偶然とは言い難い、万に一つという不思議な出会い

 私が40歳を過ぎてすぐだったと思います。まだ、東京でデザイン事務所をしている頃、長崎の地元の大学で教鞭をとられているH教授の計らいによる、バリアフリーのまちづくりフォーラムのパネラーとして道東(北海道網走郡)津別町という人口8,000人ほどの小さな町に招かれた時の出会いの話です。

 

 フォーラム開催当日、その会場で、津別町で大きな農場をされているYさんと言われる方から、唐突に“ 帰られ前に,ほんの少しの時間でいいんですが、私の父に会ってもらえませんか! ” とどちらかというと懇願され、話を伺うと、フォーラムのプログラム中の私のプロフィールに “ 福岡県八女出身 ” とあるのをお父様がご覧になり、どうしても…ということでした。すでに亡くなられていた北海道へ入植されたお父様のそのお父さんのご出身地が、私と同じ “ 八女 ” ということを聞いておられ、どういう訳か何かの事情で音信不通のままになっているとのことでした。ご高齢になられたお父様は、このままでは死にきれないと、そのような時に八女出身の私がタイミング良く現れたということでした。とあらば、当然、帰りの飛行機までの間に時間を作りY氏のご自宅へ飛んで行くことにしました。

 ご自宅では、70歳ぐらいの品格のあるお年寄り(Y氏のお父様)が私の訪問を心待ちにされていて、真っ先に私が八女出身者であることを確認されました。そして、お父様が子どもの頃、お父さん(Y氏の祖父様)に聞かれてご存知だった八女の地にある「日向神」、「けほぎ岩」、「黒木の大藤」などについて、“ あなたは知ってますか? 家から近いですか? 行ったことありますか?” と堰を切ったように尋ねられ、私は “ はい、知っていますよ。みんな行ったことありますよ。” と、どんな所か説明しながら答えると、“ 聞いていた話の通りだ ”、“ 同じだ ” と八女出身者の生の声で同じ話を聞くことができた、と涙を流されました。

 通された和室の座卓の上には、定規を当てて丁寧に描かれた家系図と古い青写真(コピーのない時代)の戸籍謄本が広げられ、その昔北海道へ入植された時代のY家のご兄妹のお名前などが記されていました。そのご兄妹の次男の “時次郎” さんという人が、北海道へ入植をされ、他のご兄妹とその後分からないままに、というお話でした。その時次郎さんこそ、お父様のお父さん(Yさんの祖父)なんです。お父様は、これまで親戚がないまま、知りたい気持ちと今になって親戚だと名乗り出たら迷惑を掛けることにならないかと心労されていました。

 私は、すぐさま、仮に時次郎さんに何かの事情があったとしても、もう時効ですよと説得し、今も八女に住んでいる私の兄に、“ 今から、八女の兄に電話を掛けてみましょうか?” と促すと、最初は少し躊躇されましたがその場でかけることになりました。私は、戸籍謄本に書かれている時次郎さんのご出身地の ” 日向神 ”  のちょっと南の「湯之谷」という地名のことや家族構成などを伝えるとともに、何かの事情があるかもしれないことも添えて調ベを依頼しました。

 その日は、その調査依頼までで、結果については私が戻ってからが分かり次第改めて必ずお知らせすることを約束してお別れしました。

 

 東京へ戻ると、すぐ兄からY家の時次郎さんの経緯、またご兄妹の存命の事実についても分かったという知らせがありました。時次郎さんのご出身地の八女郡「湯之谷」という所は、八女市から東へ30〜40km入った山奥で山の仕事以外はが殆どないような場所です。当時の事情から察するに、そのような所では次男以下の男の子は後を継ぐことが難しく、その当時国策として進められていたブラジルやハワイなどへの移民として故郷を離れられる人達も多かったようです。そして、一度故郷を捨てると二度と戻れないという頑な気丈な時代だったようです。時次郎さんは、そのブラジル移民として海を渡られましたが、その夢は破れ、故郷へ帰ることなく再度北海道へ渡られたということが、北海道から電話した翌日に町役場と近くの小学校へ行って分かったそうです。

 早速、私はYさんへ連絡し、時次郎さんのご兄妹がまだ元気に存命であること、何も遠慮が要らないことなどを伝えることができ、何かホットした幸せな気持ちになりました。そして、ふと、広い北海道の小さな津別町と大都市東京の一住人と八女郡の湯谷という3ヶ所が、よくもまあ時間を越えて繋がったなあと不思議に思える感動を覚えました。

 そして、その後間もなく、時次郎さんの孫Yさんがお父さんの代わりに八女を訪ねられ、私の八女の兄の運転で時次郎お祖父さんが通われた小学校などを訪ね、当時の卒業写真を見られたりお祖父さんのご兄妹に会われたり当時の話を聞かれるなどして、お父様にご報告されたと聞きました。

 

 それから、さらに20年ほど時が流れた今年の正月、そのYさんから本当に久しぶりに “ 今年は、もらった年賀状一人ひとりに電話をかけているんですよ” と電話をいただき、道東での再会を約束しました。

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