実り越しの学び舎

  息子一土の通う諫早小学校前は、稲穂と川、そして遠景の山に抱かれた広々とした田園風景の中に溶け込んでいます。懐かしい話の一つになりますが、私が諫早市にトラバーユして間のない頃、最初の仕事としてこの校舎のデザインに携わらせてもらいました。当時私は、東京で細々とデザインん事務所を営んでおりましたが、長崎県在住の知人の紹介で縁あって当時の野田諫早市長の計らいにより職員として迎えていただき、企画課内にデザイン指導室という新たな部署を設置してもらいました。そのデザイン指導室の設置場所は、本庁舎内ではなく、市内の工業団地にある長崎ソフトウェアーセンターというコンピュータ関係の事務所などが入っているビルの一隅に、また合わせてデザイン機器のほか高性能CG用PC(Mac)を導入し下素晴らしい仕事環境を設けてもらいました。

 当時バブル期の終わり頃、諫早市では中心市街地活性化計画が検討されており、その計画検討および整備計画を推進するため、私がたまたまそのチャンスいただくということになり、その第一弾として現在諫早市本庁舎の建っている所にあった「諫早小学校」を田井原の田圃の中に移転しました。そして、小学校の運動場だった所に、諫早図書館本館を新たに、校舎跡に現在の本庁舎を建設するという玉突き整備を進めました。

 

 私にとってはそのような現役時代を彷彿させる小学校校ですが、現在小学校二年生の息子一土が毎日通学するという身近な所となっています。そして、この校舎のすぐ近くの道は我が家の生活道路ともなっており、毎日のように多良岳を背景にとんがり帽子の校舎を眺めながら通り貫けています。

 当時、まさか自分に息子ができ、その息子が通う学校になろうとは思ってもみませんでした。そのようなことから、毎年この時期、校舎前に広がる田圃は真っ赤な彼岸花と黄金色の輝やく豊穣を迎える時期になると、私と家内はこの光景を眺め我が子も稲穂のように頭を垂れるほどに、と思ってしまします。