の夏休み、それは我が家にとっても初めてとなるもので、今時の小学校の夏休みのことなど私たち夫婦には縁のなかった、皆目見当のつかない少々戸惑いを覚えるものでした。しかし、宿題など思っていたより少なく、自由研究など子ども自身の自主性を重んじる配慮がされていて、お陰で宿題を早々に済ませた我が家では、一土を中心にのびのびとした楽しい夏休みとなり息子にとっても想い出の多い夏となったことと思います。

 一土とは、夏休みなったら…という事前約束をさせられていた、運動公園のプール、ウキウキビーチでの海水浴、水族館海きらら、川遊び、虫採りという、私たち家族にとっての消化項目があり、一土の塾のない日と調整をしながらこなすこととなりました。

 夏休みに入ってすぐ、諫早市の歴史・美術館の行事で思いがけなく昆虫展が開催され、三日連続でその昆虫展に通うことから滑り出し、結局、夏休みが終わった後まで昆虫や虫に興味が集中することになりました。また、本物のサメを見たいということで行った水族館海きららと九十九島の無人島の中を遊覧するパールクイーンに乗ったことも良い想い出になったようです。

 一土は、以前からサメが好きで自分なりに絵を描いていましたが、この夏休みにあってはサメの種類をほとんど覚えてしまい、また何と言っても一番の研究は「虫」で「カブトムシ」と「クワガタ」に行き着きました。やはり、昆虫展で見た本物の大きなカブトムシの姿に圧倒されたようで、その印象は未だ続いて来年の夏まで持ち越しになり、来年こそは本物のカブトとクワガタを飼うことになりました。

 なので、私はその道の達人に今年の内からお願いをしたり、自分のテリトリーでもある渓流沿いのクヌギの木に目付け、来年捕獲できるよう備えているところです。男親として、一土の思いに応えたいと今から楽しみながら考えているところです。

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デザインのお手伝い

    私は、諫早市役所途中入庁のOB何ですが、その時以来大変お世話になっている諫早市役所OBのM氏より、退職して以来の本当に久しぶりに連絡をもらい、氏が理事をされている福祉作業所50周年事業の記念品デザインの相談を受け、デザインのお手伝いというボランティアを引き受けることになりました。

 この写真は最終校正で、刷り色のチェックでOKを出したものです。久しぶりでしたが、やはりデザインは楽しいものです。

  M氏は、主に福祉畑のエキスパートというキャリアを活かされ現在も福祉関連団体の理事などを務めておられ、デザインということで私のことを突然思い出されたということでした。 その電話というのは、私が市役所現役時代に図書館建設等で一緒だった同僚のもう一人のM氏より自宅の電話に連絡をいただき、そのことを干拓で釣り中に家内から聞き、その同僚のM氏に電話をし久しぶりに声を聞いたというものでした。お陰で、本当に懐かしいお二人と話ができ嬉しく思いました。

 早速、打ち合わせに施設に伺うと、全く変わらないM氏に迎えられ担当の女性職員二人と打ち合わせを行うことになり、大まかな構想をもとに肉付けをしてこれまでの50年の歩みとこれからの50年、さらに50年というエンドレスで普遍的な時間を靴を履いた足の歩みで囲い、その中に園生活や家庭生活、社会生活などのイメージを園生に描いてもらって収めるというコンセプトにしました。

 写真の色校正を済ませ、イメージ通りにできそうなことを確認して無事式典に間に合わせることができました。出来栄えの方も、施設の関係者の方々に大変喜んでもらうことができ、私としては久しぶりのデザイン的な仕事のお手伝いができ楽しい時間を持つことができました。

親馬鹿シリーズ #7 習字で銅賞

 この春から小学校に通い始めた息子の一土、幼稚園時代から一緒だった仲の良いクラスメイトの彼が通っている書道教室に自分も通いたいと言いだし、自分で積極的にそう思うんだったらとその気持ちを尊重して許可をすることにしました。

 まだ通い始めて数ヶ月なんですが、唐突に症状をもらって帰ってきました。よく見ると、書道教室の大会で「銅賞」を受賞しているではありませんか。私は、文字や書道など全く自信などなく下手なのに、と。確かに、ママは筆文字が上手なのは知っていましたが、それにしても…とびっくりしました。

 一土はまだ一年生になったばかりなので、文字を覚えるのに、筆順を覚えるのに丁度良いかもという位の気持ちでしたが、先生の指導あってのこと本当に毛筆になっているのに驚きました。

 本人としては、友達と一緒に居られることが望みのようでしたが、動機はともかくとして週一回の教室に休まず楽しそうに通っています。

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海きらら

 息子一土との夏休みの約束の一つ、水族館へ連れて行くこと、このところサメの絵を描くのが好きでフィギィアのホホジロザメを買ってあげたことが、そもそも。You Tubeでサメの動画を見ては、本物を見たいということで約束しました。本物のホホジロザメは、県下の水族館にはいなく福岡まで行くには余りにも遠いので、佐世保の「海きらら」にしました。ここだったら、遊覧船での無人島巡りも楽しめるので…。

 8月12日土曜日、おじいちゃんを美恵ちゃんに預かってもらえる日という日程調整後、家族3人マイカーで久しぶりのドライブがてらとなりました。佐世保へは、すでに西九州自動車道が開通していて水族館のある九十九島の玄関口鹿子前まで諫早から約1時間程度で行けるようになっています。一土は、3〜4歳の頃行ったことがあり、今回は二度目の「海きらら」となりました。

 私は、以前シーカヤックを楽しんでいましたが、そのきっかけとなる初めてのパドリングがこの鹿子前でした。その当時は、まだパールシーリゾートが計画段階にあり、地元の知り合いのプロデューサー兼カヌイストに乗せてもらい、その楽しさに魅了されました。その後度々訪れ、九十九島の無人島の合間を漕いだり、無人島に上陸したり、カヌーオリエンテーリングに出場したりなど、九十九島ならではのパドリングを懐かしく想い出しました。

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渓遊び

 当地諫早においても、長崎と言えど、小さな渓があります。我が家から車で20分足らずの小さな河川ですが、生活排水の流れ込まない綺麗な清流の渓流があります。

 私は、長年釣りが好きでフライフィッシングをしており、関東時代もキャンプ道具を車に積んで地方に出かけましたが、諫早に移り住んでからも近隣のみならず九州の河川の渓に入り、20年以上山岳渓流での釣りを楽しんで来ました。

 諫早に移り住んで間もない頃、私は多良山系の河川に渓魚が棲息しているかどうかについて2〜3年掛けて1本1本調べ、天然のヤマメは生息していないことを確認しました。そして、一部の河川については放流された魚がいることも分かりました。

