引っ越し

チッキで送った当時の柳梱
チッキで送った当時の柳梱

 この師走、今までの住まいから街中の方へ2kmほど入った所に引っ越をすることとなり、先週末やっと大物引っ越しを終え、荷物の整理と家具の調達などで大忙しの毎日です。私はこれまで、アパートや借家住まいばかりで荷物も少なく、アウトドアグッズを日用品的に使うという身軽な生活をして来ました。がしかし、この10年位の間で家族や家財道具が増え結局プロの引っ越し屋に依頼するまでの物持ちになっていました。

 

 引っ越しの都度、毎回出てくる、未だ処分できないまま持っている、懐かしい代物が今回も押入の奥から出てきました。それは、普段全くその存在すら忘れてしまっている古びた物入れで、今ではもう見ることのできない珍しい「柳梱(やなぎごおり)」というものなんです。この梱こそ、私が十代の大学浪人時代、デザイナーになることを夢見て九州の実家を離れる時の手荷物(チッキ/列車の手荷物)として汽車に乗り込んだ時に携えたものです。ただ懐かしいというだけではなく、その後もずっと亡き母親が手縫いで縫ってくれた初めての着物を入れ今日まで携えて来ました。

 この柳梱は、私がまだ若かりし頃デザイナーに憧れ、都会に憧れ、夢で胸を膨らませていた十代終わり頃初めて実家を離れる時から転々と今日まで、私の歩みを観てきた私の全てを知っている代物なんです。今、こうして改めて眺めると、私の憧れや夢、そして何と言っても母親の大きな優しさがいっぱい詰まっていたように、今になって感じることができます。私の志した当時では無鉄砲とも言える、ただ憧れだけの志しを尊重して背中を押してくれた、ただ一人の理解者が母親でした。いや、本当は理解など到底できないはず、そんな我がままな私を勇気を持って送り出してくれた人が我が母親でした。遅いのですが、改めて感謝です。

 

 私もいつの日かいずれ、すでに逝っている母親に再会できるが日が訪れることと思いますので、その時はまたこの柳梱に親孝行できなかった分お土産をいっぱい詰め込んで行こうかなあ、とふと思いを巡らせているところです。