伯父の香典返しに添えられた小冊子

 福岡県の片田舎の教師だった一郎伯父さんは、家も近く、よく我が家にも訪ねて来られていたのをよく覚えており、母親が長男でもないのになぜか”一郎”と不思議がっていたのを今でも想い出します。そして何と言っても、私の一生を決めるきっかけとなった人だということです。小生が大学浪人一年の頃、母親にとっては大変心配だったであろう私の将来について、実家八女辺りでは想像できなった美大志望という私の夢、そんな母親の相談に良きアドバイスをされていたということを後に知り、ここまで歩んで来れたことに対し大変感謝しています。

 

 小生が大学受験を控え父親が癌と戦っている一浪の頃、四男坊の私は密かにデザイナーになることを夢見はじめていました。兄貴たち三人は、難なく商学部、経済学部、法律という常識的な道に進んでおり、私はいうと突然変異的に美術の方へ進みたいと…、当然のごとく家族みんなの避難の的となろました。猛反対だけに止まらずバカ呼ばわりされ、何を考えているんだ看板屋にでもなるのかと言われました。

 父が亡くなり、学資の保障もなく大学進学すらおぼつかなくなったいた時、私は猛反対をされている道を目指し家を出ることを決心しました。そのことを、母親に伝えると、母親はどのようにしたらいいのか心配で一郎伯父さんに相談したら、自分のやりたい道に進ませたらと言われたそうです。

 

 その伯父さんの教師時代の話が綴られた小冊子が届きました。その中に、「イザ サラバ」は支那語にもあるようで、その意味が最後のページに書かれていました。

 

(ガリ版刷りで学級新聞を作っていた戦後間もない頃、田舎教師をしていた伯父が残した戦争体験シリーズを綴った「OASIS」という学級だよりからの抜粋です。)