 その時知った渓の一つに、小さな谷合いにもかかわらず自然豊かな美しい渓相の清流を見つけ、それ以来フライフィッシングの練習や渓遊びに訪れるようになりました。

 当時は、まさか息子と遊びに来るようになるとは思っても見ませんでしたが、今こうして一緒に清流に親しむことができることが夢のようです。

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検査入院にてカテーテル治療

 この8月8〜11日は、長崎医療センター循環器内科の主治医の深江先生による一年前から予定されていた検査入院と治療の日でした。

 最初の緊急入院以来から6年、私に心臓の冠動脈の狭窄は体質的に進行が進み、今回2個目のステント留置箇所と拡張施術箇所の一年後の経過を診るものでしたが、やはりステント留置した箇所と以前から監視していた狭窄箇所の進行が見られ、引き続き治療が必要となりました。

 一年前の治療は、3年経過後の念のための検査入院ということでしたが、その結果が良くなく狭窄箇所2箇所(今回と同じ箇所)の進行が見つかりステント留置と拡張施術をしてもらっていたので、今回はそれらの経過と他の狭窄箇所の進行状況を診て状況に応じての治療が必要か否かというものでしたが、やはり狭窄進行が見られる2箇所についての冠動脈拡張施術となりました。

 1箇所目は、最初緊急入院により留置したステント内の再狭窄進行箇所に対するプラーク等の除去と薬剤塗布(ステント内コーティング)、2箇所目は別狭窄箇所のレーザー照射による狭窄箇所のプラーク等粉砕除去及びバルーンカッターによる拡張施術でした。今回の施術は、一度に2箇所ということもあり施術時間が長く2時間ほどかかり、これまで経験したことのないかなり忍耐が必要でした。特に、カテーテルによるバルーン治療の際、血管を内側から圧をかけて治療や拡張をする時の身体の内側に感じる圧迫感が凄く、なんとも表現しがたい鈍痛と息苦しさには参りました。途中吐き気を催すほどでした。治療は、途中で止めることができずただ頑張って耐えるしかなく、なんとか耐えて治療を続けてもらい完了することができました。

 退院前日、主治医の先生から詳しい説明を受け、今回のステン内の狭窄の状況は、留置済みのステントが今より前のタイプだということそれと体質的に狭窄が進行しやすいことが原因として考えられ、血管内径約1ミリ程度までに狭くなっていたと聞きびっくりしました。

 

 これまでも日常的な食事などについては、ママが率先して生活習慣病の原因となる食材などに気を使った手料理による食卓を毎日用意をしてくれ、そして私自身はなるべく間食をせず麺類などのスープは飲まず、揚げ物なども極力避けるようにしています。また、野菜を多く摂ることや野菜から箸をつけることにも心がけ、医療センターの食事指導の先生からも太鼓判をいただいています。

 お陰で私は、主治医の先生や家族のお陰で、日常的にはこれまでと何ら変わりなく好きなことをして過ごすことができ、本当に幸せです。

虫取りと昆虫展

 我が家の息子一土も、いろんな虫に興味を持つようになり、子供らしく怖いもの見たさに虫採り網と籠を持って虫採りに出かけるようになりました。

 今年からは、自分独りで網で採ることができるようになると、近くの公園や干拓地の草原など一緒に出かけ、セミやチョウチョ、トンボ、バッタなどの昆虫を捕まえ自分で虫を触って籠に入れられるようになりました。また、これまでは草むらの中に入れなかったのに今年は勇気を出して入れるようになり、いっぱい飛び跳ねる虫たちを追いかけ回すのが楽しいらしく、毎日のように虫採りに行こうと誘われます。

 梅雨明けのセミから始まった虫採りは、木の根元の小さな穴の中にいるセミの幼虫探しから派手な色の怖い女郎蜘蛛までにエスカレート、マンションまで連れ帰ってママを驚かした後近くに逃がしてあげるというパターンが続きました。肝心のカブトムシとクワガタについては、山の中のポイントに行って探しましたが、今年は残念ながら捕まえることができませんでした。

 また、丁度夏休み期間中なので、グッドタイミングで市の美術歴史館では世界の珍しい昆虫展が開かれていて、子供達向けのお絵かきや折り紙教室なども開かれていました、息子の一土は、すっかり気に入り3日間毎日通いました。そして、帰りに図書館に寄りカードを作って昆虫の本を借りました。

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音浴博物館訪問

 音楽は、その楽しさを共有できることから年齢など関係なくすぐに友達にしてくれる素晴らしい力を持っています。70歳の古希を迎えた今年、私は新しい音楽仲間を得ることができ楽しいバンドを再開することができました。その新しい音楽仲間のA氏から、皆んなで西海市の山の中にある、古いSPレコード盤やオーディオ機器などのコレクションを見に行こうとお誘いを受け、SJQ(島原ジャズクインテット)のメンバーと訪れました。そのメンバーたるや皆60数歳以上、最高齢75歳というまだまだ楽器バリバリの方々ばかりです。その方たちに声を掛けていただきジャズもどきのギターで参加させていただいたことがきっかけとなりご一緒させてもらうようになりました。

 私は中学時代からアメリカンポップスが大好きになり、大学生になってから念願だったギターを手に入れて以来長年バンドを楽しんで来ました。初めた当初は、洋楽のフォークソングなどが全盛で、スリーフィンガー奏法のギターを練習してボブ・ディランやPPMなどの曲をコピーしたものでした。その後は、エレキギターに持ち替え、アメリカのウェストコースト・サウンドに、サンタナに、ロックに、クロスオーバーに、ボサノバにと無節操に広がり、諫早の地に移り住んでからOJC(大村JAZZクラブ)からお誘いを受けジャズもどきギターに挑戦し、定年過ぎまで月一のライブを楽しませてもらいました。その後、リタイアー後間もなく急性心筋梗塞を患い活動を休止し、それ以来楽器はほとんどケースにしまい込んだままになっていました。

 ところが、そんな或る日(昨年春)、やはり音楽を通じた大学生時代からの知り合い、45年来のアメリカ人(東京在住)の銀婚式で急遽セッションしたY氏とすっかり意気投合してしまい、昨年の春ご夫婦で初九州旅行に来られた折諫早干拓の草原で、Y氏はリコーダー私はな生ギターで久しぶりにお手合わせを楽しむという想い出ができました。

 このことがきっかけで、私は再度演奏することに目覚め、独りで部屋で奏でられるフォークギターを引っ張り出しボブディランの曲など昔取った杵柄と言えるかどうかはともかくスリーフィンガー奏法で再練習をするようになりました。

 音楽の素晴らしさは、言うまでもなく、世代を超え国境なしの言語を超えて無条件に楽しめること、高齢になった今思うと音楽という趣味を持っていて本当に良かったと改めて感じています。この歳になっても、新たな素晴らしい人たちとの出会いがあります。

 

