実家の兄を見舞う

 6月20日、今年の正月以来のしばらく振りの実家訪問、その間電話で様子を伺い気になっていた兄貴のこと、ようやくお見舞いに行くことができました。遅れた言い訳はともかく、兄貴は正月過ぎてから体調を崩しつい先頃までいつもの病院に入院していたらしく、やっと退院したばかりとのことでした。しかし、その兄嫁の義姉さんが介護疲れから救急車運ばれて入院するという事態に陥り、その義姉もやっと普通に戻りつつあるけど、独り自宅でこれまでのように介護しながら一緒に生活することに自信が持てないということでした。

 なので、引き続き八女市内の病院に一時的に入院をして、兄貴に合うホームを探そうという時期でした。その新しくお世話になっているK病院へ、義姉を拾って一緒に見舞いに行きました。10:30のケースワーカーとの面談の後3階の高齢者フロアーでの受付を済ませ、隣の多目的ホールで軽い体操をしている後ろ姿の兄貴を見つけ、すぐ側に行って話しかけました。そうしたら、職員の方に”談話室でゆっくり、どうぞ”と言われ、廊下の奥の広いテーブルと椅子の部屋に移り、”智ですよ、来たよ〜、わかる〜?”と話しかけました。最初兄貴は、私の唐突な訪問ということもあってすぐには分からず、少し話をしてから分かってくました。

 やがて11時を過ぎようかという時間になり、入ってまだ1週間足らずだった兄貴は、この病院にこうして慣れないまま何故いるのか理解できていないらしく、これから家に帰ろうと言い出してしまいました。お昼時間も近いことから、病院に15:00までの外出許可をもらい昼食に誘い出しました。 暖かい蕎麦かうどんが良いという話になり、国道3号線沿いにあるドライブインタイプのお店へ行き、エビ天と肉とごぼう天入りの温かい蕎麦を三つ注文、ささやかながら蕎麦を美味しく食べました。これまで、こうして兄貴夫婦と3人で外食したことがなかったので、この蕎麦の味は格別でした。私たち3人は、食べた蕎麦の美味しさと何とも言い難いホッとした時間に満足し、そのまま自然と矢部川をドライブすることにしました。大楠の植わった馬場の鉄橋近くの矢部川堤防の道路に入り、その流れに沿う道路を川の流れと同じ方向に車を走らせて行きました。この矢部川は、飛形山という山を背に柳川方面へ降る河川で、私たちは子ども頃釣りを道楽としていた父親に連れられて一緒に親しんだ思い出多き川で、当時と変わらない河の流れを眺めていると、なぜかお袋のような優しい気持ちに包まれてしまいます。兄貴と私は、兄弟の中で父親譲りの釣りを引き継ぎこの河とも長い間親しんで来たので、ゆっくり走る車の窓から眺める景色に懐かしい映像を重ねながら、自然と想い出話になりました。

 さて、ドライブの終点となった「船小屋の朝鮮松原」は、やはり幼い頃家族や従兄弟たちと一緒に親しんだ場所でした。すぐ近くに掛かる鹿児島本線の鉄橋、今はその隣に新しく新幹線の橋梁も並んでいましたが、昔は黒い煙をモクモクと力強く空高く吐きながら、ガタゴト、ガタゴトと、50

両ほどの貨車を引っ張っていた機関車を眺めていました。その鉄橋のすぐ側の堰の下が、親父のカブカというハヤ釣りのポイントで、私たち子どもの遊び場にも相応しい浅い瀬や砂地の河原などが広がっていました。ここで、私は幼稚園生の頃、水にアップアップしながら泳ぎを覚えたことを、また堰の上のやや深い溜まりで、ドキドキしながら浮きを見てハヤ釣りしたことも、初めて缶入りコーラを口にしその不味さを知ったことも、などなど覚えています。兄貴も、私と同じように昔を懐かしんでいたようですが、親父からかぶか(毛針)という釣りを引き継いでいた兄貴は親父同様その名人だったので、夕方の瀬に立つだけで100から200匹位の釣果があった頃をきっと思い出したはずです。その当時の我が家は、お陰で食卓や弁当のお菜がハヤの甘露煮ばっかりだったこと、その味に飽きずいつも格別だったこと、そしてその料理人だった母親が素手の指で魚のジゴ(腹わた)を取り除ねばならず、その手間と生臭くなること嫌っていたことを子ども心に感じていたことなど、次々と蘇ってきました。

 

 私の実家を守ってくれている八女の兄貴、今年83歳という高齢になった男四人兄弟の長男は、昨年頃からめっきり年老いてしまい痴呆老人の一人になりつつあります。私が大学浪人生のまだ10代の時、父親は63歳で他界し、長男である兄貴は余儀なく私の親代わりをさせられました。私は、そのお陰で東京の美大へ進学することができ、そのお陰でデザインという道を歩むことができたし、今の私もあります。その私も、70歳の高齢者の一人となり、兄貴には十分な恩返しもできないままです。私は、そんな優しい、私に一度も意見をしないまま見守ってくれた兄貴に本当に感謝しています。兄弟の理屈なしの優しをそのまま私に注いでくれた、そんな兄貴がこんなに小さくなってしまい、足がおぼつかなくなってしまいました。

 病院へ送る前に実家に寄り、しばらくお茶をいただきながら懐かしい座敷横のソファーで休憩をしました。そして今日初めて、私は兄貴にご迷惑とご苦労を掛けたことについて、心から感謝を述べさせてもらいました。

 兄貴は多くを語らず、ただ首を横に振ってくれました。今後、できるだけ多く機会を作り、食事に連れ出したいと思いました。そして、また一緒に食事に行こうと約束をして別れました。