実家の兄の四十九日法要と納骨

 十月二十日、九月五日に永眠した文紀兄の四十九日の法要が終わり、同日吉田家の菩提寺西岸寺に納骨も無事に終わりました。

 当日、法事は12時からの予定でしたが、私は朝8時半ごろ独りで車を運転して10時半ごろ八女の実家に着きました。まだ、誰も到着しておらず私が一番乗りでした。私は紀美子姉さんに迎えられお座敷に上がり、早速礼服に着替えご仏壇にお参りをして皆さんたちが揃われるのを待ちました。そして、11時過ぎには山下のご夫妻(恵仁さんの両親)、和智さんご夫妻、姪佳代ちゃんと娘の奈緒ちゃんが揃い、お座敷縁側のソファーで団欒をしながら正福寺の住職を待ちました。

 12時少し過ぎ、お坊さんが来られ、仏間の仏壇前の祭壇に線香を焚かれ"南無阿弥陀、南無阿弥陀仏、…”と読経が唱えられ、30分ほどで滞りなく四十九日の法要が滞りなく終わりました。住職の説教では、昨今の教師による後輩教師に対するいじめの話を出され、先祖代々から伝わる人の命の尊さと子供たちに対する大人としての在り方について、動物にすら劣る時代になってしまった。人としての生き方のできない教師がいじめをする時代になぜ、子供たちを教育できるはずがない、と世の中の変わり様に嘆いておられました。そして住職が帰られると、元国鉄時代に福島駅のあった近くの和食屋さんに皆さんで揃って行き、美味しい懐石料理をいただきました。

 

 一旦皆さんと実家に戻りそれぞれに別れた後、私は車に紀美子姉さんと兄のお骨を乗せ、甥の知史夫妻の先導車に誘導され大牟田市三池の西岸寺へ向かいました。お骨は、西岸寺の住職にお経を上げてもらってから納骨堂の吉田家の棚の中にお納めしましたが、その時ご先祖の複数の骨壺を順に確認していたら、私の父故幸一郎の壺が大小二つありました。私の記憶では、父がなくなった時、この三池のお墓の他に八女の正福寺(実家でお世話になっている寺)に分骨をするという話があったことを覚えていて、そのために二つに分けて保管してありました。棚もいっぱいになっており、分骨予定だったお骨も皆さん納得のうえ住職に頼んで処分をしてもらうことにし無事に納骨を済ませることができすっきりしました。喪主を務められた紀美子姉さんもやっとほっとされ、穏やかな様子で私も安心しました。

 その後、私は大牟田市の長洲港からの有明海フェリーで多比良港に渡り、島原経由で帰ることにし西岸寺で皆さんと別れました。お寺を離れる時は、目頭が熱くなるのを覚え、たまにはこのお寺を訪れようと心の中で誓いました。そして、フェリー乗り場まではほとんど昔ながらの風合いの残る一本道で、40分程で着き、5時35分発に間に合いました。フェリー甲板から眺める兄の旅立った西方浄土のある西空が真っ赤に染まり、兄の面影を偲いでシャッターを切りました。夕陽の色が、いつもより鮮やかでした