温浴博物館について

手回し蓄音機、電気蓄音機、1950~2000年代のスピーカー(ビクターオーディオーラ、JBL4345、タンノイモニターゴールド、真空管アンプなど)、SPレード約10,000枚、LPレコード多数)など多数収蔵、リスニングホールがありSP`レコードやLPレコードを真空管アンプにより聴き放題

http://onyoku.org/index.php?page=home

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総合運動公園プール

 今春小学一年生になった息子の一土は、7月から学校プールでの授業が始まりいつも楽しみにしています。今年は、7月とは言えまだ寒い日が多く、雨が降ったりして中止になる日も多くありました。まだまだ泳げませんが、水に顔をつけてバタ足で進んだり、潜水したりして遊ぶのが楽しいようです。家で風呂に入る時は、決まって水中眼鏡をして潜水して何秒潜れるかの繰り返しです。私は、カウントを数える役ですが、大体20秒程度は息を止めて潜っています。これも、実際のプールのための自発的な練習です。

 県立総合運動公園には、本格的な競技場の他多数の施設があり、夏季には幼児や子供と家族用のプールがオープンします。一土は、こちらのプールには純心幼稚園時代にコスモ幼児スポーツクラブですでに来たこともあり、水を怖がらずむしろ入るのが楽しくて夏休みを楽しみに待ってました。

 今年プールへは、おじいちゃんとママは自宅で留守番となり私と二人でお弁当を持って行くことになりました。7月0日、薄曇りのそんなに暑くない日陰は涼しい陽気の日でまだ夏真っ盛りという日ではなく、私としては助かりました。

 さて、待ちに待ったプールとなった一土は、勝手知ったプールとは言え二番目に浅い水深60センチ程度の所から入り、早速顔をつけて耳栓無しで潜って泳ぎを始めました。そして、続いて水深1メートルぐらいまで徐々に深くなっていき最後が滝に打たれるようになっている少し流れるプールへ。このプールは、昨年までは一土には深く溺れそうで私と一緒じゃないと怖い感じでしたが、今年は身長も伸びたため一人で挑戦できるようになりました。ゴーゴーっと勢いよく落ちる滝の、波だった流れのある所を息を止めて潜るのが楽しく、何回も何回も挑戦し独りで滝の下を通り抜けれるようになりました。まだまだ、息継ぎをしながら潜水はできないので、1回大きく息を吸い込んで息の続く限り手足をバタバタとするだけですが、去年に比べると大きく成長し逞しくなりました。

 この日はまだま本格的な本来の暑さではなく、少し涼しい曇り日だったので利用者も少なくゆっくりできました。午前中遅めに行って念願のかき氷と焼きそばとたこ焼きとじゃがりこなどを食べ、休憩時間を入れてたっぷり3時間ほどプールで過ごしました。

 一土はすっかり満足し、結局すぐまた訪れ、今季は2回来ました。また来年も来ようということになると思われますので、さらなる成長が楽しみです。 

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一土くん、七歳誕生日おめでとう

 息子一土が、この7/9で満七歳になりました。七歳は子供にとっては小学校に上がる歳となり、親にとっても節目となる感慨深いものを感じる歳でもあります。おぎゃ〜と生まれて来てからヨチヨチ歩きから走り回るように、そして言葉も喋るようになって親から離れて独りで学校に通うようになるわけですから、その成長ぶりの早さに驚かされあっという間に過ぎてしまいました。

 一土は、幸いに病気など殆どしなく、元気に明るく健やかに育ってくれ、親としては健康であることが何よりです。小学校では、早速お友達もでき、身長も急に伸びて大きい方になりました。たまたま、同じマンションに同い年で同じクラスの女の子がおり、学校帰りにはお友達を連れてくることも多く我が家はこれまでになく賑やかになりました。

 恒例の誕生日のプレゼントはいつものようにおもちゃではなく、今回は小さい時からドラムの真似事が上手だったので、さらに音楽に興味を持ってくれればという親も想いを込めてオークションで電子ドラムを探してあげました。

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一土小学校1年2組の授業参観日

 6月25日日曜日、今日は休日、敢えて保護者の皆さんが参加しやすいよう設定されたものと思われますが、今春1年生になったばかりの息子一土の初めての日曜授業参観日でした。我が家にとっては、一人っ子で初めてということで、他の家族と違って少々大げさになったかも知れません。

    我が家では、じいちゃんも一緒に行こうということで、朝から揃って朝食を済ませ早目にマイカーで指定の駐車場となった本明川河川敷の臨時駐車場に行きました。この日は、私は博多からの雷魚マンとの約束があったので、早目に車を出せるよう校舎から少し離れた河川敷にしました。お陰で、出る時はスムーズでした。

 さて、教室での授業は、一人(こうくん)休みでしたが、進行係の男の子二人の挨拶から始まり、道徳の時間、算数の時間、交流会という午前中だけの参観でした。

 道徳の時間については、あらかじめ子ども達一人ひとりに母親に対する想いを手紙に書いてあり、息子の一土のも「ママ生まれた時からここまでありがとう。僕が大人になるまで、いろいろよろしくね。僕ママのところに生まれてきて良かったです。僕はがんばるから、ママもがんばってね⭐︎」と、感謝とさらなるお願いの気持ちが込められていました。もう、こんなことまで…と、ホロリとしました。そして、算数の時間ではブロックを使って引き算を、それ次におじいちゃんおばあちゃんと手作りカルタ遊びでした。その絵札は、前もって「あ」「い」「う」「え」「お」…を、子ども達に割り振られていて、息子の一土は「ぬ」が担当になったらしく、「ぬか漬け…」と詠んだ絵入りのカードを作っていました。

 一土は、私が漬物が好きなことから、小さい時から漬物を「かたい、かたい」と言って沢庵を、また梅干しをなめたり、また最近ではキュウリが大好きでその浅漬けには目がありません。

 まさか、ぬか漬けが登場するとは、笑ってしまいました。

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早目の7歳誕生祝いプレゼント

 息子の誕生日7月9日には少し早いのですが、プレゼントは何がいいと尋ねると、サメの動画(You tube)に出てくるコンピュータ制御の映画撮影用だと思われる、精密な動きをする大きなサメのリアルな模型だと言います。ここのところ、なぜかサメの動画ばかり見ては絵を描いたりし、ホホジロサメが良いらしくフィギィアのおもちゃを強請られ買ってあげました。

 フィギィアで収まるはずがないことは想像してましたが、やはりリモコンでサメを本物のように泳がせてたいらしく、それが欲しいとなかなか諦めてくれません。

 オモチャでそんなものはないと強く言い聞かせ、代わりに電子ドラムセットをインターネットオークションで探して買ってあげました。ドラムは、今空き店舗になっている家内の元レストランを多目的スペースに準備中なので、そこに置けるからということもあり、やや親の強引さも加わって決めました。

