法要

法要 · 2月 25日, 2018年
 この日曜日の25日は、小生の母親故吉田安代の27回忌の法要が吉田家の先祖が眠っている大牟田市三池の鄙びた菩提寺の西岸寺で執り行われました。母親は、戦後間もない昭和22年四男の私を42歳にして産み、男四人兄弟を田舎教師の父親のもで育ててくれました。墓前への参列には私たち男兄弟四人中の二人と、八女の実家の家族および姪御家族の総勢九人、知文君の奥さんと娘の和可ちゃんは他の行事との重複により敢え無く欠席となりました。  子供の私たち兄弟四人は、83歳を筆頭に、81歳、75歳、70歳という高齢になってしまいましたが、まだ一人も欠けずにこの日を迎えることができました。実家の長男の文紀兄は入院中のため、また三男の平岡郁夫兄は家族の不幸と重なり急遽欠席となり、子供は次男の博至兄と私が参列することができました。  前日の土曜日24日昼間、次男の博至兄が新横浜から新幹線久留米駅に14:08に到着、諫早から車での途中の小生が拾って八女の実家にお邪魔しました。実家では紀美子姉さんと知史君家族が迎えてもらい、博至兄と一緒の久しぶりな顔ぶれでお茶をいただきました。そして、もう一つの目的でもある、前日少し早目に実家に伺って文紀兄の病気見舞いをすること、昨年の暮から転院した広川町の病院に見舞いに行くようにしていたので、知史君の車で貴美子姉さんに案内してもらいました。  文紀兄は、この正月前後誤飲感染による肺炎を繰り返したり貧血状態に陥り一時心配な容態になり、そのため専門病院へ転院して輸血と検査をしてもらっていました。その後容態は改善され、安定し顔色も良くなっていました。しかし、自分で口から直接食べ物や飲み物など摂取できない状態になって点滴のみに頼らざるを得ない身体になっており、独りで身体を起こすこともできいほど衰え痩せこけてしまっていました。博至兄と私はベッドの両脇に佇み自分たちの顔を見せ、「博至と智が来ましたよ。わかりますか?」と、紀美子姉さんが「お父さん、博至さんと智さんがお見舞いに来られましたよ」と。文紀兄は眼を開け、無言のままうなづくような間を置きながら私たちの眼を見てくれました。「来たよ、智ですよ、博至兄と一緒に来ましたよ」と眼を見ながら言うと、しっかりとした眼差しで眼を見てくれました。会話を交わすことがおぼつかないので、傍に居ながら布団の中の痩せ細った手をそっと握ったり、しばらくの間穏やかな時を過ごしました。そのような中、私はもう一度兄の顔を見ながら「親代わりになってもらい、色々とご迷惑をお掛けしました。本当に有難うございました。また来ますから、元気にしていてください」と心の中で言いました。博至兄も、同じように優しく手を取り、兄と何か会話をしていたようでした。  昨年の夏前に見舞った時は、まだ病院に外出許可をもらって蕎麦屋に昼食に行ったり、いろんな想い出のある懐かしい矢部川堤防などをドライブに連れ出したりできたことがまるで嘘のようで、もっといろんな所に連れ出して、いろんな話をしておけば良かったとも思いました。そして、血の繋がった男兄弟という私たちは、すでに皆高齢になっていること、そしてついに来たるべき時が来たという現実を受け入れなくてはならない瞬間に立ち会っていることを感じざるを得ず、穏やかでゆったりと流れる静かな一時を一緒に過ごしました。  お見舞いが終わると、私は博至兄と一緒に八女の実家にお邪魔し美味しいすき焼きをいただきながら、博至兄の外国の山歩きの話などを聞かせてもらい、9時前に予約していた羽犬塚駅側のホテルに向かいました。  翌法要当日の25日は、八女の実家に9:30集合ということでホテルをチェックアウトし、余裕を持って小生の車で博至兄と二人で行きました。すると、丁度同じタイミングで、姪御の佳代ちゃん家族四人のワンボックスと一緒になり一緒に行くことになりました。小生は、大牟田三池のお寺までの道程は分からないので、その車に乗り込んだ甥の知史君の運転に追従することにし、約1時間のドライブとなりました。先祖のお墓のある大牟田市三池の西岸寺は、元々小生の祖父ちゃんと祖母ちゃんの実家が近所にあったことから、このお寺に先祖代々のお骨が納められ小生の両親たちもここに眠っています。  さて、11時からの予定だった27回忌の法要は、私たち一行の早目の到着に伴い定刻より少し早く始まり、本堂の仏様の前でお坊さんの読経のもと参列者一人づつ焼香を終え滞りなく執り行われました。最後に、心配されていた雨もなんとか降らず、お寺の外側の本堂正面にて記念写真を撮り帰路に着きました。そして、八女市内の小ぎれいな寿司割烹の会食会場に皆んなで移動し、美味しい上品な和食料理をいただきました。姪の佳代ちゃん家族の子供たちとは初めてで、長男はすでに20歳の大学生、妹は高校二年生で実家の知史くんの一人娘の和可ちゃんと一緒とのことでした。私たちの子供の頃、夏休みに従兄弟たちが我が家に泊まりがけで来て一緒に矢部川に行って楽しく遊んだことなどを懐かしく想い出させてくれました。  やがて、昼食を兼ねた法要の会食会もお開きとなり、博至兄の帰りの新幹線の時刻久留米発16:21に遅れないよう私が車で送りました。博至兄は横浜の港南台という所に住んでいますが、この日は息子の次男修くん家族の住む広島に一泊して帰るということで駅の改札にて別れました。