じいちゃん(義父)骨折

 我が家は、じいちゃん(義父)と同居している一人息子夫婦という四人家族です。本ブログだはそのじいちゃんについてです。

 じいちゃんは、昭和天皇と同じ昭和9年生まれの86歳で、岩崎家(家内の家系)の次男坊として家業の電気屋(技術面)を中心に支えて来ました。また地元商店街では、消防団員として定年まで地域に貢献して来ました。そのようなじいちゃんの時代は、日本の高度成長の真只中、“三種の神器、何でも相談”に応える電気屋(岩崎電気/家電販売店)として色々な電化製品の修理などを引き受けてきた地域の電気屋だったようです。今日のように壊れたらすぐ買い換えるのではなく、先ずはなんとかして直すというのが常識でした。そのような中お客さんから名指しで電話がかかってくると、すぐ飛んで行きその場で何とかするというのが当たり前の時代で大変重宝される存在だったと聞きました。なので、お得意さんたちが高齢になられてからも電話は絶えず、幸いなことにじいちゃんは80歳くらい迄現役でした。

 現役時代のじいちゃん夫妻は、市内中心部の商店街に初の鉄筋コンクリート3階建店舗として建てられた2階に住宅を構え、時代とともに地域で生活をして来ました。そして、おばあちゃん(義母00歳)に先立たれた後もそのまま店舗2階で独り暮らしを続け、朝早起きして店のシャッターを開けることから1日を始まるという几帳面で真面目な生活を続けていました。私たち家族はその店舗と目と鼻の先という近い所でしたので、毎日のようにじいちゃんの自宅に家族三人で行き一緒に夕食を共にするという生活でした。ところが或日の朝、電気屋の方から“常務が倒れられた”との連絡、その後我が家で一緒に同居するようになり家内の献身的な介護とデイサービスとショートステイにお世話になりながら一緒に仲良く暮らしていました。

 さて、同居するようになってから5年後のGW直前のコロナ禍の中、ショートステイから帰宅し自宅マンション廊下で転倒、救急車で市内の救急病院(西諫早病院)へ搬送してもらい股関節頭頸部骨折と判明、即入院して要手術となりました。ところが、数日後主治医より手術に必要な白血球数が足りない(事前検査結果)ためできない旨の急遽変更、しかし再検討にて “長崎医療センターだったら輸血をしながら手術ができるそうです” との朗報をもらいました。

 結局、長崎医療センターへ正式に転院して手術をしてもらうことになり、4月23日無事手術(人工関節留置)を終えることができました。

[ 後日談 ] 

 長崎医療センターへ転院し改めての再検査によると、血小板数がかなり戻っていて骨折時の傾向でもあるといういうことでした。輸血の心配も少なくなり場合によっては不要になるかも知れないとのことでした。

 退院については、これまでお世話になっていたデイサービスやショートステイ施設の利用継続ができない状態になるため、お世話をいただいているケアマネージャーの方があらかじめその後のサービスの受け方等を考えていただいていました。以前のような在宅(同居)生活を続けられなくなるということから、退院のタイミングに合わせてこれまでと同じ施設の特別擁護高齢者施設部門を利用できるよう調整してもらっていました。そのお陰で、病院の退院については介護タクシーを、そして新たな施設の入所手続きに係るマネージメントについても施設まで来ていただき立ち会って処理をしていただきました。何から何まで、ケアマネージャーさんに本当にお世話になり万事スムーズにことが運びました。私たち家族だけでは右往左往するばかりだったところ、本当に有り難く感謝をしております