好きな音楽を通じて

 私は、きっかけは覚えていませんが、中学生の頃からアメリカのポピュラーソングに魅了されラジオから流れる洋楽などを聞き始めました。当時、私の田舎(福岡県八女)では、アメリカ軍板付基地(海の中道公園辺り)のFEN放送に聞き耳を立て、DJ(ウルフマン・ジャック)の喋りとポップスやカントリソング、ビリボード誌のヒットチャート・ランキングなど、英語放送だったので何を喋っているのかは全く分からないまま毎週一生懸命聴いていました。そして、高校生になると同じような仲間ができ、テープレコーダーに最新曲などを録音しテープの回転を落として歌詞を聴き取ったりしていたことを想い出します。今(デジタル)はテンポを落としても音程は変わりませんが、当時(磁気テープ・オープンリール)は、回転スピードを落とすと音程も同時に落ちて低くい怖いような声に変わり、女性のヴォーカルも相撲取りの声のようになってしまいました。

 当時、音源はLPレコード盤で子供の小遣いで買えるような代物ではなく、ステレオセットも贅沢品でまだ一般家庭には普及しておらず、LP一枚も大変高価なものでした。そんな時、アメリカの最新ヒットソングをタダで聴けるFENラジオは本当に貴重で、昼間は電波が途切れがちだったので夜になってからいつもこっそり聴いていました。また、日本の深夜放送(オールナイト日本など)なども勉強せずに聴き入っていました。まだ、ビートルズデビュー前のエルビス全盛時代でした。

 

 私がギターを触ったのは、高校生時代、すぐ上の兄貴(大学のハワイアンクラブ)が夏休みに持ち帰った来たピックギター(フルアコ/チャキ製)を持たせてもらった時で、自分の物を手にしたのは大学に入って音楽クラブ(多摩美のウエスタンクラブ)に入部してすぐの時でした。そのクラブでは、先輩たちのブルーグラスバンド(ブルーブライヤー・ボーイズ/石川鷹彦&小室等先輩たち)やフォークグループなどの練習を間近に生で見てテクニックを盗んだりしたものでした。クラブは音楽教室と違うのでレッスンがある訳でもなく、早く自分も先輩たちのように弾けるようになりたい!という想いで、見様見真似でした。そんな楽しくてたまらない或る日、先輩のブルーグラスバンドの練習を見ていたら “ちょっとリズム(スネアー/ブラシ)を入れろ” と言われ、リズムの裏にアクセントを置いて叩くリズムを緊張して入れたことを今でも覚えています。そして、同じクラスのバンジョーを弾きたいというY田君とブルーグラスをやれと命を受け、私はウエスタンギターを担当することになりました。この時が、ギターとの関わりの始まりです。

 私は、今年の4月で72歳を向かえますが、ギターを始めてから足掛け40年以上が経ち技術途中半ばのまま歳に置いて行かれました。でも、どうしてもギターは手元から離すことができず、こうしてパソコンを打っているすぐ横にはいつでも手を伸ばせるようにしてあります。

 

 振り返ってみると、私はギターを続けて来たことで「音楽」を通して未だに素晴らしい人との出会いがありました。これからも沢山あると思いますが、最も新しい素晴らしい出会いをご紹介したいと思います。

 私は、現在、諫早駅近くにあるライブのできる「ちょいわるおやじ」と言うバーで、毎月第二土曜日の夜に「諫早フォークナイト」を主宰し、市県内外のアマチュアミュージシャンの方々に出演をしてもらって古いフォークソングから新しい楽曲までアコースティック・サウンドを中心とするライブを楽しんでいます。このように関わることになったきっかけも然りですが、そのお陰で音楽好きないろんな老若男女と出会うことができ、50〜60歳代の“ちょいわるおやじ”の知り合いが増えました。皆さん、若い頃から好きな音楽を止められず、夢見た憧れの楽器を楽しそうに奏でながら懐かしい歌を唄われます。毎月第二土曜の夜、そんな素晴らしい時間を共有できる場所に育ちました。