 一土は、音感も良く、音楽も好きでヤマハの音楽教室にも通わせていますので、また私も最近音楽活動を再開させましたので、練習やミニコンサートなどにも使えるかも、と思って入手しました。

 音楽は、読んで字のごとく、本当に楽しいですね。難しいのは当然ですが、上手い下手ではなく、純粋に心から楽しめることが素晴らしく、国境がありません。私も思い起こせば、中学生の頃からアメリカのポピュラー音楽に魅かれ、大学入学と同時に軽音楽クラブに所属してバンド活動を始めました。大学時代は学業よりクラブ活動のバンドの方が本業でした。卒業後も30代前半まで同様に会社のクラブに入り続け、その後しばらくバンドは止めていましたが、46歳の時当地諫早に移り住んでから、同じ役所の音楽好きに誘われOJC(大村ジャズクラブ)の所属して再開しました。そして、定年過ぎまでライブハウスなどで楽しんでいました。

 現在も、新しいお仲間に恵まれギターを弾くチャンスがあり相変わらず止められない状態でいますが、息子にも音楽の楽しみを感じて欲しいと思いつついずれ一緒に音合わせができればと密かに思っているところです。

 

釣査マンの心得

 当地に移り住み第二の故郷となった諫早、この地には諫早干拓により淡水化した大きな湖「諫早干拓調整池」があり、この新たに創生された内水面には真新しい広大な自然環境と生態系が生まれ、いろいろな生き物たちの住処となっています。私は、幸いにして、この広大な自然をまるで独り占めしたかのように、淡水魚釣りを楽しませてもらっていますが、その淡水魚釣りの中の対象魚モンスター「カムルチー」にあっては、全国的にも屈指のフィールドとして県内外から遠征アングラーが訪れるほどの場所が地元であるということです。しかも、ポイントまで自宅からたったの12〜15分という恵まれた環境にいるということです。

 そのようなことから、連休や休日などはモンスターを狙うアングラーが遠くから訪れ、釣り師同志として意気投合してしまうこと度々です。

 その中のお一人、昨年秋、シーズン終盤の頃、ポイントの近くに駐めて年季の入った赤いランドクルーザーのヘッドライト辺りの部品をバラして何やらトラブった様子の二人組に遭遇、私はこんな所で故障?と思って声をかけました。”どうかしました?故障ですか?” と、この時が始まりで、その後いろいろご教示いただく楽しいお仲間としてお付き合いさせていただくようになりました。

 さて、そのH氏は、博多の中心部で花屋さんを営まれているとのことでしたが、今季の始まる直前の4月にお久し振りに電話をいただき、五月の連休前半に香川まで遠征に一緒に行きませんかというお誘いを受けたのですが、残念ながら私の身体的なことで遠征には自信が持てず、香川行きは見送らせてもらい連休後半に諫早へ遠征に来られる時に再開しようということになりました。

 5月5日、昨年お会いした所と同じ水門前近くで赤いランクルを見つけ、久しぶりに昨シーズンの時と同じ親子二人でご来諫でした。久しぶりの再開の喜びもそこそこにH氏は、真っ先に自分の車から綺麗なインテリアフラワーを取り出し、”これを、忘れない内に、奥様にどうぞ…”と言って、私の車のシートの上に置かれ、その後から互いに挨拶と情報交換を、という男同志としては少々照れるような再開となりました。

 H氏によると、花は私にではなく、家内へということでした。花屋さんという職業がらからというのも、もちろんあると思われますが、とかく釣り師は奥方に我がままをさせてもらい迷惑をかけているのが常、ということから、これから釣り師同志として家内に理解を仰ごうという紳士的な計らいでした。私にはそのことがすぐ理解できず、H氏の話を聞いて、”さすが!本物の釣り師というのは、このようなことがちゃんと出来るのか!”と、うなづきました。

 いつも、私は我が家のリビングで、この優雅な花とマンションの窓から望む私のフィールドと空模様を眺めながら釣りの奥深さを感じています。 

諫早小学校運動会(1年生)

 5月28日日曜日、小学校1年生になったばかりの息子一土と私たち家族は、初めて諫早小学校の運動会に参加しました。小学校全校生徒とその保護者による運動会となると、やはり幼稚園の時と違って大きなファミリーテント持ち込みの家族もいるほどの大きな一大イベントに圧倒されました。私たち家族は、まだ経験がないので木陰に折りたたみ椅子を持ち込み小ぢんまりと収まり、じいちゃんと義妹も駆けつけてくれ一緒に木陰でお弁当を食べ最後まで観戦しました。

 天気が心配されていた中、当日は好天に恵まれ強い日差しでしたが、運動場が広く周りの木陰で爽やかな風を感じながら応援しました。また、家内は広報担当ということで、腕章を腕に付け運動場に出て行って子どもたちの競技など様子などをカメラに収めていました。

 大会競技は、赤、白、青の三つに分かれての競技と個人競技などがあり、新一年生の出番は、「あしたもはなまる(踊り)」、「80m競走」、「大玉送り」、「皿踊り(新のんのこ)」、「へ〜い、おまち!出前です!(チャンス競走)」と5つの種目でした。

 さて、一土の成績については、残念ではありますが、かけっこ4位、へ〜い!おまち!2位、一土の青組総合2位という結果に終わりました。本人にしてみれば、満足のいく結果ではなかったようですが、ともかく一生懸命に頑張った結果ということで、順位に余り拘らないよう言い聞かせました。所詮、私の息子ですから、致し方ありません。

 親としては、結果が出る前まではハラハラドキドキの頑張って1位を取って欲しいと密かに思っていました。しかし叶わなければ、それはそれで落胆しないよう自分にも良い聞かせざるを得ません。楽しく参加してみんなと力を合わせることの大事さや友だち同士であっても時には良きライバル同士であること、について分かってくれれば大きな成果だと思っています。と言いつつ、来年は頑張って欲しいなあと密かな想いを新たに抱きました。

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仲良し小学一年生

 息子の一土は、楽しみにしていた諌早小学校の新一年生になり、通学し始めて早2週間目になりました。毎朝6時に頑張って起き、学校まで歩いて約40分重いランドセルを背負って楽しそうに通っています。

 というのも、この3月同じマンションに同じ一年生になる女の子のいる家族が引っ越して来られ、しかも同じクラスになり毎日一緒に手を繋いで登下校をしています。そして、学校から帰って来てからも我が家で一緒に遊んだり、いつも一緒に楽しくしています。

 昨日は、1年2組の担任の先生の家庭訪問があり、学校での一土の様子などの話を聞くことができました。先生によると、一土は積極的に手を上げて発言したり、友達と話をしたり、休み時間には一土の席の周りに男の子や女の子の友達3〜4人が集まってくるなど、結構好感を持たれているようだと。また、何かの話をすると、その三つ先まで考えて話をするなそうでクラスの人気者ですよ全く問題はありません、と褒めてもらいました。

