何回目?もう判らない検査入院

 思い起こせば2011年3月、急性心筋梗塞で救急車にお世話になってから早丸8年という歳月が流れました。それまでは、殆ど病院とは無縁でしたが、その後は病院とは切っても切れない縁となりそのお陰で今日まで好きなことを楽しみながらの日々を送っています。ただただ、お世話になっている長崎医療センターの主治医の先生と医療スタッフの方々のお陰です。

 さて、回数がすでに定かではなくなってしまった外来検診と検査入院ですが、この3月12〜14日二泊三日で一昨年前に二度目のステント留置とバルーンによる血管拡張手術を行った術後の一年間隔を置いた二度目の検査でした。主治医のF江先生も、まだ数カ所血管が狭くなっている箇所は見られるものの、まだすぐに処置をするには至らない念のために検査しましょうと言うものでした。

 入院二日目の検査当日、私はいつものようにすでに絶食状態に入って朝から呼び込み待ち、前日先生に早目の検査順をお願いしていた手前、朝1番からかも知れないとその気になって待っていたのですが、担当の看護師からも情報が入らず、二人目の時間になってもうんともすんとも。そうこうしている間に、家内が家の用事を済ませて当然検査中だろうと思って駆けつけたところ、“あれ、まだ?”と。結局、2番目の予定だったのに、急患が入りその後になったとのことでした。昼食時間も過ぎ、この分だと午後からかもと少々意気消沈気味の12:45分、担当看護師の明るい声が “これからだそうです”と病室に響き、慌ててストレッチャーに横たわり看護師さんに手術室まで連れて行ってもらいました。

 ストレッチャーのまま手術台と平行に並び、数人の若手見習い先生たちと思われる人たちに支えられて手術台へ乗り移り、すっぱんぽんなり皆さんから同時進行で点滴針を、カテーテル挿入口となる脚の付け根辺りに大量の消毒液などを、それぞれの先生達から声を掛けられながらそれに応え、挿入口の窓が開いたカバーを身体全体にかけられあっという間に準備整いました。すると、聞き慣れたF江先生の声が、”は〜い、麻酔を撃ちます。ちかっとしま〜す”と、早速、緊張感のない雰囲気のまま始まりました。そして、”吉田のお子さんと家(先生)の子は同じ8歳やもんね”とスタッフの皆さんに、そんな合間に何やら暗号らしき言葉を発せられながら若手の先生へのレクチャーらしき説明をされるなど、冗談を交えながら数名のスタッフの方々と和やかに進められていきました。 

 検査結果は、先生の予想通りで昨年と比較して殆ど進行が見られない「良好」とのことでした。

 

 検査が終わると、脚の付け根のカテーテル挿入口跡(傷口)開かないよう、仰向けのままスタッフ4〜5人がかりでストレッチャーに移し替えてもらい、手術室前の控えコーナーでF江先生と雑談をしました。先生とは、子供同士が同じ年ということでいつも子供の話になり、“まだ8歳だから、後最低12年は元気でいないと…”と激励されました。そして、“(子供の)将来については、どのように?”、“医者はどうですか?”と。私は先生に、“もちろん、お医者さんは立派な仕事だし素晴らしいですね、ただそれなりの力量が要りますから、親としては望むところですが、そんなに簡単にはなれない職業ですから”と。そして、“本人次第なんですが、自分の将来については、親からより自分でちゃんと見つけられるようになって欲しい”と。自分自身の進路について自分がそうだったように、好きな道だったら苦しい時も諦めるずに続けていけるのではないか、と伝えました。

 私は、息子一土の将来のことまで気にかけてもらい命の恩人とも言える先生に巡れ会え、本当に運が良くF江先生に感謝しています。これからもお世話になりながら少なくとも12年、息子と一緒に元気に過ごせるよう養生しながら余生を送りたいと思っています。