 ライブのお世話は、毎月出演してくる人(弾き語り&ユニット)を探して出演オファーを掛けて最低3組の出演者を確保しなければなりませんが、今でこそSNS時代ですから「友達繋がり」の中からローテーションで声掛けをすれば苦労なく確保できるようになりました。そのような繋がりの連絡の中、1ヶ月程前の或る日 、“今度、一緒に組んでライブやってみませんか?”というお誘いがスマホに入りました。以前一度出演してもらった県下では知らない人はいないと言うほどの人で、60〜70年代のアメリカン西海岸の音楽からビートルズなど、幅広い音楽に精通されている憧れのK崎さんでした。まだ、 K崎さんとは近しい関係ではなかったし、ギターの腕も雲泥の差で到底私が一緒に演れるというレベルの人ではありません。私も、たまたま未だ下手ながら古い曲をギターで唄ったりしていますので、「諫早フォークナイト」の主宰者ということでどう勘違いされたのか、私へのお気遣いだろうと思われます。その理由はどうあれ、私は嬉しくて “本当ですか?私のような下手と?とにかく、1曲でもご一緒できれば嬉しいです。ありがとうございます”と、なりました。

 数日後、早速軽い打ち合わせという展開になり、諫早市役所前で11:45分に車で落合い諫早名物の鰻(北御門)を食べに、その後私がアンプやギターなどを置いている練習場(家内のレストラン後の空家)にお招きしました。お互い365日連休の身という夫婦同士の初顔合わせだったので、改めての互いの素性などを紹介し合いました。K崎さんも私と同様公務員OBで、意外にも番狂わせなお堅い一面を知ることがことができ、以前から知り合いだったような安心感を覚えました。また、K崎さんには持参してもらったギター(マーチン製)で軽く何曲か披露してもらいましたが、さすがに上手く、原曲に忠実でギターテクも半端ではありませんでした。私と同じように、60〜70年代の洋楽を聴かれていたので、原語の発音や声、ギターテクと音色、全てが素晴らして格好良く、夕方までのアッという間の時間聞き惚れました。

 そしてその夜、FBメッセージでお互いのレパートリーやどんな音楽を聴いて来たのかなどをやり取りをしたところ、私が聴いて来た曲とかなり重なり、特に当時アメリカ西海岸のシンガー&ソングライターやバンドの好みは共通していました。ならば、当時のものを二人でやってみようということになり、それからという私はネットで歌詞とギターコードを探してYou Tubeで動画を見るという特訓の日々となりました。でも、久々に胸の高鳴りを覚えK崎さんに見捨てられないよう、必死になって練習に励んでいるところです。

 

 数日後、K崎さんご夫妻からお宅へお招きを受け、長崎市内中心からの小高い山の上にあるご自宅にお邪魔しました。ご自宅は、周りの環境にも恵まれた長崎では珍しい道路も広くきちっと造成された大きな住宅団地の一角の大きな二世帯住宅でお年寄りご夫妻と一緒でした。その二階がご夫妻の住まいとなっており、昨年の11月にリフォームされたばかりの奥様のご趣味に合わせらたとのことでした。天井をなくして屋根の張りを見せた広い吹き抜け空間に変わり、フロアー半分を少し高くされた洒落た空間になっていました。照明器具にも凝られ、いろんな器具の灯を楽しめるようにスイッチがたくさんありました。そして、何と言ってもミュージシャンの部屋でした。私の憧れのギター、楽器屋のガラスケースのガラス越しに眺めた殆どのものが、改装された壁一面にずらりと掛かっていました。一般の住宅に本物ばかりがこんなに一堂に、掛けてあるのを見たのは初めてでした。私は、欲しくて欲しくてたまらないまま今日まで来てしまいましたので、本当に羨ましい限りで、また感激しました。スピーカーもさり気なく、懐かしのJBL、CDも数え切れないほど、本当に圧巻のミュージシャンの部屋でした。

 そして、長崎市内のとある趣のある日本小料理屋さんの個室で、それぞれ夫婦や家庭内の話など音楽以外の昔話(自慢話)に華が咲き、美味しく昼食をいただきました。私たち夫婦にあっては、このような歓待を受けることは珍しく、本当に幸せな1日となりました。