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今季、初干拓湿地ウォーキング釣査

 今年のゴールデンウィークは好天に恵まれたのですが、例年より気温の低くい日が続いていたことから水生植物や水際の植物などの成長が遅くなっているようです。いつもは、水生植物の新芽が育ち始めているのですが、まだほとんどの場所でありませんでした。なので、全体的に湿地環境の生育が遅れ魚たちの活性も上がっておらず、期待はずれのモンスター狙いの始まりとなりました。昨年のスタートと似たよくない予感がよぎります。

 また、この時期はまだ秋に刈り取られた葦原の新芽の背丈が低くく奥の水際まで歩いて入れるので、夏に攻めれないポンドにルアーを投げることができます。私のような地元アングラーとしての特権かも知れません。

 そして、湿地原では湿地ならではの光景に遭遇することもあり、これも釣査の楽しみの一つとなっています。広大な湿地草原では、野鳥の子育てや元気な小動物たち、以前も見たことのある貝殻を抱いたまま育っている葦など、もともと干潟の海だった名残を発見することもできたりします。

 私が当地諫早へ移り住んで来た当初は、この干拓調整池はなくまだ有明海と繋がった諫早湾ちう干潟が広がる海でした。遠浅の干潟の潮が引くとずっと沖の方まで岩牡蠣が広がっていました。夕方、その途中までジムニーで入って行き、夕陽がなだらかな干潟のうねりに反射して鈍い銀色から黄金色に変化しながら輝く光景を眺めたことを思い出します。この”ギットロ(銀泥)”と呼ばれた独特の風情ある海原の光景は今もはっきりと覚えています。 今となっては、全ての移り変わりが美しく、逞しく、その神秘的な自然の生命力には感動すら覚えます。このような大きな自然の中に身を置いて遊べることは、本当に楽しく幸せです。

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親馬鹿シリーズ #6 私にそっくりでしょう⁈

 

 小学一年生になったばかりの息子が、私を描いてくれました。じっとソファーに腰掛けている私を7〜8分でサラサラとデッサンしてくれました。

 私の顔をご存知の方だったらお分かりだと思いすが、親ながら自分のことを言うのは変ですが、よく似てるなあ〜とびっくりしました。以前、一度レストランでの昼食ランチ待ち時間に描いてくれたことがありましたが、その時より数段上手に描けています。大人の私でも、ここまで似せて描くことはできないかも知れないと思ってしまいました。

 さて、息子の一土は、親に似たらしく絵を描くことが大好きで炎がつくと毎日何時間も飽きずに書き続けます。何かを見て描くと言うより、自分の頭の中で想像している光景を口から擬音を発したりしながら楽しそうに描きます。傾向として、宇宙ものや戦闘ものなど、迫力のある場面を想像しているらしく鉛筆が走った絵が多いです。

 また、物を造ることも大好きなので一緒に工作したりもしましたが、一年ほど前にREGOを買ってあげたところ、これにもハマってしまいました。なので、一年生入学祝いにREGOのテクニックパーツのメカニカルな動きをするユニットのアイディア集の本を買ってあげました。そしてなお、テクニックパーツ数十個も注文してあげました。

 そのメカニカルパーツを入手したら、早速の独りで組見上げ見せてくれました。なんと、ちゃんと動きました。これからも、いろいろな動きを作り出すユニットを考えて組んで欲しいものです。また、いろんな絵をたくさん描いて欲しいと思っています。

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諫早小学校 入学式

 今年の桜の開花は、例年よりも遅い、しかも関東地方より遅い、入学式あたりが満開かなと期待されいましたが生憎の雨と風にやられました。そんな4月10日、強風と横殴りの雨の入学式となりました。新一年生にとって、まだ始まったばかりの道のりですがしっかりと地固まって欲しいものです。

 さて、校舎裏側の駐車場に車を止め、雨に濡れながら正面入口に回って張り出されたクラス分け表の中の”よしだ かずのり”を探し、2組であることが分かったら続いてその2組の傘立てや靴棚を探し靴箱に履いて来た靴を入れという流れの後、やっと受付へ。”2組のよしだ かずのり”を告げて受付を済ませると、待っていてくれた6年生の男の子がへエスコート役で一土を1年2組の教室の自分の机まで案内してくれました。

 一土のクラス1年2組は24名で、席順はアイウエオ順だと思われることから、左側2列目の一番後ろという席になっていました。担任は、優しそうな背の高い女性の井手下由紀先生で、一土も安心している様子だった。また、つい最近同じマンションに引っ越しして来たH瀬璃都美ちゃんも同じクラスで、一緒に登下校ができ安心しました。やがて、みんなが揃うと新しいお友達一人ひとりの自己紹介があり、各自のランドセル置き場所などの所定場所のことと通学路及び自宅場所など、一通りの説明などが終わり、10時からの入学式会場となる体育館へ移動しました。

 さて、体育館で執り行われた入学式は、幼稚園とまた違った趣のある6年生までの全校生徒が迎えてくれるスケールの大きい緊張感のある立派なものでした。新1年生にとっては、各自の紹介ということで一人ずつ名前を呼ばれ大きな返事とともに起立して会釈をするという、緊張感のある1時間にも及ぶ式典となり貴重な小学生への仲間入りの瞬間を経験できました。

 今年の新一年生数は、昨年より22名程少ない1クラス24名が2クラス、25名が1クラスという3クラス73名、全校生徒478名とのことでした。これからの日本を支える人間の一人として、みんな夢に向かって頑張って欲しいと改めて思いました。

 そして、式典終了後、保護者の育友会のあ世話係選出があり、家内は広報部理事に立候補し1年間育成会のスタッフを務めることになりました。こちらも新一年生のため、先輩保護者の方々の指導を仰ぎながらお手伝いすることになりました。

 

 さて、息子の通うことになった諫早市立諫早小学校は、現在諫早市役所庁舎のある場所から諫早市中心市街地開発計画により田井原地区に移転することが決定し、その建設時と時を同じくして私が諫早市へ赴いた時に校舎のデザイン等に携わらせてもらった校舎でもあります。まさか、こうして息子が通うことになるとは想像できませんでした。しかしながら、親子でお世話になれる日が訪れたことについて、本当に嬉しく光栄にも思います。

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純心幼稚園 卒園式

    息子一土6歳は、平成29年3月18日大好きな担任のE美先生を始め幼稚園の先生方に2年間お世話になり、幼稚園生活を元気に無事修了しました。

 入園を考えた当時は、まだ私たち家族は城見町に住んでいて自宅から歩いていける近くの純心幼稚園へ、3年間にしようか2年間にしようかと迷い2年間通うことに決めました。通い始めの頃は、自宅から歩いて5分、坂を一つ越えればすぐそこという距離でしたが、その後上町に引っ越してからは楽しいバス通園に変わりました。

