世代交代が訪れた  2017 A Happy New Year

 謹賀新年

 私にとって今年は古稀に当たり、元気にこうして過ごして来れたのは皆さんのお陰だと思っております。この正月我が家は、息子一土が師走にもらってきた風邪で順にダウン、最後の私は未だ咳に悩まされ熟睡できません。引き始めは、喉に折れた割り箸が縦に引っかかったような痛みと血の混じった黄緑色のタンが喉の奥に絡らむ状態が1週間以上続き、その後咳に悩まされるという日々です。今は、家族3人とも少し咳は残っているものの元気になりました。

 さて、3日の日は風邪もだいぶ良くなり天気に恵まれた温かな日和となったので、毎年恒例になっている私の八女の実家へ年始の挨拶に出かけました。実家では、私の一番上の兄夫婦とその長男(知史/子供1人)家族の5人が住んでおり、今年の年始には福岡市内在住の姪佳代ちゃん家族(吉松さん/子供2人)と一緒になり、今年20歳になる長男と妹という二人の子供たちにも会うことができ、例年と違って若い人たちと賑やかに歓談しました。そして、吉田家の脈々と繋がっている血の流れと受け継がれている一族の生活について改めて厳粛さを感じました。

 

 新年の座敷での宴の上座には、必ず吉田家の大黒柱として文紀兄が座ってお屠蘇の杯を交わした来たのですが、今年は83歳を数える兄が体調が優れず自分の部屋で過ごしたいということで残念ながら同席しませんでした。この3〜4年老人性の病気で入退院を繰り返しているのですが、年々体力の低下が見受けられ独りで歩くのもおぼつかない様子です。また痴呆症も徐々に進んでいるようで、家族によると同居の自分の息子(知史)に私の名前を言ったり、断片的に若い頃の記憶を口走ったりなど、言動の方もおぼつかなくなってきたようです。そんな兄と私は、四人兄弟の一番上と一番下という丁度一周り違う12歳違いで、兄には一緒に遊んでもらったというよりむしろ色々と迷惑をかけながらも面倒を見てもらった親子のような兄弟です。 釣りを道楽としていた田舎教師の父親は、厳格でありながらも私を幼い頃淡水魚釣りに連れて行ったりしてくれましたが、私が成人する前に亡くなりました。私は、大学進学については諦めようかと思ったりもしましたが、いや自分独りで家を出て好きなデザインの道を目指してみよう無鉄砲に決心、結局兄貴たちに大学浪人までさせてもらって東京の美術大学に進学しました。デザイナーという仕事に着き定年まで全うできた、この幸せな人生を歩むことができたのは、吉田家の一番上の兄を始めとする次男三男三人の兄貴たちの支援のお陰だと思っています。私にとっての兄は、正に親代わりをしてくれた一度も怒ることのなかった寛大な人です。そして、私たちの両親がともに欠けた後も、私のかけがえのない生まれ育った実家の玄関を、私のためにいつも開けておき私が帰省してくるのを快く待っていてくれました。

 私は、そんな優しい兄に甘えお世話になりなんのお返しもできないまま今日を迎えてしまいました。そのようなことからでしょう…兄がよく私の話をするそうです。私に残されているこれからの時間の中、できるだけ八女の実家へ出向き、大変お世話になった兄貴とせめてもの昔話など楽しみたいと思っています。