 今から思えば、一土は2年という期間で十分だったように思っています。私たち親二人は、ともに仕事をしていなくて毎日子供とべったりの生活で、まだ小さい時は親から離してどこかへ預けなくてもいいのではないかと、親も暇なんだから親の愛情を優先して溢れるほど注いだ方が良いのではと考え、1年短くして2年間通わせることにしました。

 一土は、どちらかというと一人っ子で幼かったのですが、幼稚園初日も不安そうでしたが泣かずに我慢しました。そして、最初からよく先生と親しく話をし、辛い思いをすることなく楽しく通園できました。

 純心幼稚園は、諫早では古くから伝統ある聖母マリア信教のカトリック幼稚園親で、先生方も系列の女子大出の若い方ばかりの格式のある幼稚園です。ベレー帽をかぶった制服姿は、礼儀正しく言葉遣いもきちっとしていてお坊ちゃんお嬢ちゃんの趣をも漂い、その伝統を感じさせてくれます。

 一土もなんとかその場に溶け込むことができ、風邪で何度かお休みはしましたがほとんど休まず毎日楽しそうに通いました。2年間大好きなエミ先生に担当していただき、本当にラッキーでした。一土にとっては、初めてのことばかりだったと思いますが、先生方の指導が上手だったので、人懐っこい友達がすぐできる面白がりの男の子らしいに子に育ってくれました。親では決してできない、幼稚園ならではのご指導に感謝をしています。本当に、明るい元気な子に育てていただきありがとうございました。

 そして、お陰様でめでたく卒園を迎えるにあたり、その素晴らしい厳粛な卒園式に感動しました。子供達も親と同じだったことと思います。卒園することは、未来に向かってステップを踏むための次のスタートでもあり、親として嬉しくも寂しく…複雑な気持ちになりました。これからも同じようなステップを踏み、どのような道を選ぶことになるのか分かりませんが、健康で元気に明るく、自分で決めて歩んでいって欲しいと思います。

 

<後日談>

 地元TV番組の「一年生になったら」インタビューで、我が家の一土だけ ”一年生になったら、宇宙飛行士になれるよう勉強頑張ります”と大きなことを言っていました。この微笑ましい大きな夢をいつまでも持ち続けられるよう、親の務めを果たしていきたいと思っています。

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幼児スポーツクラブ「コスモスポーツクラブ」退会

 息子の一土は、純心幼稚園の年中さんから2年通園しましたが、併せて同園の放課後週一のペースで開かれている幼児スポーツクラブ「コスモスポーツクラブ」にも通いました。

 このクラブでは、年少から入園と同時に入会して3年間通う幼児も多く、息子が入会した当初は周りの幼児たちに圧倒され、親として大丈夫だろうかと心配したほどでした。しかし、親の心配は他所に、家の中や親だけではできない身体全体で大声を出して思う存分に走り回ったり飛び跳ねたりすることができ、楽しみながら最後までほとんど休むことなく通いました。
 指導内容は、体力的なことは当然ながら、集団で安全に身体を鍛えるために必要な「規律ある集団行動」や「挨拶・返事」、「集中力」、「忍耐力」、「達成感」などが組み込まれた一時間プログラムで、鉄棒や跳び箱、マット運動、ブリッジや逆立ち、縄跳び、かけっこ、ドッジボールなど、幼児の体力や運動能力に合わせた密度の濃い指導を受け逞しくなりました。

 

 アッという2年間でしたが、一土は仲の良いお友達もでき、独りで逆上がりができるまでになり、その成長ぶりに感動しました。この度は、卒園に伴いクラブを退会することになりましたが、親として通わせて本当に良かったと思いました。

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歳をとるということ   受け入れます

 団塊の世代の一員である私も、今年はめでたくと言って良いものなのか古希を迎えることになります。今日でこそ、こうしてのん気なことを言えますが昔だったら間違いなく迎えられませんでした。

 私は、丁度6年前の2月急性心筋梗塞で倒れ救急車にお世話になりました。市内の救急病院を経由し隣市の国立長崎医療センターに緊急入院をし、カテーテル手術により心臓冠動脈の拡張とステント留置(金属メッシュパイプ設置/動脈内狭窄部補強)を施してもらい、胸の切開なしのリハビリ期間を含める3週間ほどで日常へ戻ることができました。そして、引き続き定期検診に通い、他の狭窄箇所の拡張と別の冠動脈に新たなステント留置を、また3本目の冠動脈の拡張を言う具合に処置をしてもらいながら元気に過ごしています。主治医の先生によると、私の心臓はすでにポンプ能力低下と身体全体への新鮮な血液供給能力が落ちており以前のようにはいかない、そして以前のような状態には戻らないということだそうです。要は、いかに最後の着地点を伸ばすか、ソフトランディングさせるかがテーマだと教えてもらいました。

 私たち日本人男性の平均寿命は80歳を超えていますが、身近な所にも82歳になる兄や義父(家内の父親)がおり、義父は私の自宅から徒歩5分という距離にある古い電気屋現役時代からの店舗兼住宅の2Fに住んでおり、5年前に義母を亡くしてから一人暮らしになっていました。70歳後半とは思えない元気な義父は、長年続けてきた大きなイベントなどの音響設営(PA)受託や昔からのお得意さんのアフターなど、アナログ時代に培った電気修理等の技術と人柄を買われまた後身の指導を兼ねて仕事をしていました。ところが今年1月或る朝、義父が倒れたという知らせがお店の方から入り家内と一緒に慌てて駆けつけると、顔面の左目辺りに打ち身と擦り傷と左首の痛みに意気消沈しソファーに座って休んでおられていました。最初に異変に気づいた店のスタッフによると、毎日朝の日課となっている店舗駐車場側入り口ドアのシャッターを開けていた時に倒れていたらしく、その状況を発見し”どうしたんですか?”と話しかけたところ意識が朦朧として顔面に打ち身、慌てて2階の自宅まで連れて行ったとのことでした。その後社長が様子を見に行かれ、家内へ急いで電話連絡をしてもらったということでした。

 独り暮らしをしている義父は、昨夜毎年恒例となっている消防団の出初め式の夜の会食会に出かけて少々酒を呑み帰宅後、座敷の畳の上で転んだらしく酔っ払ってのことだろう位にしか思わなかったようですが、その翌朝の出来事となりました。

 

 駆けつけた時は、義父の様子はすでに意識は戻り椅子に座って落ち着いていましたが、すぐ救急車を呼んで市内の脳外科M病院へ救急外来で駆け込みました。CTスキャンや脳波等の検査はすぐ終わり、先生の話によると検査の結果は特に悪い所は見当たらないということでした。とにかく良かったと胸を撫で下ろし、水分を十分に摂りましょうねという位のことですぐ帰宅しました。ところが、翌朝食後、また食卓の椅子に座っている時突然白目をむいて頬が少し赤らみ意識を失ないガクガクと震える症状になったのでまた救急車を呼んだ、と泊まり込んでいた義妹のMちゃんから連絡、今度はMRIなどの追加検査をしてもらうこととなりましたが、またもや前回と同じく検査結果は異常なし。M脳外科としては心療内科や循環器系の可能性があるので、主治医のM病院と相談してどちらかの病院で調べれた方が良いですよとアドバイスをもらい、結局主治医M先生の紹介により市内のI総合病院での再検査入院となりました。

 こちらのI総合病院においても、1回目の検査ではそんなに深刻ではない不整脈(期外収縮)は見られるが他には特に見当たらないということで、不整脈を整える薬の処方程度で退院になりそうになりました。私たち家族としては、朝食後に起きる頻繁な失神症状のことに納得できず、何か原因が必ずある筈だと失神を繰り返す状態のまま退院とはおかしいと思い、カテーテル検査を強くお願いしました。すると、やはりこちらの予測通りで心臓冠動脈2箇所に狭窄箇所発見、一箇所は心筋梗塞寸前でその場でステント留置となりました。循環器内科のY先生によると、このような状態にまで狭窄が進んでいたのに自覚症状がなかったというのは、大変珍しいと。施術後は、失神等の症状は治まりいつもの日常生活に戻ることができ、どうも失神等(不整脈)の原因は心臓冠動脈の狭窄だったようです。もう1ヶ所については、様子を見ながら少し時間を置いてからにしましょうということになりました。

 

 義父は近くに住んでおり夜だけ独りでしたが、病気してからは誰かが必ずそばに居ないと心配な状態になり義妹Mちゃんが泊まり込んだり我が家に泊まったりという二重生活になりました。このままでは皆が落ち着けず、近々我が家の方へ引越しをしてもらおうと考えている所です。

 我が家では、息子の一土もじいちゃんじいちゃんと遊び相手が増えて楽しそうにしており、三世代同居の少なくなった時代になった今日、家族の暮らし方について自らの問題としても考えさせられることが多々あります。

 

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世代交代が訪れた  2017 A Happy New Year

 謹賀新年

 私にとって今年は古稀に当たり、元気にこうして過ごして来れたのは皆さんのお陰だと思っております。この正月我が家は、息子一土が師走にもらってきた風邪で順にダウン、最後の私は未だ咳に悩まされ熟睡できません。引き始めは、喉に折れた割り箸が縦に引っかかったような痛みと血の混じった黄緑色のタンが喉の奥に絡らむ状態が1週間以上続き、その後咳に悩まされるという日々です。今は、家族3人とも少し咳は残っているものの元気になりました。

 さて、3日の日は風邪もだいぶ良くなり天気に恵まれた温かな日和となったので、毎年恒例になっている私の八女の実家へ年始の挨拶に出かけました。実家では、私の一番上の兄夫婦とその長男(知史/子供1人)家族の5人が住んでおり、今年の年始には福岡市内在住の姪佳代ちゃん家族(吉松さん/子供2人)と一緒になり、今年20歳になる長男と妹という二人の子供たちにも会うことができ、例年と違って若い人たちと賑やかに歓談しました。そして、吉田家の脈々と繋がっている血の流れと受け継がれている一族の生活について改めて厳粛さを感じました。

 

 新年の座敷での宴の上座には、必ず吉田家の大黒柱として文紀兄が座ってお屠蘇の杯を交わした来たのですが、今年は83歳を数える兄が体調が優れず自分の部屋で過ごしたいということで残念ながら同席しませんでした。この3〜4年老人性の病気で入退院を繰り返しているのですが、年々体力の低下が見受けられ独りで歩くのもおぼつかない様子です。また痴呆症も徐々に進んでいるようで、家族によると同居の自分の息子(知史)に私の名前を言ったり、断片的に若い頃の記憶を口走ったりなど、言動の方もおぼつかなくなってきたようです。そんな兄と私は、四人兄弟の一番上と一番下という丁度一周り違う12歳違いで、兄には一緒に遊んでもらったというよりむしろ色々と迷惑をかけながらも面倒を見てもらった親子のような兄弟です。 釣りを道楽としていた田舎教師の父親は、厳格でありながらも私を幼い頃淡水魚釣りに連れて行ったりしてくれましたが、私が成人する前に亡くなりました。私は、大学進学については諦めようかと思ったりもしましたが、いや自分独りで家を出て好きなデザインの道を目指してみよう無鉄砲に決心、結局兄貴たちに大学浪人までさせてもらって東京の美術大学に進学しました。デザイナーという仕事に着き定年まで全うできた、この幸せな人生を歩むことができたのは、吉田家の一番上の兄を始めとする次男三男三人の兄貴たちの支援のお陰だと思っています。私にとっての兄は、正に親代わりをしてくれた一度も怒ることのなかった寛大な人です。そして、私たちの両親がともに欠けた後も、私のかけがえのない生まれ育った実家の玄関を、私のためにいつも開けておき私が帰省してくるのを快く待っていてくれました。

 私は、そんな優しい兄に甘えお世話になりなんのお返しもできないまま今日を迎えてしまいました。そのようなことからでしょう…兄がよく私の話をするそうです。私に残されているこれからの時間の中、できるだけ八女の実家へ出向き、大変お世話になった兄貴とせめてもの昔話など楽しみたいと思っています。

 

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背伸びして LEGOテクニック

 六歳になる息子一土は、物心ついた頃からメカニカルで金属的な物がなぜか大好きです。特に最近は、おもちゃなどをドライバーで散して中身を見ることに興味があり、壊れたおもちゃや飽きていらなくなったものをすぐ分解したがります。細かく緻密に配線されたプリント基盤には目がありません。また、歯車の噛み合った部品などは堪らないようです。遂に、バラしたパーツ箱を用意しました。

 戦後育ちの私にとっては、もし私の子供の頃もこのようなオモチャがあったならどんなに楽しかっただろうと、私もきっと熱中して息子と同じであっただろうとふと思います。贅沢なおもちゃかもしれませんが、自分が思う存分できなかったことだから息子が望むのであればと、ヤフオクで調達しました。親子で無心に一所懸命遊べることは、幸せで楽しいです。

 日曜日に宅配で入手し月曜からの三日間、 まずは分厚い組み立て説明書の見方から、文字を一切使わない綺麗な見取り図で部品と組み立て手順をきめ細かく丁寧に分かり易く描かれた冊子、これだけでも素晴らしいLEGOの凄さにびっくり、これだったら息子にも理解できるかも、と思いました。その思いは的中し、描かれたパーツの絵ろ同じパーツを同じ数だけ探し、それぞれを同じ向きに並べて置き、そして描かれた矢印の方向にパーツを挿しながらブロックパーツのパーツを組み、その後組み上がったブロック同士を組み上げるという作業の連続となりました。

 一番最初は、全体のベースとなるキャタピラー部分の組み上げから始まり、次にクレーンの回転部である動力部と運転席とクレーンアームのベースという具合に下部から徐々に上部へと。毎日幼稚園から帰って来ると、すぐさま幼稚園バッグを投げ捨て着替えもそこそこに作業開始、いつもの”お腹空いたあ!”という大声もなくおやつや食事も忘れて没頭、想像以上の速さと集中力で組み上げていきクレーンの巻き上げワイアーセットと掴み上げるヘッド部を残すのみのところまでいきました。

 

 

息子にとっては、まだちょっと高度過ぎるかも知れないと思いつつ、クリスマスプレゼントの前倒しで幼稚園生には少し早目の電動式LEGOテクニックを与えてみたところ、親の心配そっちのけの物凄い集中力と持続力により三日半独りで完成させてしまいました。親としては、息子なりに達成感を味わい自信に繋がってくれればと期待をしているところです。

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感動的だった純心幼稚園の生活発表会

 12月8日、息子6歳一土の通う純真幼稚園において、家内と楽しみにしていた普段の園生活の成果発表があり見に行って着ました。

 一土が元気に楽しく通うようになって早二年、今年は年長さんになりピアニカの演奏と演劇の発表でした。いずれも大変上手で見応えがあり、特に約45分間の聖劇には感動を覚えました。内容はキリスト誕生の話でしたが、舞台の演出も素晴らしく何と言っても幼稚園生にここまで演じることができるのかと思わされた、厳粛な素晴らしい出来栄えに大変な驚きとともに感動を覚えました。観客席の親御さんたち皆も同じで、涙を拭ってる人も沢山いました。

 息子が幼稚園から帰ってくると、今日は何の練習をした、本当の舞台でリハーサルを、今日はそれぞれ衣装を着て…、などと報告を聞いていましたので、どんな演劇をするんだろうかと本当は心配半分期待半分でした。ところが、先生方のご苦労と指導の賜物とは言え、本当にびっくり、感動しました。甘やかしてばかりの息子が健やかに確かな成長をしていること、通園している間にだんだんと子どもに成長していっているいることを目の当たりにすることができ、一人の親としてただただ感謝の気持ちで一杯になるとともに大きな喜びを感じた貴重な日となりました。

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街中健康ウォーキングを楽しむ

 私の淡水魚釣りの目的の一つでもある健康のための湿地ウォーキング、10月下旬でその釣りはオフシーズンとなるため、ウォーキングコースを自宅から直接歩いていける街中に変更しています。

 さて、当地諫早の中心市街地には、一級河川の本明川とその水辺空間と隣接する緑のモニュメントと呼ばれる天然林に覆われる諫早公園と上山公園という先人から受け継い小高い山があります。昔山城だったこの山には、もともと佐賀藩(俗称鍋島藩)の一部であった諫早の領主諫早氏(初代:龍造寺/鍋島藩家老、2代目以降:諫早氏)にまつわる史跡のほか、諫早家の菩提寺となる天佑寺があり風情のある荘厳な緑の空間となっています。これらを含む山一帯は、風致地区として古来からの天然林が保護されて引き継がれており、市民の隠れたウォーキングコースともなっています。

 喧騒から逃れた天然林の中のウォーキングコースは、適度なアップダウンに富む自然のままの土の散策路となっており、鳥の鳴き声を聴きながら木漏れ日の中を歩いていると身体の中の動物的な感覚が目覚めたような高揚感を覚え、楽しくなってしまいます。

 

 自宅から全行程2時間足らずで街中とは思えないウォーキング、私のウォーキングの締めくくりは、帰り路となる水路に沿う緑の散策路高城回廊を貫けた所に、私の現役時代当地へ赴いて間もない頃計画づくりから携わった市立図書館のカフェに立ち寄り美味しいコーヒーと軽食をいただくようにしています。図書館のすぐ横にまっすぐ空高くそびえるメタセコイアの木を眺めると、建設当時工事の邪魔になるので切らせてほしいという業者の話が出たことを思い出しますが、何とか切らずにやってほしいと頼みました。根の一部を傷つけざるを得ませんでしたが、建物に寄り添って元気に枯れずに育ってくれています。

 街中をウォーキングしていると、現役時代に携わった建設計画を経て完成した施設を見ることができ、諫早に来て自分の仕事の一端を残すことができ本当に良かったとつくづく感じています。そんな懐かしい当時を探し歩くのも楽しく、心身ともに力が湧いて来て若返るような気もしています。

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電気を見たい!

 なぜか?メカニカルなものが好きな一土は、電子機器に使われているプリント基板が大好きで、なんでも分解したがります。幸いなことに、じいちゃん家がエディオン岩崎電気という昔ながらの電気屋であるため、不要になった電気製品の基盤をもらってきては嬉しそうに集めています。また、TV背面のルーバー越しに懐中電灯で照らして中身を覗くのが好きで、じいちゃん家の大きなTVをいつも覗いています。

 最近は、モーターを組み込んでメカニカルな動きをするレゴに興味を持ち、どちらかというと子供ではなく大人が夢中になっている複雑な、レゴとは思えないほどの細かく複雑な動きをする動画をよく見ています。少し前までは、輪ゴムを使うレゴの連発銃などを見ていましたが、最近はさらに高度になったモーターを組み込んだレゴに興味が移りました。

 レゴは、以前から私も遊ばせたいと思っていましたので、先ずは形を組むだけのブロックセットを買い与えたのですが、すぐメカニカルな動きを作れる歯車などのテクニックパーツを追加させられました。また、プラレールなどの壊れたおもちゃからモーターを取り出し、回転運動を応用していろんな動きを作り出せるようにしました。

 ところが、電池でモーターが回るのを不思議に思って電気を見たいと…。私もはたと困りましたが、早速インターネットで参考ネタを探したところ、フレミングの左手の法則とやらではなくボタン電池のようなマグネット数個と単三電池1個と裸銅線で作れる簡易モーターの動画を見つけました。早速、百均でそれらを調達し、銅線をやじろべえのようにバランスを取って電池の一方の端子の上に乗せると、なぜか勢いよく回リ出すという簡単な実験を一緒にしました。

 この歳になって、子供と一緒に真剣になって実験をするするのは滑稽かもしれませんが、私としてはとても新鮮で、復習とでも言いますか、銅線が回り出す瞬間には感動を覚えました。これからも、息子と一緒にいろんな復習が続いていくことと思いますが、楽しんでいきたいと思います。

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